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親和会

地域自治会の親睦会の活動&トピックスなどなど~

人生いろいろ

2023年09月17日 14時31分37秒 | 写経の会

                                                  人生いろいろ         親和会 写経の会 R5.9.16                    

生きるとは何か?それは年を取ることと言えないだろうか。死んだら年を取るのを止めますから。では年を重ねるとは何か。成長につれ、人は社会、地域、家族で様々な役割を果たすが、老いとともに役割を終えてい く。ふつうはそう考えてしまうが、本書は老後の未来を見すえ元気が出る                               (鵜飼哲夫(読売編集委員) 重松清著カモナマイハウス 書評)                   生きるとは食べて、動いて、寝てその間に排泄すること・・・・・だけでない気がする・・・・・・                                 

   人生いろいろー5つの誓い                 

私は老眼鏡なし、補聴器なし現在100歳。(22歳の時に長崎で被爆し、地獄のような極限状態を経験しながらも、九死に一生を得たこと。60年連れ添ったご主人が癌を患い、長い闘病生活の末、16年前に看取ったこと)

2回の流産と1回の死産で子供にも恵まれず、天涯孤独で不幸だなと思った時期もありました。
でもそういう悲愁をたくさん経験してきた分、①人に優しくすること、②「ありがとう」という感謝の気持ちを忘れないこと、③困っている人がいたら率先して助けること、かといって④出しゃばらず謙虚素直な心でいること、⑤どんな艱難辛苦に遭っても悲観せず、上を向いて歩くこと。
これを自分の人生の5つの誓いとして心懸け、実践してきたつもりです。
吉村光子よしむら・みつこ――大正12年1923年東京生まれ。生後間もなく関東大震災(9月1日死者行方不明10万5000人東京都慰霊堂)で被災。女学校を卒業後、父親の転勤により上海へ移住するも、16歳で父親と、17歳で母親と死別する。その後、長崎の叔母の家に預けられる。昭和20年8月9日、三菱兵器製作所に勤務中に被爆し、九死に一生を得る。22年に見合い結婚、仕事をしながら家計を支える。2回の流産と1回の死産を経験。平成19年には60年連れ添った夫が病死。以後、現在まで1人暮らしの生活を続けている 致知 2023年8月号

   次世代へのメッセージ あなたが主役          R5.6.4

将来を左右する究極の問いかけがある

①我が人生、何をなすべきか    ②私はどんな才能を持ち、何を得意とするか            ③何が自分の天職か        ④何を自分の使命とするか                    教育を受ける最大の目的はこれらの問に対し得心できる答えを得ることだ。人間の一生は、あなたが主役を演ずるドラマであり、そのシナリオを創作することが大変重要になる                   東京大空襲1945年被災の翌朝も普段通り物理学の講義があった。「何があっても学ぶことに最大の価値を置け」と教わった。(東京大学物理学学生)安定した社会では将来は現在の延長線上にあると思いがちだが、変革の時代にはブレイクスルーやイノベーション技術革新が生まれ将来が創られる。そこでは個人の創造力が決定的に影響する。サイエンスは進歩を内蔵している。サイエンスの進歩は人間が創り出した進歩だ。その恩恵は最大限に活用し、弊害は最小限にする努力が必要になる。江崎玲於奈 1925年生れ 茨城県科学技術振興財団理事長 「半導体におけるトンネル現象の実験による発見」でノーベル物理学賞受賞          於 東京大学安田講堂 ノーベル賞受賞者を囲むフォーラム  R5.6.4 読売新聞より               

  「そ・わ・かの法則」                                                         
悩み苦しみ  大きく三つのジャンルに分かれる。その一番はお金と仕事の問題。二番目が体と健康のこと。三番目が人間関係。
般若心経やいろいろなお経を見ると一番最後が「薩婆訶(そわか)」=「掃除・笑い・感謝」
悩み苦しみ、苦悩煩悩は一切なくなります。お金と仕事の問題は、「掃除」をしていればなくなってしまう。体と健康の問題は、「笑って」いればいい。人間関係については、感謝、「ありがとう」を言っていればいい。これらの問題は全部複合的に絡み合っているので、お金と仕事に関して「ありがとう」を言ってはいけないということはないし、体と健康に感謝してはいけないということもない。
目の前に起こる現象について、この三つを同時進行でやっていれば悩み苦しみはすべてなくなります。                                                                                                    小林正観著 『宇宙を味方にする方程式』

