人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

秘中の秘皆伝

2020-11-12 12:01:50 | 秘教、その他団体
私がこれまで宗教的、精神的団体と初めて関わったのは、何故か11月が多いのです。
昭和53年の11月初め、今は閉鎖されたと聞く、東京銀座の道院紅卍字会を訪れました。
私は、この一見、秘密結社めいた雰囲気をたたえる同会には割りと簡単に接触することが出来たのですが、普通は紹介者が居ないと入れないことになってるらしいのです。(この辺りは何やらフリーメーソンを彷彿とさせるものがあります)
この時は、年に一度の創立記念のお祭りをやっていたので、特別だったのかもしれません。
ただ、後に正式に入会するに際して(翌年2月)、このことが少し問題になりました。私は一体誰の紹介で来たのか?、と。
ありのままを言えば、当時同会の提携関係にあった、大本の東京本部の電話で案内してくれた、年配そうな人(おそらくは当時の支部長だろう)の紹介ということになりそうです。
しかし、誰か特定出来ないというのは具合悪いというので、その時入会の案内をしてくれた、常駐理事のNさんになってもらったのでした。
この3ヶ月間というのは、メーソンなどでもお馴染みであろう、所謂"見習い期間"だったのです。
その間の約百日間、私はほぼ毎日、同会で伝えている秘伝、"先天の坐法"を修していました。
同会との関わりでは勿論、これまでの人生で僅かな間とはいえ、そんなに熱心に一つの修行に勤しんだことはありません。
先天の坐は、"秘中の秘"とされ、"会員外秘"、という話もあるのですが(規約が変わったのかどうか定かではありませんが)、私は未会員、見習いの身でありながら堂々と勤しんでいたし、当時親しくしていた友人にもその簡単すぎるやり方を伝授していたのです。
次いでながら、当時日本船舶振興協会(今の日本財団)のテレビcmで写っていた、長く紅卍の会長もされていた、笹川良一会長が両脇の子供たちと共に修していた静坐の形こそは、その秘伝の坐に他ならなかったのです。(こういう話を公開しても、ほとんどの人には分からないでしょうが...)
それに、そのやり方を記した小冊子ももらってましたi...つまり私は、"秘中の秘を漏らしてはいけない"、なんて話は聞いたことがなかったのです。
ともかく、この修坐を通じて、2ヶ月くらいして、気というものが心身に通り、巡り、意識が中心に集まってくる、ということが人為でなしに、無為自然に行われる、ということが体感されるようになったのです。
その顕著な現れは修坐中、ポカポカと明らかに、普通の身体感覚とは別の、心身未分ともいうべき感覚で暖かみを覚えるようになったことでした。これはこの修坐行に特有のものなのです。
私が日頃書いていることの端緒の多くは、この頃芽生えたと言っていいのです。
その感じはしかし、修行を疎かにしていたためか、約一年半ほどで自然消滅してしまったのですが、こうして今もそれに与らせてもらえているのだから、やはり奥の方ではずっと変わらず息づいていたのでしょう。(こういう話を公開しても、ほとんどの人には分からないでしょうが...秘密は必ず示されているものですよ?...)
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2 コメント

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Unknown (mirfak)
2022-01-14 14:35:04
むかしのCMをYouTubeで探して見てみました。確かに手の置き所など例の姿をしていますね。
私は炁楽仙女さんの本で学んだので、部外者ですが、なぜかネットでお友達になるのは道院関係者が多いです。
エスタニスラウ神父が隠遁していた四方庵に伺ったとき、プンジャジの『覚醒の炎』が本棚にあるのを見て、どうしてキリスト教の隠遁者の住処にインドの覚者の本があるのか不思議に思ったことがあります。
後にスペインで二人に交流があったことを知ってmixiの日記に書いたら、その本を四方庵に寄贈された方がそれを見て友人申請してくれたことがありますが、その方も道院の人で驚きました。
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Unknown (シタテルヒコ)
2022-01-14 16:57:09
mirfak様コメント有り難うございます。
エスタニスラウ神父のことは貴ブログで初めて知りましたが、芹沢先生と道院との関わりについても貴重な情報を知ることが出来ました。
霊性の道には本来垣根が無いことを改めて感じますね。
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