先回鹿嶋は、「神語アリ」の思想(仮説)は、そう突拍子もないアイデアでもないのでは・・と申しました。
それらしき思想は、結構聖書にちりばめられているようにもみえるのです。
今回は、このことを聖句と照合しながら考えてみます。
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これに相当する代表的な例は「いのちの書」ですね。
この言葉は聖書には沢山出てきます。
まず、これからみてみましょう~。
<「正しい者」が書きしるされる書物>
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「彼ら(ダビデに敵対するもの)が、いのちの書から消し去られ、
正しい者と並べて、書きしるされることがありませんように」
(詩篇、69:28)
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~ここでは、「いのちの書」には「正しい者」が書きしるされ、「悪しき者」は消し去られる~といってるようです。
だとしたら、この書は人間にとっても、重要な書物ですよね。
だが、その内容については、ダビデは何も書いていません。
どうしてでしょうね。
<聖と呼ばれる者が書きしるされた書物>
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「シオンに残された者、エルサレムに残った者は、聖と呼ばれるようになる。
みないのちの書にしるされたものである」
(イザヤ書、4:3)
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~これはどうでしょうか?
ここでイザヤは「いのちの書」には「聖と呼ばれる様になるもの」が書きしるされる、といっています。
だけど、それ以上のことは何も述べられていません。
説明なし。
何だって言うんだ・・・。
<福音を広める者は記されている>
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「ほんとうに、真の協力者よ。あなたに頼みます。
この人たちは、いのちの書に名の記されているクレメンスや、そのほかの私の同労者たちとともに、
福音を広めることで私と協力して戦ったのです」
(ピリピ人への手紙、4:3)
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~パウロも「いのちの書」をいってるんだよね。
手紙の中で当たり前のように言っている。
クレメンスたち~福音を広める~同労者の名は「いのちの書」に記されている、と言っています。
だけど、それがすなわち、パウロが「いのちの書」を読めたことにはなりませんよね。
パウロはクレメンスたちの働きを見て、その名はいのちの書に記されているに違いないと推測(確信)して書いている(名前の文字を見たわけではない)可能性が大きいでしょう。
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ヨハネが見せられた幻を記した「黙示録」にはこの書物名がなんどか出てきます。
次回にはその聖句をレビューしてみましょう。
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