新型コロナウィルスの流行で日本全体、いや世界全体が逼塞している。
各地で感染者報告が相次ぎ、誰もが神経過敏とも言える状態である。
感染者が多い地域に行く人は、多少なりとも気を遣わざるを得ない。
私の生まれ故郷・相模原市も感染者が続出して報道されたため、ずいぶんイメージダウンを被っていると思われる。
私は決して「故郷の絶対礼賛者」ではないけれども、やはり自分が生まれ育った町が、良くない話題で次々取り上げられるのを見ていい気持ちではない。
最初に死者が報告された相模原中央病院は、私の亡き父がお世話になった病院でもあった。現場の方々やご家族はさぞ大変な思いをされたのではないか。
故郷の町がこんな時に昔のことを書いても仕方がないが、せめてもう少し明るい気持ちを思い出すためにこの歌を取り上げた。
もっともこの「相模原市民の歌」は、何でも「ひばり放送」という防災無線放送でしばらく使われていたとかいう話で、そこでは亡くなった方の情報も伝えていたらしいから、人によっては縁起でもないと感じるかもしれない。
しかし元々は昭和33年に「明るく歌える市民の歌」として公募されたもので、当時の新興都市の活気ある情景が歌われている。子供の頃小学校の校庭で催されていた「自動車ショー」(自動車の戸外展示会)でも盛んに流れていた。私のイメージはそっちである。
YouTubeでもこの曲は聞くことができる。歌詞も検索すれば出てくるのでここには記さないが、高度成長期に差し掛かる希望にあふれる雰囲気が偲ばれる歌である。
イラストはその雰囲気のラフなスケッチ。「生産の平和の煙」が立ちのぼるイメージで。