スポーツジムの帰り道、上弦の月を見上げながら、高校時代のことを思い出していた。
高1の秋から一年以上、おれは浩介に片想いをしていた。あの時はどんな形であってもいいから、とにかく浩介と一緒にいたいと思っていた。
当時のおれが今のおれをみたら何て言うだろう。きっと「ぜいたくだ!」と怒りだすだろうな。
ずっと好きだった浩介から、こんなにも愛されて、求められて、一緒に暮らせているというのに、他のことで頭を悩ませているなんて。
もっとシンプルに考えよう。おれの願いはなんだ? それは浩介と共に生きること。それ以外何もいらない。
だったらもう、他のことはどうでもいいじゃないか。
………。
とは言っても……。
医師の仕事をまっとうしたいし、おれのせいで人に迷惑をかけるのは嫌だし………。
でも、浩介と一緒にいることは譲れない。
やっぱりぜいたくなんだろうな。
***
『性的指向と医師としての腕は関係ない。二度とそんな話をするな。馬鹿馬鹿しい』
外科の外村先生がそうガツンと怒ってくれたそうで、病院内での表立っての批判めいた声は落ちついた。看護師軍団は、西田さんの誘導のおかげか、わりと好意的な対応をしてくれているので、仕事自体に支障がでることはない。
ただ、患者さんの中で噂は流れはじめていて……
正面切って、幼稚園生の女の子に「男なのに男を好きなんて変だから直したほうがいいよ」と言われた時には、さすがに凹んだ。その子のママは、あわてて娘の口をふさいで愛想笑いしてくれたけど……みんなそういうこと言ってるんだろうなあ……。
これで患者さんの数が減っていったら……病院自体に変な噂をたてられたら……考えだしたらキリがない。
病院で平気なフリを演じている反動で、一度病院を出るとドッと疲れが押し寄せてくる。
家に帰れば浩介がいてくれて、心配してくれていることも、愛してくれていることも分かっているのに、不安になる。いや、不安というか……もっとちゃんと見てほしい、と思ってしまう。もっと愛してほしいと思ってしまう。
今、浩介と一緒にいるために、おれはこれだけ大変な思いをしているんだから、その分を埋めるくらいちゃんと愛してほしい……なんて、ヒドイことを思ってしまう。
こんなあさましい自分は嫌だと思うのだけれど、我慢できない。でも、そんなことを言って、浩介に嫌われたくない、なんて今さらなことを思って、ドツボにはまっていく……。
でも、カミングアウトして約10日後。
その抑えきれなくなった思いの一端を浩介にぶちまげて、いつもよりも激しく体を重ねたら……なんか吹っ切れた。
もう、なるようになれ、だ。
おれは別に悪いことは何もしていない。堂々としていればいいんだ。
今さらだけど、そんなことを思った。
**
そう吹っ切れた翌日、土曜日のこと。
「やっぱり、渋谷先生じゃないとダメだわー」
本日最後の患者さん。小学校一年生の男の子と幼稚園の年中の女の子のママである藤木さんが明るく言ってくれた。大柄で迫力のあるママなんだけれども、子供も負けず劣らず大柄で腕白。毎回「先生聞いてよー」と愚痴からはじまるママなのだ。
今回は、風邪治りかけの二人を連れてきた。
なんでも、火曜日の朝に二人一緒に熱がでてしまい、火曜日はおれが休みでいないため、駅前のクリニックに行ったそうなのだ。でも、そこでは二人が代わる代わるにギャンギャン騒いだせいでロクな診察もできなかったそうで……
「渋谷先生は怒るときはビシッと怒ってくれるから、うちの子たちも大人しーく診察うけてくれるんだよね。やっぱ男の先生ってのはそういうところがいいよね」
二カッと笑う藤木さん。そして、ケロッと言い放った。
「そのくせ、女みたいな気遣いができるってーのは、やっぱりゲイだからなの?」
「……っ」
ブッと思いっきり吹き出してしまった。ここまではっきりと保護者の方から言われたのは初めてでビックリした。後ろに控えていた看護師の谷口さんも「えっ」と驚きの声をあげる。
「あれ、看護師さん、知らんかった? 渋谷先生ってゲイなんだよ。ねえ? 先生」
「は……はい」
思わず肯く。藤木兄妹は「ゲイってなんずら?」「芸能人ってことずらよ」と、流行っているアニメの方言を使ってボソボソ言い合っている。
藤木さんに声をひそめて聞いてみる。
「あの……その話、どこから……」
「みんな言ってるよ?」
引き続き、ケロリとしていう藤木さん。みんなというのはどこまでのみんななんだろう……
「で、みんなで言ってたんよ。先生がこれだけ色々気を回せるのはゲイだからだったんだねーって」
「………」
なんだかよくわからない世間一般のゲイの定義……
「あ、先生」
