魔法の弾丸

自己に対する選択毒性

言語

2008-08-10 10:37:48 | Weblog
すなわち電子や光子のように、日常、われわれがみたことのある、通常の粒子と非常に異なったものの行動を述べるには、われわれの日常な言葉をもってすることができないのは、当然なことである。なぜなら通常の言葉は日常的な考えた方と密接に結びついているので、こういう日常的なものとは全く別種の奇妙なものの行動を記述するには、全く不適当だからである。いいかえれば、日常的な考え方から全く自由な、より純粋な言語によらなければ、そういうものの記述は出来ない。こういう、全く自由で純粋な言語というのは、すなわち数学である。量子力学が数学的にならざるを得ない理由はここにある。

量子力学と私/朝永振一郎





中・高等教育でこのような説明を受けていれば、今とは違った世界観を有していたかもしれない。





何のために学ぶのか?



評価されるためでない。

認められるためでない。



世界の成り立ちを知る方法を学ぶため。