今さら気がついたことなんだけれども……
おれは慶を「抱いている」というより「抱かれている」と感じることの方が多い。
物理的にいうとおれの方が『する側』なのでおかしな話なのかもしれない。でも、その最も物理的な話の時に、よく小説の描写である「貫く」という感覚よりも、「包み込まれていく」という感覚になることが多いのだ。
「抱いている」とか「貫く」と感じる時もないことはないのだけれど、それはたいてい自分が一方的に攻撃的な気持ちになっている時であって、きちんと気持ちまで一つになっているときは、包み込まれていく、とかそんな風に感じる……
「……んだけど、慶はどう思う?」
慶の完璧に整った顔を下から見上げながら聞くと、
「なに冷静に分析してんだよ」
慶はムッとしたように言い、繋いでいる手にますますぎゅうっと力を入れ、
「んな面倒くせえこと考えられないようにしてやる」
「……っ」
ほら、包み込まれていく。捕らえられていく………。
「慶……」
もう、慶のことしか考えられない………。
***
慶のおれを思ってくれる気持ちは『保護欲』からきている。おれは慶のその欲求を満たすことのできる存在だ、と、心療内科の戸田先生に指摘されて以来、おれは驚くほど心が軽くなった。
おれは慶に必要とされている。
おれは慶と一緒にいていいんだ。
今までよりも、もっと慶のそばにいたい。一分一秒でも離れていたくない。そう強く願っていたのだけれど………
『渋谷慶医師には男の恋人がいる』
そう慶の勤務先の病院にメールがきて、大手口コミサイトにも同様の内容が載せられてしまったのは、5月の連休明けのことだった。
それ以来、なるべく外では一緒に行動するのを控えることにした。
せっかく一緒のスポーツジムに入会したのに、ジムの中でも行きも帰りも別々………。
残念だけど、しょうがない。
実は、日本を離れていた間もこんな感じだった。同性愛を認めていない宗教が主流の国にいたことが多かったため、一緒に住んではいたけれど、共に行動することは必要最低限にとどめていたのだ。
日本では少しは自由に行動できると思ったのに………。
誰がこんな書き込みをしたのだろう。同棲していることまで書かれていたということは、近所の住民かもしれない。誰かがおれ達が一緒に住んでいることを不快に思っているということなのだろうか………。
二度目の書き込みがあったのは、その一週間後のことだった。
隠しきれなくなった慶は、ついに職場でカミングアウトしたそうだ。
大半は表向きは好意的に受け取ってくれたけれど、皆が皆そうだったわけではなく………。
あからさまに避けてくる人、嫌みを言ってくる人、逆に「実は自分も……」とこっそり打ち明けてくる人、様々だそうだ。
患者さんも今は表立って動きはないけれど、今後こなくなる人もいるだろう、と慶はいう。やはりどうあっても、生理的にだったり、宗教的にだったり、受け入れられない人は受け入れられない。それはもう覚悟の上のことだ。
慶の病院での立場が気になり、慶の病院でも勤めている戸田先生に聞いてみたところ、
「院長と外村先生がはっきりと渋谷先生の味方してるので、今、何だかんだ言ってる人達もそのうち言わなくなると思いますよ」
と、言われた。戸田先生によると、
『院長は知ってたんですか? 知っていたのに皆に言わないなんて無責任です』
そう文句を言ってきた一部の職員に対し、院長はケロリと、
『この病院はいつから従業員のプライベートまで公表しなくちゃいけなくなったんだ? それじゃ、誰々は女子高生大好きです、とか、誰々は二次元にしか興味ありません、とか全部公表しなくちゃなんねえなあ』
と、言ってその職員達を黙らせたそうだ。そして、
『渋谷を辞めさせたい奴は、渋谷くらい顔が良くて腕もいい小児科医を連れてこい。そしたら考えてやる。まあ、そんな奴は日本中探してもいやしねえけどな』
と断言したため、実は慶とデキてるんじゃないかという噂まで出てしまったらしい。(……ムカつく)
