人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

思いは化して行く

2017-11-04 12:30:51 | 雑感
人が苦しみ、悩むのは思いというものがあるからです。
思いが悩み、苦しみ、恐れなどを引き込んでいるのです。
ノンデュアリティなどでは、いつもそれを無きものにしようと躍起になってるようです。
ついでですが"個はいない" という、お馴染みの言葉の意味は、正確には、"自分は個であるという思いはない"ということだと"思います"
思いから離れられれば、アレコレ思い煩う自分から解放されるでしょう。
んで..."思いから離れたらいいんです"などと平然と言っている教師も居るんです。
私には、こういう人って本当に思い煩った事がないんじゃないか、と思えてなりません。
自分でやって出来るんなら、世に悩みも苦しみも問題も最初から存在しないでしょう。
もっとも、もしかして私の場合フツーでないのかもしれませんが...
私は昔からこの思いのガンジガラメ状態というものに苛まれました。
一番最初は、小2の頃ホラー映画の古典「フランケンシュタイン」をテレビで観て、そのモンスターのあまりの恐ろしさから、ずっとそのイメージが頭から離れなくなり、なんと約3ヶ月くらいそんな状態が続いたことでした。
それが深みにハマりだした時、ふとその恐怖の思いが襲ってくるのは、恐怖の対象物であるモンスターの造形そのものじゃなく、それに恐怖を感じている思いそのものであることになってきたのを覚えています。
一体、どういうことを言っているのか、なったことがなければおそらく分かりますまい...
「いい加減に、そんなこと考えるのはヤメろi」(オヤジ)
「どんなにヤメようとしても襲ってくるんだよお、わーん」(私)
「バカかi こいつi」(オヤジ)
「この子はフツーじゃないi 天才かもしれないわ!」(オフクロ)
妙な言い方ですが、私は自分の思いでコントロールすることの出来ない、思いの原初的力といったものを心身に染みて味あわされていたのです。
私は元々人一倍感受性が強いせいか、いったん思いが何かに囚われると、どんどん深みに入り込んでしまう質なのでしょう。
まるで苦悩を背負い込むべく、呪われた脳内プログラムが設えられているようです。
しかーし...これが全くいつもここで書いているようなことの裏返しなのですi
"愛、平安のハタラキ、バイブレーションはこちらの思いを超えて現臨する"...私にはずっと自分の思い、意志ではどうにもならないものがある、ことを知らされていたのです。
愛、平安というものをふと感じると、意識の焦点というものが生まれ、そこへ自ずと意識が引き込まれてしまうのです。
このことが自覚されるようになったのは、突発的に意識がブラックホールのような底無しの焦点に呑まれ、薄れて行くという、のっぴきならない事態に陥った直後のことでした。これも又裏返しです。
これがガンジガラメ状態とまるっきり違うのは、そうなることでその苦悩の温床のような思念のカタマリから解放される、ということです。
そして、それが深められるにつれ、思われたままの自分でない、大本の自分に目覚まされて行くのです。
表向きは似たようなことになっているのに、同じような種が別様に転じて行く...これが"化して行く、化されて行く"、ということなのでしょう。
苦悩の種を抱えこんでいたとしても、その脱出口はまさにその種に隠されているのかも分かりません。
その種から、幸福の花が咲き出るかもしれないのです。
人生はけっして、けっして思われたままではない...。
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