(浩介視点)
「あー、なんか、帰るのもったいねえなあ」
と、着替えのスペースに入ったところで、慶がため息交じりに言った。
今日は、慶の大学の友達に誘われて、都内のホテルでのビアガーデンに来ている。浴衣のレンタルサービス付きのプランで、着付けは個々にしてくれたが、着替えは、男性は各自で、ということで、帯だけ先に回収され、あとは大広間の中の衝立とカーテンで仕切られたスペースで勝手に着替えることになっている。
「そんなに楽しかった?」
なんとなく、少し、面白くない気持ちで問いかけてしまう。
渡辺恵は、今日も慶に色目を使いっぱなしで腹立たしいこと、この上なかった。 山田さんは、三ツ谷君という彼氏がいるからいいのだけれども……
(渡辺恵、背が小さめなところが余計に気に入らない……)
身長が低めなことがコンプレックスの慶。高校時代、好みの女の子を「自分より背が10センチ以上低い子」とまで言っていたことがある。渡辺恵はおそらく慶より10センチくらい低い。そして、可愛い。今日も華やかな浴衣がよく似合っていた。慶と並ぶとお似合いのカップルに見え……
「楽しかったっつーかさ……」
「!」
おれの暗い想像が、ピタッと止んだ。慶がおれの浴衣の襟をきゅっと掴んで、こちらを見上げてきたのだ。その上目遣い……
(反則だ……)
我慢できずに、素早く唇を合わせると、慶はふにゃっと笑った。
(うわ…………)
その顔、今する? その顔……ベッドの中でする顔だよ?
いつカーテンを開けられてしまうか分からない。隣のブースとの仕切りもそんなに高いわけではないので、背が高い人に覗き込まれたら見えてしまう。そんな空間で……
必死に理性をかき集めて、肩に手を添えるだけにとどめると、慶は、おれの胸のあたりに手をおいた。
「お前、やっぱり浴衣似合うなーと思って」
「え」
「前に、温泉行ったときに、浴衣着ただろ? その時も思ったけど、お前浴衣似合う! 今日はお前の浴衣姿見れて良かった」
「…………」
そんなこと思ってくれてたんだ……
「…………。おれも、今日、慶の浴衣姿見られて良かった」
「なんか、浴衣って特別感あっていいよな」
「うん」
「…………」
「…………」
「…………」
そして、どちらからともなく、もう一度……、と顔を寄せかけたのだけれども、
「渋谷さん! 桜井さん!」
「!」
「!!」
カーテンの向こうから、三ツ谷君の大声が聞こえて、飛び上がってしまった。
「な、なに?!」
顔をのぞかせると、もう洋服姿になっている三ツ谷君がニコニコと立っている。
「僕、先に行きますね! 山田先輩迎えに行きたいので!」
「あ……、うん」
うなずいたのと同時に、慶が後ろから顔を出して、三ツ谷君に言った。
「ごめん、三ツ谷君。おれたち、もう少しかかるから、先に帰っててくれる?」
え?
振り返ると、慶がニッと笑った。それって…
三ツ谷君が「了解しました!みんなに言っておきます!」と元気に言って走っていくのを見送ってから、カーテンを閉める。それって……
「慶……」
「ここのホテルの部屋って、高いのかなあ?」
それって!
「高くてもいい! 空きがあるか聞いてみるね!」
「おー。ま、その前に着替えようぜ?」
さっとおれの腰帯を解いてくれる慶。おれも負けじと慶の結び目を解く。
「…………」
「…………」
襟がはだけて白い首筋がむき出しになる。その肌に口づけたい……
「慶……」
我慢できずに、鎖骨のあたりに唇を落とすと、慶が優しく頭を押し返してきた。
「………あとで」
「………うん」
キュッと一瞬だけ抱きしめる。
「先にフロントいってこようかな」
「おお頼む。浴衣返しておくから、このままでいいぞ」
そうと決まれば早い。浴衣を脱ぎ落して、洋服に着替えると、フロントに急いだ。と、同時に、あかねにメールを打つ。
『今日はありがとう。また連絡する。感想教えて』
実はあかねには、渡辺恵の見極めをお願いしていた。このまま放置でいいのか、それとも何か強固な策を取るべきか……
(たくさんの女の子と遊んできたあかねのことだから、何か良い案を教えてくれるに違いない……)
そんなことを思いながら、フロントについたけれど、こんな時間なのに、客が列をなしていたため、受け付けてもらえるまで少し時間がかかってしまった。でも、わりと上層階の良い部屋が取れた!
(ちょっと高いけど、ボーナス残ってるし!)
そのためのボーナスだ!
嬉しくて、思わず拳を握ってしまったところで、
「……あれ?」
視界の隅に、走っていく渡辺恵の姿を捉えた。外に出ていくようだ。
(帰るのかな?)
あかねのことだから、渡辺恵のことを飲みにでも連れて行くかと思ったのに……。走っているところをみると、用事でもあったのだろうか。
(ま、いっか)
そんなことはどうでもいい。おれはこれからロマンティックな夜景の見える部屋で慶とゆっくり過ごすんだ。
普段は一人暮らしをしている狭い部屋で過ごしているおれたち。こんなところでお泊まりできるなんて、なんというご褒美だろう。
「慶!」
待ち合わせのエレベーターホール。壁に背を預けて立っている慶の元にかけよる。
「わりと上の方の部屋がとれたよ」
「おー楽しみだな」
ふわりと笑ってくれた慶。おれの天使。
「…………」
この微笑み、誰にも見せたくない。
おれだけのものにしたい。
誰にも渡さない。
そんな黒い思いに囚われながら、エレベーターに乗り込んだところで、メールの着信に気がついた。あかねからだ。慶に気づかれないようにこっそり見てみると、
『放置で問題なし』
それだけの短い文章があった。
(問題なし……か)
若干不安は残るものの、百戦錬磨のあかねの言う事を信じることにする。
(問題なし。問題なし……)
おまじないのように繰り返しながら、慶の背中にそっと触れると、
「楽しみだな」
慶が振り返り、微笑んでくれた。
完
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お読みくださりありがとうございました!
浩介が今より卑屈で暗かった20代のお話でした。
今回の個人的ハイライトは、脱げかけの浴衣。鎖骨にキス。からの、慶の「……あとで」というセリフ、です。
ということで、ああ、7時21分になってしまうー!とりあえず更新!
またそのうち……。ありがとうございました!
読みにきてくださった方、クリックしてくださった方、本当にありがとうございます!
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