その後、病院の重鎮である外村先生が、浮足立っている職員たちに対して、
『性的指向と医師としての腕は関係ない。二度とそんな話をするな。馬鹿馬鹿しい』
と一喝したため、表立って話をする人間はいなくなったそうだ。
「まあ、人のうわさも何とやら、です。渋谷先生には今までの実績がありますから大丈夫ですよ」
楽観的に言う戸田先生。
でも慶の心中を思うといたたまれない……。
***
普段、休みである火曜日は朝からスポーツジムに行くことの多い慶だけれども、今日は仕事を持ち帰っていて行けなかったとかで、夕食後に出かけていった。
おれもその一時間後に行くと、ちょうど慶が泳いでいる姿をみることができた。でも、お互い声もかけず目を合わせただけ。
本当は一緒にジャグジーとか入りたいのにな。帰りも一緒にプラプラ散歩しながら帰れたらどんなに楽しいだろう。
でも、用心に越したことはない。しょうがない……。
慶が先に出ていったのを見届けてから、おれも帰る用意をする。ため息が出てしまう。
「…………あ」
携帯を確認すると、ラインが数件入っていた。職場の先生と、それから三好羅々。
羅々は勤め先の学校の卒業生・目黒樹理亜と同居している少女。先日知り合ったのだけれども、なぜかよくラインを送ってくる。引きこもり気味らしいので、外との会話を欲しているのかもしれない。送ってくる内容はいつもたいして意味のないものばかりなんだけれども……
『月が綺麗ですね』
ウサギのスタンプと一緒に送られてきた一文……。
「……なんだかなあ」
思わず一人ごちてしまう。
おそらく何の意味もない(あったら困る)のだろう。無難に『おやすみ』と書かれた猫のスタンプを送信した。
携帯をカバンにしまい外に出る。日中の暑さに反し、散歩したくなるような過ごしやすい気温。わずかに見える星。そして、上弦の月……。
「確かに綺麗だな……」
この月を慶と一緒に見れたらどんなに嬉しいだろう。
慶に『月が綺麗だね』って言ったらどんな顔をするだろうか。……知らないかな。
『月が綺麗ですね』というのは、本好きの人間ならみな知っている話だと思う。夏目漱石が『I love you』を『月が綺麗ね』とでも訳しておけと言ったという話。それと一緒によく語られるのが、二葉亭四迷の『死んでもいい』。この感性の素晴らしさ、同じ日本人として誇らしい。
そんなことを考えながら、帰り道を歩いていたのだが……
「………慶」
マンションに向かう遊歩道の途中にあるベンチに、慶が座っていた。ぼんやりと空を眺めている。
月の光に照らされた横顔……なんて、なんて綺麗なんだろう……。
息を飲んで見つめていたら、ふっと慶がこちらをみた。
「……月が綺麗だな」
「…………え」
ドキッとする。
「なんだよ?」
「いや…………」
他意はなさそうだ。知らないのだろう。息を吐き出し、慶のその綺麗な瞳に微笑みかける。
「慶の横顔の方が綺麗だよ」
「なんだそりゃ」
慶は笑い、再び空を見上げた。
一人分のスペースを開けて、ベンチの横に座る。真隣には座れないもどかしさ………
(………ホント綺麗だな)
横顔を盗み見てため息をついてしまう。まるで人形のようだ。
触れたいけれど、触れられない。でも触れたい………。
「…………」
手を前に伸ばす。慶の影の頬に自分の手の影をふれさせる。すると………
「………慶」
影の慶の手も伸びてきて、影のおれの手に触れている。不思議と本当に触れられているみたいにくすぐったい………
「……懐かしいな」
ポツリと慶が言う。
「何が?」
聞き返すと、慶は苦笑い、といった表情を浮かべてうつむいた。
「高2の夏休みに写真部で合宿しただろ」
「うん」
まだおれが慶に対する恋愛感情を自覚していないころだ。
「その時に夜、買い出しに行ったの覚えてるか?」
「うん」
二人で近くの酒屋まで飲み物の調達に行かされた。
「その帰り道、こんな風に」
影の慶の手がおれの影の手をつかむような仕草をした。
「お前にバレないようにコッソリ、影で手をつないでた」
「……え」
