人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

パトス、思惟、人格

2016-09-26 13:56:32 | 哲学・思想
「神の知的愛は感情的な情熱の刻印を帯びている。…根源から発する光は、主体的、人格的にあらわれる」(ベルジャーエフ)

私がN.ベルジャーエフやユダヤ系哲学者M・ブーバー、A・J・ヘッシェルら(手島先生が又彼らに共感したのは実によく分かる気がします)に惹かれるのは、彼らの思想に濃密なパトス(熱情)が感じられるからです。という事は、眠りこけているような私の中にもそれに共感するパトスが有る、という事ですね。少なくとも火種は未だ消えていないようです。
(”燃えない人生など一体何が人生か!”…といっても…”さあ、立ち上がれ!”なんて言いませんよ、おツカレさんでした!)
この感情というものですが、それは通常何かそれが引き出される対象なりに反応して怒りなり、悲しみなり、笑いなりとして生じてくるものです。それが自分の中から出てくる、という事は誰でも当たり前のように感じていると思います。
私はシャイな性格もあって、人前でこういう感情を露にすることはめったにないのですが、忘れた頃に豹変したりします! (別に人前に限った訳じゃないですが)そうなると、人前だろうと何だろうとはばからなくなります。それが、あの現臨に捉われるような事態になったら、皮一枚つながっている理性も完全に崩壊しかねなくなると思います。
私はこれを多く鬱積した感情の解放だとばかりに捉えていたのですが…そもそもそうした事態というものからして、根源的なパトスにハタラキかけられて起こるものだという気がします。このパトスが貯まっている感情を刺激するという事です。それは又愛というものと結びついています。
このパトスを前にしては、如何な眠りこけた魂も、”さあ、立ち上がろう”としなくたって、”立ち上がざるを得ない”というものです。
それは、通常思われているような感情の発露では無く、チッポケな自己の意念を超えたところからの上よりの熱情だからです。
一方、多くの哲学思想では、思惟というものは、感情の影響を受けたり、それに左右されるものじゃない、とそれから超然とされるべきものとされています。
この思惟というものも又、アレコレの抽象的思弁とは違う、頭からヒネリ出したものでない、ふと上から降りてくるような叡智みたいなものにこそ、真の出どころが有るのではないですか…
これは私が上よりの観照、すべてを見通す目と言っているものと関連が有るようです。
というよりも、より根源にあるものは、それぞれが別在するというより、連繋しているとみるべきなのです。
(以前に「新しい啓蒙主義」という記事で書いたように、近代ヨーロッパで生まれた哲学思想の源として、多く神秘主義なるカテゴリーで語られるこの根源的光に根差した哲学が地下水の如く伝えられてきたのです)
この意味で思惟も先のパトスと分かち難く、自己を超えてハタラクと言っていいでしょう。
多くの哲学思想に巣くっている概念認識、抽象的思弁には感じられない、どこを切っても血が流れるような、生きてハタラク思念、燃えるような生の高揚感…これらはその根源的、哲学的パトスから来るものなのでしょう。
これら通常思われたものでない、根源的パトス、思惟というものの経験は、人生のある契機において誰にでも知られているものではありませんか?
それは客観的な対象に向かい合うことなく、それ自体で立ち上ってくるものです。対象が無いという事は、思われたものを超えてリアルなものが現臨している、という事です。
ベルジャーエフが常に熱く語っていた人格というもの…それは全く他のものには置き換えられない独一無二のもの、他の誰でも無い具体的に実存しているものを差しています。この見たまま、思われたままの人格なぞ、多くのスピ界隈では多分、ガラクタみたいに思われているかも知れません。
何しろ、そこにはマインドだの感情だの、忌まわしき、捨て去るべき悪しき同居人が居座り続けていますから…。
しかし…光眩いエンライトメントも、高遠なる神秘的奥義も、この悪しき同居人を抜きにしてはたどり着けないでしょう。
如何に問題だらけだろうと、彼こそはその目差している世界への水先案内人であり、根源的光の種を宿している者には違いないのです。
見たままの、表れた人格は、神的人格の写しであり、神的力、光は本なるものから末なるものへと、表されるのです。通り道は閉ざさなければ自然と流れます。思念も感情も固め、滞らせないことが肝要です。
ここから離れた如何なる精神的、霊的な道も宙に浮いた、抽象的観念の中を漂い続けるか、消えてゆくしかありません。
思惟、感情、人格…それらは本来、天から与えられているもの…否定し去ることなど出来ないものです。真の主体者が地上的現実に顕れるための材料なのです…。









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