Dogma and prejudice

媚中派も媚米派も同じ穴のムジナ
従属主義的思考から脱却すべし
(言っとくけど、「媚米」と「親米」は違うんだよ)

山崎氏訪朝「風穴開けた」蓮池透さん評価

2007-01-18 | 拉致・北朝鮮問題
<拉致問題>山崎氏訪朝「風穴開けた」蓮池透さん評価
1月18日3時3分配信 毎日新聞


 北朝鮮を訪問した自民党の山崎拓前副総裁と拉致被害者・蓮池薫さんの兄・透さん(家族会副代表)が17日、東京都内で会談した。政府・与党内には山崎氏の訪朝に「二元外交」との批判が強いが、日朝関係のこう着状態が続く中「一つの風穴を開けた。弟も喜んでいる」と一定の評価をする蓮池さん側の申し出で行われた。安倍政権の対北朝鮮「圧力」強硬路線に、被害者家族から疑問符が付けられた格好で、今後の政府の対処方針に微妙な影響を与えそうだ。
 会談は、都内のホテルで約1時間にわたり行われ、平沢勝栄副内閣相も同席した。複数の関係者によると、透さんは「『圧力をかける一方で、対話の窓口を開けている』とする政府のやり方では解決できない。まだ目に見える成果はないが、ただ時間だけが過ぎる中で風穴を開けた。弟も喜んでいる」と訪朝を評価。さらに「会談結果を官邸に伝えるなど、政府と協調しながら一枚岩で解決してほしい」と要請した。これに対し、山崎氏は「肝に銘じるが、まだ意見具申する時期ではない」としながらも「圧力をかけて半年過ぎたが、事態は何も変わらない」と安倍政権の対北朝鮮政策への不満を漏らした。
 家族会は山崎氏の訪朝を「二元外交」と非難するが、透さんが今回支持したことで、路線の違いが浮き彫りになった。会談後、透さんは毎日新聞の取材に「批判もあろうが、場合によっては私も訪朝し拉致被害者帰国を訴えてもいい」と語った。【中澤雄大】


最終更新:1月18日3時9分


 北朝鮮を訪問した自民党の山崎拓前副総裁と拉致被害者・蓮池薫さんの兄・透さん(家族会副代表)が17日、東京都内で会談した・・・。

 山崎氏の訪朝に対し、「一つの風穴を開けた。弟も喜んでいる」と蓮池透さんは評価しています。

 この記事を書いた中澤雄大氏は、「安倍政権の対北朝鮮「圧力」強硬路線に、被害者家族から疑問符が付けられた格好で、今後の政府の対処方針に微妙な影響を与えそうだ。」と書いていますが、蓮池透さんの発言をもって「被害者家族全体の意見」とするような書き方には、問題が有ると思います。

 この記事について論評しているブログがいくつか有りましたが、中には、「そうか、家族会は、安倍さんのやり方に異論があるのか」とか、「山崎氏の訪朝はけしからんと思っていたけど、家族会副代表の蓮池透さんが言うのなら、そういう見方が正しいのかな」というような感想もありました。結構、家族会副代表の蓮池透さんというのは、世論に対して影響力を持っているようです。

 しかし、家族会副代表とはいうものの、蓮池透さんは、失礼ながら既に家族会とは遊離している存在です。以前から、政府に対して毅然とした対応を望む家族会の意向と異なり、「対北朝鮮宥和論」を主張しています。今回のことも、家族会と何の相談もせず独自で会談したのではないでしょうか。

 別に、蓮池透さんが個人的にどんな言動をしようが自由ですけど、「家族会副代表」という看板を背負って、「家族会」の意向に沿わない言動をするのは、望ましいことではないでしょう。独自の活動をしたいのであれば、「家族会副代表」の座から去るべきではないのですか。

 蓮池透さんには、蓮池透さんの事情というものが有るんでしょうから、あまり非難がましいことは言うべきではないのでしょうけど・・・。

 ところで、安倍首相の「拉致問題」に関する熱意はこういうところにも現れています。↓

議長声明に「拉致」異例の明記 東アジアサミット閉幕

 【セブ(フィリピン中部)=藤本欣也】東南アジア諸国連合(ASEAN)や日中韓、インドなど16カ国が参加する第2回東アジア首脳会議(サミット)が15日、セブで開催され、北朝鮮に対し拉致問題など国際社会の懸念に積極的に取り組むよう明記した議長声明を発表し、閉幕した。サミットでは、安倍晋三首相が16カ国による「東アジア経済連携協定(EPA)」構想を提唱し、研究を開始することでも正式合意した。

 北朝鮮と外交関係をもつ東南アジア諸国や中国、韓国が参加する首脳会議の声明に拉致問題が明記されたのは異例だ。


 「拉致問題」に関する限り、安倍首相の方針は間違っていないと思います。間違っていないからこそ、対北朝鮮宥和論者からの批判が絶えないのでしょう。



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新自由主義というのは、「すべてを、あの方に委ねなさい」(Let It Be)という事

