ある宗教的な目覚め、超越的体験に与っても、数日して元の黙阿弥になるという経験をした人は私だけではないでしょう?
私の場合、それ以前に神的な現臨感というものを覚えていたのですが、それもある時から消えてしまったことがあるのです。
それが実に平安、幸福感を伴うものだけに、何とか取り戻そうと思うのですが、こちらからはどうすることも出来ないのです。
まあ、“祈るしかない“ということは、一つには言えるのですが...その時の私はあまり思いつかなかったのです。何でそんなことになってしまうのか?、ってことも!...
これは、今の私にはハッキリ分かることです。
この考え、為そうとする私が、そういう体験をしよう、感覚を得ようとしているからですよ!そういう思いに囚われてしまっている、ということなのです。
そうではなく、自己と神的なものと切り離されていない状態に本来性があった。それが私の実存的な原態であったのです。
だから、私“が“、私“から“、という線に思いが囚われると、その状態から切り離されてしまうのも当然のことだったのです。
“すべては、神あってのものであった!“...それ無くして愛、平安に与ることが出来ないのならしょうがないではないか?!
もう、追体験を求めるのは諦めよう!、その飽くなき苦闘から解放されるのだ!(この究極とも言える逆説、お分かりですか?)
このことに気付いてみたら...それは決して失ってなどいない、ということが分かったのでした!...無くなった、神から見捨てられた(?)と感じていたのは、表層的な考えている私だったのです。
今の私はねえ、常に神と一つ、現臨にある状態なんですよ!...って、そんなことは言ってません。以前と何も変わらない、相変わらずバカな、ダメなことばかり繰り返していますよ!
そして、あの愛、平安を失ったようにも...ここが違うのです!
確かに表層的な思いの次元では失っていて、色々バカな、トッチラかったようになっていますよ。しかし、それも神と共にある原態という土台の上でのことに過ぎないのです。
つまり、問題は問題であっても、問題は無い!...本来は問題無い!
意識が思い、為そうとする自分だけになってしまったとしたら、それが大問題なのです!(しかし、相変わらずバカな、ダメなままというのも問題ではあるかなあ?)
しかししかし、段々私はその本来性に帰ってゆく、否その本来性の方が顕わになってゆくのを日に日に覚えるばかりなのです。
これは、もう本来からどうしようもないことなのでしょう?...
私の場合、それ以前に神的な現臨感というものを覚えていたのですが、それもある時から消えてしまったことがあるのです。
それが実に平安、幸福感を伴うものだけに、何とか取り戻そうと思うのですが、こちらからはどうすることも出来ないのです。
まあ、“祈るしかない“ということは、一つには言えるのですが...その時の私はあまり思いつかなかったのです。何でそんなことになってしまうのか?、ってことも!...
これは、今の私にはハッキリ分かることです。
この考え、為そうとする私が、そういう体験をしよう、感覚を得ようとしているからですよ!そういう思いに囚われてしまっている、ということなのです。
そうではなく、自己と神的なものと切り離されていない状態に本来性があった。それが私の実存的な原態であったのです。
だから、私“が“、私“から“、という線に思いが囚われると、その状態から切り離されてしまうのも当然のことだったのです。
“すべては、神あってのものであった!“...それ無くして愛、平安に与ることが出来ないのならしょうがないではないか?!
もう、追体験を求めるのは諦めよう!、その飽くなき苦闘から解放されるのだ!(この究極とも言える逆説、お分かりですか?)
このことに気付いてみたら...それは決して失ってなどいない、ということが分かったのでした!...無くなった、神から見捨てられた(?)と感じていたのは、表層的な考えている私だったのです。
今の私はねえ、常に神と一つ、現臨にある状態なんですよ!...って、そんなことは言ってません。以前と何も変わらない、相変わらずバカな、ダメなことばかり繰り返していますよ!
そして、あの愛、平安を失ったようにも...ここが違うのです!
確かに表層的な思いの次元では失っていて、色々バカな、トッチラかったようになっていますよ。しかし、それも神と共にある原態という土台の上でのことに過ぎないのです。
つまり、問題は問題であっても、問題は無い!...本来は問題無い!
意識が思い、為そうとする自分だけになってしまったとしたら、それが大問題なのです!(しかし、相変わらずバカな、ダメなままというのも問題ではあるかなあ?)
しかししかし、段々私はその本来性に帰ってゆく、否その本来性の方が顕わになってゆくのを日に日に覚えるばかりなのです。
これは、もう本来からどうしようもないことなのでしょう?...
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