福谷章子のまちづくり

さまざまな役割を持ちながら暮らす中で、日々出会い触れ合う人々、街、文化、自然、出来事についてつづります。

おゆみ野歴史愛好会でおゆみ野を語る

2017年03月21日 | おゆみ野の歴史


1か月ほど前に
「1時間半ほど時間があるので、何でもいいから語ってくれないか」
という依頼を、おゆみ野歴史愛好会から受け、とても困っておりました。

というのは、この会は発足して10年ほど経過していますが、その間、かなり詳細に地道に歴史に関する学びを続けています。
さらに、構成しているメンバーの人生の歴史も長い方々が多く、とても見識が高いのです。

そもそも専任講師がいて、それは元泉谷中学校の校長先生だった本保弘文さん。
その専門性の高さは、房総史譚というブログをご一読ください。

このように様々な観点で身近な歴史を学び続けている方々にお話しできることとは・・・?

悩んだ末に、学んでこられた歴史を踏まえて、今、まちづくりに踏ん張っている状況をできるだけ客観的にお話しし、未来に向けて意見交換をする場にしようと決心しました。
「歴史」に切り込むのではなく「住民自治」を柱に据えてはどうか、という入れ智恵をいただき、ピンとひらめいたのです。

泥縄ではありますが、おゆみ野を開発した事業者がまとめた報告書を読みあさり、10年以上前にまとめた研究紀要に使うために作成したおゆみ野の団体活動年表をリニューアルしてみました。

すると、昭和41年から昭和59年までの、公的機関が開発に関わりまちを作って来た時代と、昭和59年の街びらき以降の住民組織が上からや下からやと次々生まれて活動を展開してきたまちづくりの時代との対比が興味深い形で現れました。

おゆみ野は、縄文時代、平安初期、そして今という3回のニュータウン時代があった、ということも今回準備する中で知りました。

後半の意見交換も活発でした。

折しも、千葉市が産業誘致を発表した明大農場が当初のおゆみ野の開発計画に含まれていたことから、明大農場の今後のことが話題になり、
高齢者が一時的に飛び込める相談場所がどうあるべきかということに話題が移り、
最後まで活き活き暮らしたいと思っても、移動が出来ないので福祉的な輸送をなんとかしようではないか、
などと、議員時代にしばしばやっていた対話会のようになりました(^^;

歴史を語り、それをもとにして未来について考えるのは楽しい事だと実感します。

尊敬していた今は亡き考古学者が、「歴史を学ぶのは未来をよりよく生きていくため」と仰っていたのを思い出しました。

おゆみ野歴史愛好会で講演する機会をいただき、わが居住地おゆみ野の極めて近い現代について情報収集できたので、もう少し詳しく調べて見たいと思います。
良い機会をいただいたことに感謝しています。




最新の画像もっと見る

コメントを投稿