ふいに藤木さんがおれの左手を指さして首を傾げた。
「指輪、最近してないって噂聞いてたけど、ホントにしてないんだね」
「あ……」
実は『男の恋人がいる』と掲示板に書かれてから、指輪をするのをやめてしまっていた。
「先生、結婚してたけど離婚したってこと?」
「あ、いえ……違います」
ここまで話すのもなんだけれども、この際だからぶっちゃげる。
「結婚はしてません。あの指輪は彼とお揃いで作ったもので……」
「なんでするのやめちゃったの? 別れたの?」
「別れてません!」
思わず力強く否定すると、藤木さんがケタケタ笑いだした。
「じゃあ、すればいいじゃん。そんな力いっぱい『別れてません』って、先生かわいいね」
「………」
うまく乗せられてしまった…。
「ねえ、その彼と付き合ってどのくらいになんの?」
「高校の時からなので、24年……」
「え?!」
谷口さんも一緒になって「え?!」と言う。
「ちょっと待って。先生、いくつなの?」
「……41です」
「えーーーー!見えなーい! しかも高校からずっとって長っ! 純愛な感じでいいじゃーん!」
うわーこの情報はみんなに流さないとーと藤木さんはブツブツ言いながら立ち上がった。
「それじゃ、先生。彼氏によろしくね」
「……はい。お大事に」
もうここまで言われると笑うしかない。
藤木さん親子がにぎやかに出て行くと、谷口さんがブツブツと言いはじめた。
「藤木さんは、上の子が〇〇小で、でも下の子は××幼稚園で、△△小に上の子がいる子が多いから……、今の話、来週中にはここら辺一体の幼稚園小学校のママ達に伝わりますよ」
「谷口さん、詳しいね」
ビックリして言うと、谷口さんはちょっと肩をすくめた。
「インフルエンザとか嘔吐下痢とか学校幼稚園単位で流行りますから、どの子がどこに通ってるかはチェックするようにしてるんです」
「ああそうか。なるほど」
こういうところ、看護師さんには本当に助けられている。
「こういう噂もインフルエンザとかと一緒ですもんね」
「確かに……」
「でも、いい傾向ですよ。藤木さんはボスママなので、そのボスママが良いといえば、みんな良いに傾きます」
ボスママ? なんだそりゃ。
首を傾げると、谷口さんは苦笑しながら言いきってくれた。
「気にしないでください。先生は今まで通り、患者さんに向き合っていてくれればいいんです」
「…………。ありがとう」
数秒の間の後、頭を下げる。
そうだ。今まで通り。おれは何も変わらない。今まで通りでいいんだ。
***
診察が終わったら電話してほしい、と戸田先生からの伝言があったため、電話してみると、
「桜井さんの実家の住所を教えてください」
と、言われた。もしかしたら、昨日、浩介の母親がクリニックを訪れたかもしれないらしい。戸田先生ではない先生が担当をしたそうで、今朝のカンファレンスで戸田先生が気がついたそうだ。
浩介の実家の住所の市区町村まで答えると「やっぱり!」と戸田先生がはしゃいだ声をあげた。ビンゴらしい。
「桜井さん、ゴールデンウィークに渋谷先生のご一家と一緒に、近くの大型商業施設に行きませんでした?」
「ああ……行きました」
ゴールデンウィークは、おれが病院に出勤しなくてはならない日もあったので、結局3日しか休みはなかった。
それなので、一日は家で延々とウダウダして過ごし、一日は、浩介の勤務する学校の卒業生である目黒樹理亜の家へ、飼い猫を見に行き(そこで知り合った、三好羅々という19歳の少女がやたらと浩介にラインを送ってくるので、ちょっとムカついている心の狭いおれ)……
そして、もう一日は、おれの母と妹の南の娘の西子ちゃんと4人で、近所の大型商業施設に行った。この近くに浩介の実家があるので、浩介のご両親と鉢合わせしたらどうしよう、と思ったのだが、浩介が「うちの親がこんなところにくるわけないでしょ」と言うので、みんなで車で行ったのだが……。
「桜井さんのお母さん、そこで桜井さんのことをご覧になって、自分も息子と一緒に買い物をしたいって思ったそうです」
「……………」
ぐっと胸が詰まる。そこで話しかけてこなかった浩介の母親の気持ちを思うと……。
「そうするためにはどうしたらいいかってご相談くださって」
「そうですか……」
まずは一歩前進だ。きっとうまく行く日がくる……。
「これから桜井さんの予約の時間なので、そのことをご本人にもお伝えしようと思いますけど、よろしいですか?」
「それはもう、お任せします」
戸田先生は信頼のできる心療内科医だ。
先日も、浩介がずっと不安に思っていたらしいことを、あっさりと解決してくれた。その不安というのは、
どうしておれが浩介を好きになったのか?
