前回、世界観は自分をそのなかに位置づけて理解させ、心を安定させてくれる、といいました。
すると、自分に一体感、統一感も増す、といいました。
今回は、世界観のもう一つの働き、機能を考えましょう。
<事象の解釈ももたらしてくれる>
それは、自分だけでなく、自分が認知する様々な事象も、その中に位置づけて、その意味を解釈させ、理解させる働きです。
たとえば、貧しい若者がたくさんいるという事実を知ったとします。
世界観はそのことにも「理解」をもたらしてくれます。
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マルクス思想の世界観は、それを資本家の搾取の故、と理解させてくれます。
資本家が悪であり、「それを世の中からとりのぞかねばならない」、という実践意識にもそれは展開します。
他方、「世界には神様がいて、その方は人間をこよなく愛してくださっている」という世界観は別の理解をもたらします。
神様はいま、その若者たちを、幸せになるように訓練されている、というようにね。
そういう「理解」ももたらすのです。
望「世界観は事物の理解も与えてくれる、ということか・・・」
~そして、その理解の仕方もまた、世界観によって異なるということですね。
<共有すると共同体をつくる>
もうひとつあります。
一つの世界観を複数の人が共有すると、共有者の間でのコミュニケション効率が飛躍するのです。
なぜなら、共有する人々の間では、ものごとの理解や評価の仕方が同じになるからです。
すると、自分を通して、相手を理解できてしまえるのですね。
望「自分と似ているから、即座にわかり合いができるようになるのでしょうか」
~それだけでなく、物事への感動の仕方も愛憎の念も似たものになりもするでしょう。
人間、そういう相手には、特別な安心感を持ち、愛情を持ちます。
すると相互に深い一体感が生まれます。
望「それは気持ちいいでしょうね」
~そう。だから、この人たちは出来るだけ多くの時間、互いに一緒にいたいと思うようになる。
そしてそれが常態化して、自然にコミュニティが出来上がっていきます。
世界観は、それを共有する人たちは、相互に特別扱いしあう共同体を作っていくのです。
<共同体拡大の壁>
望「そういう共同体世界って広がっていくものでしょうか?」
~外部の人がその世界観を取り入れば、理解し合える人々になる。だから原理的には広がっていきますが、壁もあります。
望「壁って?」
~現実にコミュニケーション効率が共同体を産むくらいに大きくなるには、大前提があります。
共有言語があることがそれです。
使う言語が違うと、コミュニケーションは劇的に劣化し、それが壁になります。
<始皇帝と信長>
中国の秦の始皇帝はそれを見抜いていた天才的洞察者でした。
古代の中国史には春秋戦国時代という時代がありますよね。
その時代、中国では小部落国家にまでしか広域化できなかった。
広域的にコミュニケーションできる言語がなかったからです。
そこで、部族国家間に利害対立が生じると、戦争で結論出すしかなかった。
それで頻繁に戦争が起きていました。
広域的にコミュニケーションできる言語がなかったからです。
望「同じ漢民族なのに、共通言語がなかったので、広域的に相互理解ができなかったのですね」
~そう、それで戦争が多かった。
そのことを早期に洞察し、一大漢民族国家を実現させようとしたのが、秦の始皇帝です。
当時、漢民族でも南部と北部では言葉が大きく異なっていて、互いに通じ合わなかった。
始皇帝は、それを強権でもって統一させました。
それだけではない。度量衡も一つに統一しました。これで広域的な商取引も可能になった。
始皇帝は長生きしなかったけれど、この基盤作りのおかげで、後に漢民族は大国家になることができました。
漢、唐、宋などがそれです。
望「ということは、いまの中国も始皇帝のおかげで大国家になり得たことになるか・・・」
~現代中国でも、漢民族は全体の九割以上を占めてます。
これが一つになれているのも、始皇帝によるところが大きいでしょう。
日本の織田信長は始皇帝を尊敬していました。
それで日本を統一国家にしようとしました。
望「そうか、それで信長の行動がわかってきました。日本を一大統一国家にしようとしたんですね」
~そのために強烈な政策をとるところも似ていますよね。
始皇帝は、儒学者をみなごろしし、儒学の本を焼いてしまった。
大国家実現にその思想がマイナスになったからでしょう。
望「信長も比叡山の僧侶を皆殺したなあ・・・強烈だなぁ~」
~信長の試みは、暗殺されて中座してしまったけどね。
いやあ、話がどんどん広がってしまった。
次回には、民族主義国家と戦争の問題に話を収束させましょう。
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