魔法の弾丸

自己に対する選択毒性

走ること

2013-06-22 20:05:23 | Weblog

人生は基本的に不公平なものである。それは間違いのないところだ。しかしたとえ不公平な場所になあっても、そこにあるある種の「公平さ」を希求することは可能であると思う。それには時間と手間がかかるかもしれない。あるいは、時間と手間をかけただけ無駄だったね、ということになるかもしれない。そのような「公平さ」に、あえて希求するだけの価値があるかどうかを決めるのは、もちろん個人の裁量である。

走ることについて語るときに僕の語ること/村上春樹



先月からランニングを始めました。

理由はとてもtrashyなことなのですが、結構気に入って習慣になりつつあります。


まだ5kmぐらいしか体力が持たないのですが、始めたときよりは随分と走れるようになったと思います。


もう少し痩せて、長く走れるようになるといいな。