そんなことは、好きになったんだから好きってだけでそれ以上でもそれ以下でもないのに、浩介はその理由を知りたかったらしく……。
戸田先生は、おれの「保護欲」がかきたてられたからだ、と言って、浩介を納得させた。
でも、実はあとから、戸田先生にコッソリ言われた。
「保護欲云々の話は、桜井さんを納得させるためのこじつけみたいなものなので、あまり気にしないでください」
「………」
そうだったのか!とおれまで納得させられていたからビックリだ。
でも、こじつけでもなんでも、これで浩介が落ちついたのは事実で、瞳の奥まで穏やかになった気がする。そして、逆にこのカミングアウト問題でおれがボロボロになっているところをずっと支えてくれていた。
この調子なら、ご両親との確執も、解決の方向に進んでくれるのではないか、と期待してしまう。
今日、浩介の母親も一歩踏み出してくれたという話を聞いて、浩介はどう思うのだろう。
………と、思っていたのだが。
2時半過ぎ、先ほど話したばかりの戸田先生から電話がかかってきた。
「桜井さん、まだいらっしゃらないんですけど、何か聞いてませんか?」
予約は2時……。生真面目な浩介が遅刻をするとは思えない。何かあったんだろうか。
「まさか、まだ寝てんじゃねえだろうな……」
昨晩、浩介がギブアップするまでやり続け、今朝も無理矢理叩き起こして一発抜いてから、ヘロヘロの浩介をベッドの上に置き去りにして出勤してきたからな……
なんて絶対に人には言えない話を飲み込んで、浩介の携帯にかけてみる。呼び出し音はするけれど出ない……。
「…………」
電車の運行状況をチェックしたが、うちからクリニックの最寄り駅までの電車に遅延情報はない。
何かあったんじゃないだろうな……
土曜日の診察は午前中で終わったので、あとの仕事はどうにでもなる。早退して家に様子を見に戻りたい。立ち上がり、谷口さんに声をかけようとしたところで、
「………あ」
着信。メールだ。相手は浩介。
(ったく、ビビらせんなよ……)
メールを送れるような状態なら、体に異常はないってことだな?
ホッとしてメールを開き……
「!!」
我が目を疑った。目を一回つむってから、ゆっくり開ける。そしてもう一度画面を見る……
「なんだこれ……」
題名も本文も何もない。あったのは添付の写真だけ。
そこには、裸で抱き合う、浩介と三好羅々の姿があった。
-----------------
以上です。
お読みくださりありがとうございました!
前半は前2回の裏話的な感じで。
そして、慶が吹っ切れた激しく体を重ねた話は、「R18・嫉妬と苦痛と快楽と」でした。
次回は樹理亜視点でいこうかな、と。
また次回もよろしければ、お願いいたします。
そして、クリックしてくださった数人の方々、本当にありがとうございます!
本当に本当に嬉しいです。ありがとうございました!!


↑↑
ランキングに参加しています。よろしければクリックお願いいたします。
してくださった方、ありがとうございました!
「風のゆくえには」シリーズ目次 → こちら
「あいじょうのかたち」目次 → こちら