人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

エゴの頭打ち

2014-10-05 19:09:21 | 覚醒
「覚醒すると、大いなる、永遠なる生命と一体になれる。」
「無条件の愛を実感できる。」
最近、多くの方がそのようなメッセージを発信されているのは大変喜ばしいことです。
でもそこには案外、極めて重要な事が見落とされているように思われてなりません!
それは、その人生の裏側の扉が開かれた時、まず待ち受けているのは、
「今までの自分は、この圧倒的なリアルな現実の前では全く無力なものでしかない!」
「今まで数々の豊富な知識を蓄え、なんでも知ってると思っていたが、この無限の叡智の前では無知蒙昧に過ぎない!」
という事を思い知らされるという事です。
要するにペシャンコになってしまう、ということです。
それは貴方のそれまでの人生の終わりを意味しているのかも分かりません。
それは貴方がそれまで「こんなものだ」と信じていた世界の終わりを意味しているのかも分かりません。
その関門を突破するという事は、もしかしてちょっとやそっとでない、恐怖に苛まれるのかもしれない。
実際にどう感じられるのかは、皆さん次第で私には分かりませんが。
この恐るべき関門、脳天にハンマー!の如き試練はそもいかなる意味が有るのか?
それはズバリ、エゴの頭打ちです!
これは落雷の如き、上よりの力によって心身の機能がマヒすることによります。
よく考えてみて下さい。この無力さ、無知蒙昧さというものの実感は、無限なる、永遠なるものの全くの裏返しだということを!
光眩き至福の実感は、まさにこのエゴの頭打ちによってもたらされるものなのです。
リアル感といったものも、エゴが造り出したこの世の幻想が破られることによってもたらされるのです。
よく目覚めた人の話で「生まれ変わった感じがした」とか「世界が変わったように見えた」と言われるのもここから伺われます。
この頭打ちの無い、限界というものを知らないエゴが意識の拡大といった事に至った時、それはおそらくとても危険な事態にもなり兼ねないと思われます。
例えばモンスター・エゴが生まれるとか?
エセ教祖とか自称最終解脱者とかがたまに出てくるようですし…
次元上昇とか、より上方への霊的進化といったことに目が奪われて、停止信号を見落とさないようにする必要がありますね。
でもこのようなプロセスは上よりの導きによって為されるのが、多分普通だと思いますので心配ご無用でしょう。
先程はちょっと大げさに書き過ぎた感が有ります。いかにもそのような関門を通って、しかる後恩恵満ちた世界が開かれるような表現だったですが、
実際はその時差なんてものはほとんど有りません。
エゴの頭打ちに有ってる最中にも無条件の愛を実感し始めているのです。
裏返しと言いましたが、表裏一体的に感じていると言うべきでしょうか。
だから、「苦しそう、辛そう、怖そう」とか思う必要は多分?必要無いでしょう。
私の場合はそうでしたと言ったまでです。
頭打ちに会うと言っても、エゴはそれでなくなった訳では無いし…
ウソッパチだらけのこの世ともおつきあいしなければならないし…
でも私はペシャンコになった事をいくら感謝しても、し足りないないものを感じています。
もし、悟りというものが何かと言ったら、エゴの限界を知ることだとさえ思っています。
何しろビッシリとエゴで覆われた人生でしたから…
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