Dogma and prejudice

媚中派も媚米派も同じ穴のムジナ
従属主義的思考から脱却すべし
(言っとくけど、「媚米」と「親米」は違うんだよ)

「神の見えざる手」?・・・そんなものが有ったら苦労はしない

2007-01-11 | 構造改革
 新自由主義という、「自己決定」「自己責任」ルールこそ、現代の最先端のルールだと思い違いをしている人も多いようですが、こんなものは、18世紀のアダム・スミスが唱えた古色蒼然とした思想の焼き直しに過ぎないのです。

 アダム・スミスは、「神の見えざる手」という説明をしています。

 彼は「国富論」の中で、各個人が弱肉強食の中で富の獲得をめざせばめざすほど、つまり経済的自由競争になればなるほど、そこに「神の見えざる手」が働き、世界が予定調和の世界に導かれるという説を立てました。

 しかしながら、実際に、「神の見えざる手」などというものが存在していて、それが発動していたなら、世界大恐慌などというものが起こる事など無かったはずです。「神の見えざる手」は、恐慌も戦争も防いではくれなかったじゃないですか。

 「各個人が、欲望の赴くままに好き勝手に行動しても、最終的には、「神の見えざる手」によって、すべてうまくいく」・・・これが、彼らの理念なのですが、こんな事を真面目に信じている人は、ちょっとおかしいのではないですか。

 いくら、名称を新自由主義に変更しようと、その実体は「神に対する無限の信頼」を根拠にする「経済学」というよりも「宗教学」とでも呼ぶべきものであり、宗教的原理主義なのです。こんなのは、アメリカの清教徒の宗教的信念に基ずく妄想に過ぎません。

 キリスト教的伝統のない日本で、キリスト教徒でもない日本人がこういうものを有り難がっている現状というのは嘆かわしいの一言に尽きます。



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