羯諦羯諦  ゆり根の皮を剝くように「取り除く」執着を取り除く 自覚

波羅羯諦  他の執着を剥ぐ 他覚(他人をさとらせる)

波羅僧羯諦 行こう 行こう さあ行こう さあ皆で手に手を取り合って 清らかな幸せの世界に向かって 一緒に行きましょう

菩提薩婆訶 真言の終わりにつけて唱える語 願いの成就を祈る。

菩提:仏の悟り 薩婆訶:成就する (仏の道を完成させて彼岸に向う)

めでたしめでたし幸いあれ 阿毘羅吽欠あびらうんけんそわか 真言・呪文あびらうんけん=宇宙一切の生成要素、5大要素:地水火風空  大日如来の内証を表す真言 「裟婆呵」は呪文の結句で成就吉祥という意

      真言宗 大日如来  阿毘羅吽欠

     


蜘蛛の糸は何故切れたのか?

2023年07月16日 10時16分37秒 | 写経の会

                                  写経の会   R5.7.15   

 蜘蛛の糸は何故きれたのか     芥川龍之介 児童向け文学作品1918年 

釈迦極楽を散歩中に池を通して下の地獄を覗き見た。罪人どもが苦しんでいる中にカンダタ(犍陀多)を見つけた。カンダタは殺人や放火もした泥棒であったが、過去に一度だけ善行をした。それは蜘蛛を踏み殺しかけて止め、命を助けた。それを思い出した釈迦は、救い出してやろうと、一本の蜘蛛の糸を下ろした。カンダタは、この糸を登れば地獄から出られると考え、糸につかまって昇り始めた。ふと下を見下ろすと、数多の罪人達が自分の下から続いてくる。このままでは重みで糸が切れてしまうと思ったカンダタは、「この蜘蛛の糸は己のものだぞ。」「お前たちは一体誰に聞いて登って来た。」「下りろ。」と喚いた。その途端、蜘蛛の糸が切れカンダタは再び地獄の底に堕ちてしまった。

無慈悲に自分だけ助かろうとし、結局元の地獄へ堕ちてしまったカンダタを浅ましく思ったのか、それを見ていた釈尊は悲しそうな顔をして蓮池から立ち去った。wikipedia

この話の材源は、ポール・ケーラスによる『カルマ』の日本語訳(鈴木大拙)『因果の小車』 の中の一編であることが定説となっている 。

ドイツ生まれのアメリカ作家で宗教研究者のポール・ケーラスPaul Carus(1852-1919)が1894年に書いた『Karma :A Story of Buddhist Ethics』の原書には8編の仏教説話が収録されているが、『蜘蛛の糸』の材源となった「The Spider-Web」はケーラスの創作である

蜘蛛の糸は何故切れたのか?

悪人のカンダタでも蜘蛛を助けた。お釈迦様はこの様子を見て「どんな人間も良いところがあるな」と「人間を見直した」 「地獄から助かるなら他の人はどうでもよい」という、「利己心」自分だけ助かりたい幸せになりたいという「エゴ」、自分だけのものという「独占欲」は、自分のためにならない。自己を下落させてしまう。人は自分のことだけを考えるのではなく、他人のことも考えながら生きていくべきであることを教えられた。釈迦の蜘蛛を助けたカンダタに一縷の期待が喪失した。