それは……。
びっくりして慶を振り返ると、慶はふわりと笑った。
「健気だろー? 何しろずっと片思いしてたからな」
「………慶」
再び、影で手をつなぐ。
「こんな日がくるなんて、あの時は夢にも思わなかったなあ……」
「慶……」
慶の柔らかい微笑み。慶の優しいささやき。
体中が満たされていく。
おれ……愛されてるんだ……。
(慶……慶)
大好き。大好きだよ。
そんな言葉ではとても表しきれない。
愛おしさで、どうにかなってしまいそうだ。
(愛してる)
そんな言葉でも足りなくて……
「浩介?」
あまりにも凝視していたので、慶が不思議そうに首をかしげた。
「どうした?」
「あ………」
愛してる。愛してるよ、慶。
体中が愛で満たされて、破裂しそうだ。
慶……慶。
「月が……」
震える声で、告げる。それが精一杯の言葉。
「月が、綺麗だね」
「…………」
ふいっと慶が立ち上がった。月を背に、こちらを見下ろしている。美しい人……。
「………浩介」
「うん」
震える手を胸に握りしめて見上げると、慶がふっと笑った。
「おれはさ」
「うん」
「死んでもいい、なんて言わねえぞ?」
「!」
目を瞠ったおれに、慶がいたずらそうに微笑んでいる。
知ってたんだ!
「せっかく両想いになれたんだからな。死んでたらもったいねえ」
「慶……」
慶がひょいとカバンを肩にかけた。
「さっさと帰るぞ? ここじゃなんもできやしねえ」
「え」
「月が綺麗、なんだろ? だったらやることやろーぜ」
「……………」
この人、毎度毎度誘い方に問題があると思うのはおれだけですか?
でも……いい。もう、なんでもいい。
「いくぞ?」
「……うん」
愛おしい姿の少し後ろを歩く。
影で手を繋いでみると、慶が振り返って、にっと笑った。
「月、本当に綺麗だな」
「うん。綺麗だね」
この月に誓おう。おれは何があってもこの人と一緒に生きていく。
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以上でした。
お読みくださりありがとうございました!
いつかは書いてみたかった憧れの「月が綺麗ですね」ネタ、ついに書いてしまいましたー。
このあと、R18大丈夫な方は、「R18・嫉妬と苦痛と快楽と」に飛んでいただいてから、24に行っていただけると話が分かりやすいかもしれません。
次回は順番からいくと慶視点です。そろそろ掲示板書き込みの犯人とも対決しないとだし。どうしよう。
また次回よろしければよろしくお願いいたします。
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ジンときちゃいました
自分だけが考えていると思っていたことを、相手もわかっていてくれた
二人の今まで生きてきた繋がりの強さを感じます
なんか私まで嬉しくなっちゃいました
ありがとうございます
>「月が綺麗ですね」
>ジンときちゃいました
わああありがとうございます!
月が綺麗ですね、って話をはじめて知ったときの感動っったら……日本人として生まれてきて良かった…と思いました。
それをついに書いてしまい、内心いいのかな……いいのかな……とドキドキしてたので、「ジンときちゃいました」なんて嬉しいお言葉をいただき、うひゃーと朝から叫んでおります。ありがとうございます!!
>自分だけが考えていると思っていたことを、相手もわかっていてくれた
二人の今まで生きてきた繋がりの強さを感じます
わあ良く分かってくださっている!ありがとうございます!
そうなんです~。これがまだ付き合いたての高校生の時のエピソードだとしたら、ここまで重くならないというかなんというか。長く一緒に生きてきたからこその、なんですよね~~。
>なんか私まで嬉しくなっちゃいました
ありがとうございます
わあ!!ありがとうございます!!
そんな風にいっていただけるなんて……嬉しすぎて手が震えます。
嬉しいコメント、本当に本当にありがとうございました!!