地域でのネットワークの具体的展開を議論するに当たって、一つは、ネットワークの枠組を作ることである。もう一つは、そのネットワークを活かしていくかの過程を示すことである。ここでは、事例分析でこれらの整理をしたい。
前者のネットワークの枠組を作る場合に、行政主導の委員会等が作り、行政主導で実施していく場合と、ボトムアップに、社会福祉協議会等が事務局になり、ネットワークを作り上げていく方法がある。これら二つの方法には、それぞれメリットとデメリットがあり、住民の主体的な活動が弱い地域では前者が、強い地域では後者が選択されることになろう。
ここでは、前者の行政が主導となり地域のネットワークを作っていった事例について、分析してみたい。この図は、私が委員長になり、1980年に試みた、大都市「大阪市」でのネットワークづくりの実験である。
大阪市から地域の高齢者を支える仕組みを作ってくれないかという依頼があり、トップダウンで、委員会方式でもって、地域のネットワークの仕組みを提案し、300以上もある各小学校区ごとに、ネットワークづくりの実践を始めたものである。
その当時、私はケアマネジメントのコーデイネーションについては一定の方法が固まりつつあったと思う。それよりも、地域での高齢者のセフテイ・ネットを創りあげることで、コーデイネーションを実施していく基盤をつくるべきであると考えていた。
同時に、地域づくりは基本的に住民参加のボトムアップで作るものとの定説があり、ずいぶん案じたが、それではいつまでたっても、大都市では地域のネットワークの仕組みは作れないと思った。それで、あえてトップダウンで、同時にお金を使って都会型地域のネットワークが作れないかを模索するものであった。
委員会では、住民が主体的に参加して行うといった仕組みを創る発想にはなれなかった。それは、大都市での地域住民間のつながりの弱さがあり、トップダウンで住民間での支援の仕組みをを作っていくことを考えた。そのため、各小学校区にネットワーク推進員という有給で専従の人を配置し、その人のもとで、地域の既存の組織や団体からなるネットワーク委員会を動かし、そのネットワークが一人暮らしの見守りや食事サービスを行っていくとした。
これを創るに当たり、財政を説得するために、当時の高齢者保健福祉室長(局長級のポスト)であった伊藤光行様(前聖カタリナ大学副学長)は、老人ホームを一棟造ってもわずか100名程しか救えません。このネットワークを創れば、大阪市の在宅の全ての高齢者が救えるのですという説明をして、新規に予算化に成功したものである。
これができた時は、「3層5段階の地域ネットワーク」と呼び、大阪の医師会等もこの仕組みに高い評価をしてくれたものである。その後、このネットワークは、他の大都市にも影響を与え、北九州市、福岡市、神戸市でも類似の地域ネットワークの仕組みが作られていった。
その後、在宅介護支援センターや地域包括支援センターが配置され、他の大都市でこの仕組みが今どのように変遷しているのかは分からないが、大阪市については、このネットワークに対して、年間数億円のお金が費やされているが、自主財源でもって20数年後の今も生き延びている。
現在このネットワークは高齢者のみから、障害者や児童にも対象を広げてきている。先日も行政から相談を受けたが、ネットワーク推進員と地域包括支援センターの関係をどのように強化すべきかというテーマであった。
ネットワーキングを進めていく手法は様々であろうが、トップダウンでもボトムアップでよいから、こうした市町村ネットワークの全体像が作られ、それをもとに具体化していくことが必要ではないのか。さらには、全体像も時間と共に修正されていくことになっていくことが必要ではないのか。
ただ、30年前には分からなかったことで、今になればよく分かることは、ネットワーク推進員なり、今後その関係が強くなる地域包括支援センターがネットワーク委員会をいかなる手順でもって、活動を進めていくかについては、全く議論しなかった。このことが明らかになれば、大阪市のネットワーク委員会は一層活動が活発化すると思われる。
前者のネットワークの枠組を作る場合に、行政主導の委員会等が作り、行政主導で実施していく場合と、ボトムアップに、社会福祉協議会等が事務局になり、ネットワークを作り上げていく方法がある。これら二つの方法には、それぞれメリットとデメリットがあり、住民の主体的な活動が弱い地域では前者が、強い地域では後者が選択されることになろう。
ここでは、前者の行政が主導となり地域のネットワークを作っていった事例について、分析してみたい。この図は、私が委員長になり、1980年に試みた、大都市「大阪市」でのネットワークづくりの実験である。
大阪市から地域の高齢者を支える仕組みを作ってくれないかという依頼があり、トップダウンで、委員会方式でもって、地域のネットワークの仕組みを提案し、300以上もある各小学校区ごとに、ネットワークづくりの実践を始めたものである。
その当時、私はケアマネジメントのコーデイネーションについては一定の方法が固まりつつあったと思う。それよりも、地域での高齢者のセフテイ・ネットを創りあげることで、コーデイネーションを実施していく基盤をつくるべきであると考えていた。
同時に、地域づくりは基本的に住民参加のボトムアップで作るものとの定説があり、ずいぶん案じたが、それではいつまでたっても、大都市では地域のネットワークの仕組みは作れないと思った。それで、あえてトップダウンで、同時にお金を使って都会型地域のネットワークが作れないかを模索するものであった。
委員会では、住民が主体的に参加して行うといった仕組みを創る発想にはなれなかった。それは、大都市での地域住民間のつながりの弱さがあり、トップダウンで住民間での支援の仕組みをを作っていくことを考えた。そのため、各小学校区にネットワーク推進員という有給で専従の人を配置し、その人のもとで、地域の既存の組織や団体からなるネットワーク委員会を動かし、そのネットワークが一人暮らしの見守りや食事サービスを行っていくとした。
これを創るに当たり、財政を説得するために、当時の高齢者保健福祉室長(局長級のポスト)であった伊藤光行様(前聖カタリナ大学副学長)は、老人ホームを一棟造ってもわずか100名程しか救えません。このネットワークを創れば、大阪市の在宅の全ての高齢者が救えるのですという説明をして、新規に予算化に成功したものである。
これができた時は、「3層5段階の地域ネットワーク」と呼び、大阪の医師会等もこの仕組みに高い評価をしてくれたものである。その後、このネットワークは、他の大都市にも影響を与え、北九州市、福岡市、神戸市でも類似の地域ネットワークの仕組みが作られていった。
その後、在宅介護支援センターや地域包括支援センターが配置され、他の大都市でこの仕組みが今どのように変遷しているのかは分からないが、大阪市については、このネットワークに対して、年間数億円のお金が費やされているが、自主財源でもって20数年後の今も生き延びている。
現在このネットワークは高齢者のみから、障害者や児童にも対象を広げてきている。先日も行政から相談を受けたが、ネットワーク推進員と地域包括支援センターの関係をどのように強化すべきかというテーマであった。
ネットワーキングを進めていく手法は様々であろうが、トップダウンでもボトムアップでよいから、こうした市町村ネットワークの全体像が作られ、それをもとに具体化していくことが必要ではないのか。さらには、全体像も時間と共に修正されていくことになっていくことが必要ではないのか。
ただ、30年前には分からなかったことで、今になればよく分かることは、ネットワーク推進員なり、今後その関係が強くなる地域包括支援センターがネットワーク委員会をいかなる手順でもって、活動を進めていくかについては、全く議論しなかった。このことが明らかになれば、大阪市のネットワーク委員会は一層活動が活発化すると思われる。