羯諦羯諦 執着を取り除く  自覚

波羅羯諦 他の執着を剥ぐ  他覚 他人を悟らせる

波羅僧羯諦         自他ともにさとりを円満に成就しよう

              私もさとりの岸に行きついた。人もまたその岸にゆかしめた。吾が悟りの道         

              は成就された 般若心経入門 松原泰道

還著於本人げんじゃくおほんにん 還って本人に着きなん 善いこと悪いことすべて本人に返って来る 

                             自業自得         観音経      

自未得度先度他   自分は彼岸に行かなくても他の人を先ずは彼岸に渡してあげなさい

    他人を蔑み貶め差別しない  道元 正法眼臓(しょうぼうげんぞう)発菩提心 

運命の中に偶然はない。人間は運命に出会う前に自分でそれを作っている      

       トーマス・ウッドロウ・ウィルソン(1856-1924)第28代米国大統領

          第一次世界大戦終結と世界平和実現の為の「14か条の平和原則」 


幸福論

2023年06月21日 20時02分08秒 | 写経の会

      幸福論・・・・・独楽吟と関連して                写経の会  R5.6.17

幸福論Eudaemonics)と幸福ひいては人生そのものについての考察・論究のことをいう                                        「三大幸福論」と言えば、ヒルティの『幸福論』(1891年)、アランの『幸福論』(1925年)、ラッセルの『幸福論』(1930年)による3つの幸福論を指す                 

幸福論の特徴    


アリストテレスBC384 ギリシャ哲学者ニコマコス倫理学』 幸福とは快楽を得ることだけではなく、政治を実践し、または人間の霊魂の固有の形相である理性を発展させることであるとして、幸福主義をとなえた。

エピクテトス  50~135ギリシャ哲学者 『語録』 己の力の及ぶものと及ばないものを識別し、自己抑制をもって生きることを説く。                                         スピノザ    1632~1677オランダ哲学 『エチカ』 物事を永遠の相のもとで見ることが幸福(神に対する知的愛)への道であるとする。                                       ショーペンハウエル1788~1860 独 哲学 『幸福について』 目先の環境に振り回されるのをやめ、すべては空しいと諦観することで精神的落ち着きを得るべきである。世俗的な幸福の源泉を人のあり方・人の有するもの・人の印象の与え方に大別した上、肝心なのは「人のあり方」であるとする。 『意志と表象としての世界第四部』自他の区別を去った意志の否定を説く。                    

ヒルティ  1833~1909 スイス 法学者 『幸福論』 神のそば近くあることが永続的な幸福を約束するとする宗 教的幸福論                                             アラン   1868~1951仏 哲学 『幸福論』 健全な身体によって心の平静を得ることを強調。すべての不運やつまらぬ物事に対して、 上機嫌にふるまうこと。また社会的礼節の重要性を説く。              

ラッセル  1872~1970 英 哲学 『幸福論』 己の関心を外部に向け、活動的に生きることを勧める。                        

福田恆存1912~1994 評論、劇作家 『私の幸福論』不公正な世の現実を見据え、弱点を弱点と認識した上でとらわれなく生きること。望むものを手に入れるために戦い、敗北しても悔いないこと。

「幸せは誰かがプレゼントしてくれるものでもないしお店に売っているものでもない。 どう生きるかを自問してこそ 実感できる」

人間にとって不変の4つの真理 ①必ず死ぬ ②自分の人生は自分しか生きられない③人生は1回限りである   ④悠久の宇宙の中で自分という人間は1人しかいない

先達の教えに心を磨き人格を高め1回限りの人生を豊かに生き抜き 尊い命を輝かせたい 


学問のすすめ

2023年05月23日 11時08分01秒 | 写経の会

 

     学問のすすめ                令和5.5.20   写経の会

  平安時代の實語教が江戸時代寺子屋教育の中で使われるようになった。

  学問のすすめ(1872年明治5年刊行)  福沢諭吉(1835天保5年~1901明治34年)