2007-01-18 | 構造改革
 「復活!三輪のレッドアラート!」の三輪耀山さんが「破壊を求める者(後編)」のエントリーで、野口旭の「ケイザイを斬る!」 第4回 清算主義=無作為主義の論理と現実を紹介されていました。

 私も、そこから、冒頭の部分を引用させてもらいます。

 野口旭の「ケイザイを斬る!」

 第4回 清算主義=無作為主義の論理と現実

 ●清算主義vsリフレ主義

 近年の経済論壇で最も話題になった書物の一つは、間違いなく竹森俊平氏(慶應大学教授)の『経済論戦は甦る』(東洋経済新報社)であろう。この本は、ジョセフ・シュンペーターの「創造的破壊」という考えに代表される「清算主義」と、アービィング・フィッシャーの債務デフレ論から導き出される「リフレ主義」という対抗軸を設定することによって、1930年代の大恐慌をめぐる論争と現在の日本のデフレ不況をめぐる論争の相似性を見事に明らかにしている。

 この竹森氏のいう清算主義とは、資本主義経済において不況が生じるのは不可避であり、むしろ不況という「破壊」を通じてこそ非効率な企業や雇用の淘汰が進み、新たな成長の基礎が準備されるという考えである。

 それを最も典型的に体現するのは、大恐慌時のアメリカのフーバーの政権で財務長官を務めていたアンドリュー・メロンによる、「労働者、株式、農民、不動産などを清算すべきである。古い体制から腐敗を一掃すれば価格は適正になり、新しい企業家達が再建に乗り出すだろう」という発言である。

 実際、フーバー政権は、大恐慌の最中に銀行や企業が次々と潰れていくのを静観するのみで、積極的な景気回復策を何もしようとはしなかった。その結果、アメリカの国内景気はさらに悪化し、失業率は遂には20%を超え、GDPは半減するまでに至ったのである。

 竹森氏の上記著作は、大恐慌期に各国で行われた清算主義派とリフレ派との間の忘れ去られた論争を、現代に生き生きと甦らせている。しかし実は、忘れ去られている興味深い人々は、そのほかにも大勢いるのである。


 フーバー政権は、大恐慌の最中に銀行や企業が次々と潰れていくのを静観するのみで、積極的な景気回復策を何もしようとはしなかったそうです。それは、財務長官を務めていたアンドリュー・メロンの「不況という「破壊」を通じてこそ非効率な企業や雇用の淘汰が進み、新たな成長の基礎が準備される」という考えからだったとか。

 アンドリュー・メロンも「神の見えざる手」を信奉していたようですね。「不況」は、古い体制から腐敗を一掃する為に必要なことであり、「不況という破壊」を通じて、淘汰されるべきものは淘汰されて、本来の在るべき姿に収斂されていくという考え方をとっています。

 アンドリュー・メロンら古典派の自由放任主義者のやったことは、例えば、消防隊が、火事の現場にいながら、「神のなされるままに」といって消火活動を行わないのと同じです。さらに酷い事に、彼らは、火事の現場を封鎖して、火事を鎮火しようとする人々の行為を全て拒否するような事さえ行います。

 「不況という破壊」を通じて、淘汰されるべきものは淘汰されて、本来の在るべき姿に収斂されていくという、このような考え方を、清算主義と呼ぶそうですが、「破滅」を忌避するのではなく、「破滅」を肯定し、「破滅後の世界」をむしろ希求するのは、「ノアの箱舟」的発想であり、また、「黙示録」的世界観とも言うべきものがあります。いずれにせよ、キリスト教に、このような「破滅への願望」が見え隠れするように感じるのは、私の気のせいでしょうか。

 「すべてを、あの方に委ねなさい(Let It Be)。人が小賢しい真似をして、神の計画を邪魔してはいけない。」という事なのでしょう。マルクス主義者の唱える「歴史の必然」と同様の考えです。 

 新自由主義(=古典派)の経済担当者は、前述の役立たずの消防隊と同じ事をしているのです。不況のさなかにあっても、不況に対して何の手も打たない。「不況」もまた「歴史の必然」と捉え、ただ、市場原理に任せて、淘汰されるべきものは淘汰させてしまえという「虚無的」とも言える態度を取ります。そして、「不況に対して何らかの措置(財政出動)をすべきだ」という声に対しては、そのような事を行っても何の効果も無いとにべも無くはねつけます。(それを正当化するため、彼らは「ケインズは古い」と喧伝しています。)

 結局、彼ら(=新自由主義の経済担当者)は、は「何もしない」、「何もさせない」事が自分の仕事だと思っているのです。竹中さんの5年間は、ケインズ主義者に何もさせないための5年間だったのです。


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