八濱漂泊傳

ダラシナイデラシネ記

幕末とテロと周防灘

2012-07-28 23:34:36 | シーパラダイス

 

中根市之丞 の話。

  

幕末、文久3年 

下関で外国艦船に砲撃した 長州藩 を詰問するために

幕府 は使節団を送った。

 

使節団は、 中根市之丞 ら6名である。

 

一途に攘夷を決行した 長州藩 にしてみれば、 

攘夷決行に尻込みをした 幕府 から詰問されるほど、

腹立たしいものはない。

 

下関に到着した 幕艦「朝陽丸」 は、

長州藩 から砲撃され 奇兵隊 に占拠される。

 

中根市之丞 ら6名は、しかたなく

藩庁近くの小郡まで別船で行く。

  

そして、 

惨劇 は始る・・・・

 

まず、

小郡の宿で、狂信的攘夷派によって

使節3人が切り殺され、

 

命からがら、伝馬船で中関まで逃げようとする

中根市之丞 ら残りの3人は、 

周防灘の海上で、あえなく惨殺されてしまう。 

 

その、

 

中根市之丞 の墓を

昭和の名船 勝丸 で訪ねた。

(2010年 福岡糸島~玉野八浜 の航海)

 

 

風と波でキツイ航海の末、

やっと 防府向島 の風下に入り

海が凪いだところに 中根市之丞 の墓はあった。

  

 

逃げる伝馬船 と 追う伝馬船

 

 

2艘の伝馬船が早櫓で通過した

同じ周防灘に身を置くと、

 

息が詰まるほど、

臨場感がヒシヒシと伝わってくる。

 

私の船も、

同じ木造伝馬船なのである。 

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風雨と波にさらされて

中根市之丞 の墓は、

防府の磯にひっそりと建つ。 

 

まるで、

訪れる者を拒絶するかのように・・・・

 

まるで、

その死を隠蔽するかのように・・・・

 

 

中根市之丞

享年27歳の悲劇である。

 

 

 

 

 


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