「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」と言えり。されば天より人を生ずるには、万人は万人みな同じ位にして、生まれながら貴賤上下の差別なく、万物の霊たる身と心との働きをもって天地の間にあるよろずの物を資り、もって衣食住の用を達し、自由自在、互いに人の妨げをなさずしておのおの安楽にこの世を渡らしめ給うの趣意なり。されども今、広くこの人間世界を見渡すに、かしこき人あり、おろかなる人あり、貧しきもあり、富めるもあり、貴人もあり、下人もありて、その有様雲と泥との相違あるに似たるはなんぞや。その次第はなはだ明らかなり。 『実語教』に、「人学ばざれば智なし、智なき者は愚人なり」とあり。されば賢人と愚人との別は学ぶと学ばざるとによりてできるものなり。また世の中にむずかしき仕事もあり、やすき仕事もあり。そのむずかしき仕事をする者を身分重き人と名づけ、やすき仕事をする者を身分軽き人という。すべて心を用い、心配する仕事はむずかしくして、手足を用うる力役はやすし。ゆえに医者、学者、政府の役人、または大なる商売をする町人、あまたの奉公人を召し使う大百姓などは、身分重くして貴き者と言うべし。
 身分重くして貴ければおのずからその家も富んで、下々の者より見れば及ぶべからざるようなれども、その本を尋ぬればただその人に学問の力あるとなきとによりてその相違もできたるのみにて、天より定めたる約束にあらず。諺にいわく、「天は富貴を人に与えずして、これをその人の働きに与うるものなり」と。されば前にも言えるとおり、人は生まれながらにして貴賤・貧富の別なし。ただ学問を勤めて物事をよく知る者は貴人となり富人となり、無学なる者は貧人となり下人となるなり。

 

お上頼みの国民意識を否定した。自らの頭で考えて判断し行動する”実学”の重要性を説いた。精神的な独立を表わす”独立自尊”を重視。

 他人の自由を妨げずに安楽に生きていくことにおいて、人間は平等だ。 だからこそその権利を行使して、快適な生活をするために学問をしようと著者は主張している。

学問を学ばざれば、人として差異を受けることになる、として学問のすすめを唱えた。       封建卑屈の精神を批判し、「一身独立して一国独立する」ことを教え、そのために「人間普通日用に近き実学」を西洋から学ぶべきだと説いた。日本における近代的、合理主義的な人間観、社会観、学問観の出発を示す書であるが、学問による差別を生んだという批判もある

                     http://blog.goo.ne.jp/sinnwakai  


独楽吟

2023年04月16日 11時35分10秒 | 写経の会

                                                                                                                                          令和5年4月15日

      独楽吟 於般若心経写経後の懇談会      写経の会

釈尊は4つの真理「四諦 苦集滅道」を説かれたが、橘曙覧の独楽吟はこの世は苦であるとした 苦諦を否定しているのだろうか?それとも八正道(道諦)を歌い上げているのだろうか?  

  独楽吟(どくらくぎん)『橘曙覧遺稿志濃夫廼舎しのぶのや歌集』より52首              たのしみは艸(くさ)のいほりの莚(むしろ)敷きひとりこころを静めをるとき       

