魔法の弾丸

自己に対する選択毒性

gaze at

2008-08-17 19:05:43 | Weblog
―いつか「すこやか」になってやる。
「すこやか」を、「まっとう」に置き換えてもいい。

 けれどもそれを「執念じみた」気持ちで呟いている時点で、たぶん方向は少しずつ間違いはじめていた。そうして、間違っていることには気付かないまま―いや、どこかで気付いていたかも知れない。ここでも私は気付かないフリをしただけだったかも知れない―、幼稚な露悪趣味を発揮することでどこか「言い訳」をしているような気になりながら、そうすることによって自分がかつて求めていたものがどんどん遠ざかっていくことも感じながら、あのときからこんなに長い時間が流れてしまった。


「まっとう」であることを、誰が止めたっていうんだよ。誰に頼まれて今の自分をやってるんだよ。おまえは自分で選んで今の自分をやってるんだよ。

私の話/鷺沢萠






自分の心の奥底にある傷から排膿すること。
自分の傷がどこにあるのか、正確な部位を探り当てること。
明晰な意識と判断がなければ、この試みは失敗する。


それは麻酔なしに行なうのと等しく、かなりの激痛を伴う。
心の奥底に存在する汚くて、卑怯で、狡猾な部分を凝視するのだから。




見なくていいものは、見ないという態度では何も学ぶことはない。



きちんと全てを見せ、そこから自分で考えて、選択し、行動することを教えるのが教育の使命だと思います。