鹿島春平太チャーチ

「唯一の真の神である創造主と御子イエスキリスト」この言葉を“知っていれば”「天国での永生」は保証です。

Vol.16   9章 抜群の教育活動と社会改善活動

2016年09月23日 | バプテスト自由吟味者の道





【黒人教育への貢献】


 この時点での黒人は、他人に恩恵を施すようになるとは全く期待されてない存在でした。

  自由は与えられたが、それをどう使っていいかわからない状態でした。

 いってみれば、高価なベネチアングラスの花瓶をおもちゃとして与えられ、ただ途方に暮れて立ち尽くしている子供みたいなものでした。


  バプテスト自由吟味者たちは、彼らを入念かつ慎重に導き育てました。

それは国内宣教師がした仕事としては、教会史上最も素晴らしいものといっていいでしょう。




  バプテストたちは学校を建て、教会を建て、あらゆる種類の施設を建設しました。

 自分たちの利害を度外視し、黒人だけのためにそれを行いました。

  何時か誰かが、このバプテストたちの偉大な働きについて書くでしょう。

 黒人教育物語のなかでも、バプテストは偉大なヒーローとして描かれるでしょう。

 
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  奴隷時代にも解放後の時代にも、自由吟味者は多くの黒人をイエス・キリストへの信頼に導きました。

 1954年時点で、黒人バプテスト教の会員数は700万人余を数え、教会数は3万7千を超えています。




  宗教要素を含んだ教育こそが、自由を守る防御装置になるというのが、バプテストの確信でした。




 黒人たちの自由が危機に瀕する時には、その教育が彼らを救い出すことになると彼らは信じていました。

  バプテスト自由吟味者が建てた黒人学校の数は、他の教派のそれを圧倒しています。




【群を抜く教育活動】


  近代バプテストといえば、政教分離国家実現への輝かしき貢献が、まず思い浮かびます。

  だがこれを賞賛するあまり、彼らが教育によって我々に与えたものを忘れてはなりません。


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  バプテストが行った宗教要素込みの教育貢献は全国に及んでいて、ただ南部空間に限られるものではありません。

 時間的にも、奴隷解放時に限られていません。

  バプテストはいつでも何処でも教育者なのです。




  日曜学校を創始したのもバプテストです。

 ロバート・ライクスがその創始者です。

  その学校は教師を有給で雇い、日曜毎に、親の貧しい子供たちのために、門戸を開きました。

  そこでは宗教的な事柄だけでなく、この世を生きるのに必要な知識も教育しました。




  聖書に関する大衆向きの学校を史上初めて設立したのは、ウィリアム・フォックスでした。

 1783年のことです。

  彼はバプテスト教会の裕福な執事でした。


  1875年までにすでに、フォックスとバプティストの支援者の教育活動は、広範囲に展開していました。

 彼らはその運動組織を「日曜学校支援と奨励のための協会」と称していました。


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  アメリカで最初に日曜学校が設立されたのは、1815年です。

 場所は第一フィラデルフィア・バプテスト教会内でした。

  最初の日曜学校新聞も一人のバプテスト自由吟味者が発刊したものです。

 『ヤング・リーパー(若き刈取り人)』というの がその紙名でした。

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  『国際正規日曜学校授業』というのもそうです。

 シカゴのバプテスト信徒、B.F.ジェイコブズが創始者です。





【社会改善活動でも先端を切る】


  バプテスト自由吟味者の活動は、さらに新しい方向に進展しました。

 かの著名な欧州人ビッサー・フーフトはこういっています。

「米国キリスト教の明白な特徴の一つは、教会の社会活動が盛んなことだ」~と。

 けれども、この言葉には「とりわけ盛んなのは、バプテストによる活動だ」と付け加えるべきでしょう。


    

  この国のクリスチャン社会運動には、旧約聖書に出てくる大予言者エレミアのような人がいます。

 燃えるがごとき聖なる魂をもったバプティスト自由吟味者、ロチェスターのラウシェンブッシュ牧師がその人です。

 彼は人間に通じていて、それ故に人間愛に満ちていました。

  彼は年少者労働に関する本を夜通し読んで、朝になると自ら教える教室に入り、子供たちの悲惨な姿を学生に伝えました。

 その泣き声を、学生の心深くに、白熱した釘を打ち込むように、打ち込みました。


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  ベダー博士という人もいました。

 彼は年少者労働の恐ろしさを、誰も反駁出来ない論法でもって語りました。
 
それを歴史家の姿勢で、語りました。

  また、創造神の御旨が、この地上の人間の間でも成し遂げられるべきことを、明確に論証しました。

 天国で天使たちの間で成し遂げられているように、というのでした。




  ラウシェンブッシュとベダーの掲げた旗に、何千というバプテスト自由吟味者が続きました。

 彼らは社会正義、経済正義のために戦いました。

 この種の戦いは20世紀という世紀の特徴になりました。



  1914年、二人はアメリカ醸造業協会の年報に、「醸造監督と醸造の敵」としてその名を記されました。
 
 (この業界では年少労働者を多数使用していたのであろう・・・訳者、註)。

 だがそれは彼らには名誉なことでした。


  

  1924年には、バプテスト教会の壁は、第一次世界大戦死者の名を記した記念銅板で一杯になりました。

  この事態に対し彼らは次のごとき宣言をしました~。

  「・・・教会は戦争を呪い、聞く人を当惑させているだけでは足りない。もっと実践的な役割をはたすべきだ。平和に役立つ事柄について議論し、それを促進しよう」~と。

  これは古代ローマ神話の軍神マールスへの、公的なアッパーカットでした。

 (マールスは勇敢な戦士として慕われたローマ神話の神。青年の理想像とされた・・・訳者註)

 戦争に対する姿勢を、180度方向転換したのです。


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  「バプテストたちはまだバプテスト特有の精神を認識していない」と評する人もいるかも知れません。

 だがそれは、早まった判断というものです。

バプテストたちは、自分たち固有の精神をよく識っているのです。




 彼らは、語るべき時が来たときに、ものごとを明白・率直に語る、という習性を持っています。

 それまでは、本音を語りません。





聞く人が当惑しようと・・・。

  彼らは変化に富んだ人間なのです。

  
  でも、個人の自由、思想の自由を説くために、他に方法があるでしょうか?