たのしみはすびつのもとにうち倒れゆすり起(お)こすも知らで寝し時

たのしみは珍(めづら)しき書(ふみ)人にかり始め一(ひと)ひらひろげたる時

たのしみは紙(かみ)をひろげてとる筆の思ひの外(ほか)に能くかけし時

たのしみは百日(ももか)ひねれど成(な)らぬ歌のふとおもしろく出できぬる時

たのしみは妻子(めこ)むつまじくうちつどひ頭(かしら)ならべて物をくふ時

たのしみは物をかかせて善(よ)き価(あたひ)惜(を)しみげもなく人のくれし時

たのしみは空暖(そらあたた)かにうち晴れし春秋(はるあき)の日に出(い)でありく時

たのしみは朝おきいでて昨日(きのふ)まで無かりし花の咲ける見る時

たのしみは心にうかぶはかなごと思ひつづけて煙艸(たばこ)すふとき

たのしみは意(こころ)にかなふ山水(やまみづ)のあたりしづかに見てありくとき

たのしみは尋常(よのつね)ならぬ書(ふみ)に画(ゑ)にうちひろげつつ見もてゆく時

たのしみは常(つね)に見なれぬ鳥の来て軒遠からぬ樹に鳴きしとき

たのしみはあき米櫃に米いでき今一月(ひとつき)はよしといふとき

たのしみは物識人(ものしりびと)に稀にあひて古(いに)しへ今を語りあふとき

たのしみは門売(かどう)りありく魚買ひて烹(に)る鐺(なべ)の香を鼻に嗅(か)ぐ時

たのしみはまれに魚烹(に)て児(こ)等(ら)皆がうましうましといひて食(く)ふ時

たのしみはそぞろ読みゆく書(ふみ)の中(うち)に我とひとしき人をみし時

たのしみは雪ふるよさり酒の糟(かす)あぶりて食(く)ひて火(ひ)にあたる時

たのしみは書(ふみ)よみ倦(う)めるをりしもあれ声(こゑ)知る人の門(かど)たたく時

たのしみは世に解(と)きがたくする書(ふみ)の心(こころ)をひとりさとり得(え)し時

たのしみは銭(ぜに)なくなりてわびをるに人の来たりて銭くれし時

たのしみは炭(すみ)さしすてておきし火の紅(あか)くなりきて湯の煮(に)ゆる時

たのしみは心(こころ)をおかぬ友(とも)どちと笑ひかたりて腹(はら)をよるとき

たのしみは昼寝せしまに庭ぬらしふりたる雨をさめてしる時

たのしみは昼寝目(め)ざむる枕べにことことと湯の煮えてある時

たのしみは湯わかしわかし埋み火(び)を中(うち)にさし置きて人とかたる時

たのしみはとぼしきままに人集め酒飲め物を食へといふ時

たのしみは客人(まらうど)えたる折しもあれ瓢(ひさご)に酒のありあへる時

たのしみは家内(やうち)五人(いつたり)五(いつ)たりが風だにひかでありあへる時

たのしみは機(はた)おりたてて新しきころもを縫ひて妻(め)が着する時

たのしみは三人(みたり)の児どもすくすくと大きくなれる姿みる時

たのしみは人も訪(と)ひこず事もなく心をいれて書(ふみ)を見る時

たのしみは明日物(もの)くるといふ占(うら)を咲くともし火の花にみる時

たのしみはたのむをよびて門(かど)あけて物もて来(き)つる使(つか)ひえし時

たのしみは木(き)の芽瀹(に)やして大きなる饅頭を一つほほばりしとき

たのしみはつねに好める焼豆腐うまく烹(に)たてて食はせけるとき

たのしみは小豆(あづき)の飯(いひ)の冷えたるを茶漬けてふ物になしてくふ時

たのしみはいやなる人の来(き)たりしが長くもをらでかへりけるとき

たのしみは田づらに行きしわらは等(ら)が耒(すき)鍬(くは)とりて帰りくる時

たのしみは衾(ふすま)かづきて物がたりいひをるうちに寝入りたるとき

たのしみはわらは墨するかたはらに筆の運(はこ)びを思ひをる時

たのしみは好き筆をえて先づ水にひたしねぶりて試みるとき

たのしみは庭にうゑたる春秋(はるあき)の花のさかりにあへる時(とき)時(どき)

たのしみはほしかりし物銭(ぜに)ぶくろうちかたぶけてかひえたるとき

たのしみは神の御国(みくに)の民として神の教(をし)へをふかくおもふとき

たのしみは戎夷(えみし)よろこぶ世の中に皇国(みくに)忘れぬ人を見るとき

たのしみは鈴屋大人(うし)の後(のち)に生まれその御(み)諭(さと)しをうくる思ふ時

たのしみは数ある書(ふみ)を辛(から)くしてうつし竟(を)へつつとぢて見るとき

たのしみは野寺(のでら)山里(やまざと)日をくらしやどれといはれやどりけるとき

たのしみは野山のさとに人遇(あ)ひて我(われ)を見しりてあるじするとき

たのしみはふと見てほしくおもふ物辛(から)くはかりて手にいれしとき

(楽しみはお経をあげて父母と幼き頃を語り合うとき)

                    橘 曙覧(たちばな あけみ、1812~1868)

 

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