  彼らは品種改良された人間です。

 時として既成社会の法律を超えてしまいます。

 無鉄砲で、休む事なき型破り人間です。

 社会に自ら溶け込んでいくようなことは、出来ない人間なのです。


  矛盾してる? 

 そうです、矛盾に満ちた人間なのです。




  彼らは社会において、精神的骨組みを支える道徳的筋肉の役目を、担っています。




 彼らは昔から一貫して愛国者でした。

 母国のため建設的に働き、自由が否定される時には常に、いのちを投げ出して戦いました。


 旧約時代にフルがモーセの腕を支えたように、彼らはクロムウェルの腕を支え、ワシントンの腕を支えてきました。


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( 旧約聖書の「出エジプト記」17章にモーセがイスラエル軍を率いてアマレク人の軍隊と戦った話がある。 戦はモーセが手を挙げているとイスラエルが有利になり、手を降ろすとアマレクが有利になった。 だがモーセの腕は疲れてくる。 そこでフルがアロンと共に左右でモーセの手を支えて、勝利したと記されている。 著者ミードはこの話を踏まえようとフルを持ち出している。・・・訳者註)
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バプテストは数多くの戦で戦闘部隊に参加しました。

 彼らはまた、ラクノウを救済するためにヘンリー・ハブロック卿を送りました。

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( インドのラクノウを中心に英国支配に反対するインド人の反乱が起きた。セポイの反乱と呼ばれ、インド人初の独立戦争ともいわれる。バプティスト教会から、インド人救済のためにハブロック卿が派遣されたのだろう。バプティストが抑圧されている側を支援するのは当然だから、著者ミードはインド人支援を敢えて明記していないのであろう。・・・訳者註)
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  テキサスにはサムエル・ヒューストンを送りました。


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(ヒューストン(1793-1863)は米国の軍人、政治家。後にテキサス共和国大統領、テキサス州知事になった。・・・訳者註)
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  けれども、もしもクロムウェル、ワシントン、ヘンリー卿、サムエル・ヒューストンらが、国家によかれと思って創造神を否定するようなことをしたらどうか。

バプテストはこの人たちを否定したでしょう。


 そういう低級な愛国心が、一瞬でも目に留まったら、彼らは即座にその人物を否定するのです。


  実際、彼らはそれまで幾度も幾度も国家を否定してきました。

 創造神の王国(天国)への忠誠のために、国家を否定してきました。


  彼らにはそうする心が、高級な愛国心なのです。




 そうでありながら彼らは、実際に現実世界で国家のために戦ってきました。

  矛盾? 

 そう、これは矛盾です。

 だが、そういう矛盾は必要なのです。





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たとえば、かなりな数のバプテスト教会には、宣教活動に反対する感情が強固にありました。

 そうである一方で、自由吟味教会は世界にカレー、ジャドソン、ライスといった宣教者を送り出しました。。

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  またバプテスト自由吟味者は、幼児洗礼を否定していました。

ところがその一方で、我々に子供の為の日曜学校を提供してくれました。

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 一般教会員には教育活動の効果を疑問視している人が沢山いました。

そうである一方で、彼らは多数の学校を世に贈りました。


 単科大学では、ベイツ、バックネル、コルビー、デニソン、フランクリン、バッサー、ウエイクフォレストなどがそれです。

 総合大学には、バイラー。ブラウン、コルゲート、リッチモンドなどがあります。

 その他、神学校を18校設立したし、多数の中等学校をも造りました。

 この時点でバプテスト派は、米国の他のどの教派よりも多くの資金を、教育に投下しています。


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  自由吟味者はまた、簡素な礼拝を愛していました。

だが、その一方で彼らはイスラエルで、美声の歌手の集団を作りました。
その数は数えられていないのですが・・・。

 またバプテストからは、多くのゴスペルソングが出ました。


(それらの多くは南部バプテスト地帯で造られたので、今日ではサザン・ゴスペルの名で呼ばれ、福音音楽の一ジャンルを形成している。これらはサザンバプテスト教会の礼拝でもうたわれ、それを歌うプロのゴスペル歌手がたくさんいる。・・・訳者註)



その題名のいくつかをここに挙げておきましょう~。


「我等が絆に祝福あれ」
「朝の光」
「アメリカ」
「イエス王座に座したまえり」
「嵐のヨルダン川土手に我は立てり」
「祝福の泉に来たれ」
「比類なき価値」
「目覚めよ」
「わが魂よ」
「堅き土台」
「我が希望は主にあり」
「砦を固めよ」
「イエスの名の力」
「救い主よ」
「死にゆく愛に」
「聖なる聖なる聖なるかな」
「ヨルダン川に集おう」
「イエス我を導きたもう」
「我常にイエスを求む」


これに匹敵する活動を産み出している教派は、他にあるでしょうか?

矛盾ですか?


~これを矛盾というならば、そういう矛盾は最大限に活用すればいいのです。



(Vol.16   9章 抜群の教育活動と社会改善活動   完)







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