マンゴーしいたけのつぶやき

いわゆる団塊の世代です。40年余の東京暮らしを経て、生まれた古里で織りなす珍道中の「つぶやき」になりそうです。

“ 希望の光 ”

2020年12月09日 14時55分00秒 | 日記

英国ではワクチン接種がスタートとの報道

「希望の光」だそうですね

勇気をもらえるニュースです

今日の動画は同じ勇気をもらえる歌 花は咲く です

芝桜や向日葵を見ながらホッとする日が近いといいですが

伴奏者(高校生)の清らかな音色も一緒にお楽しみ下さい

 

遥かなる旅路~青春の駅~

神奈川と東京の境に溝の口駅(田園都市線)があります 日雇いバイトで今も友人の三浦さんと知り合った駅 早朝 新宿駅近くの手配師のいる小屋に行き仕事をもらいます 例えば「今日は溝の口駅3人」とか 遅いと仕事にありつけない場合も そこに電車で行き 仕事を終えたら現場の長からハンコを貰って新宿の小屋に帰り「ご苦労さん」で確か1800円の日当 その後 「しょんべん横丁」で安い定食を食べ帰宅 たまにはジャズ喫茶とかクラシック喫茶とか歌声喫茶に寄って遊んだことも そんな思いで深い駅でもありました

仕事は日本通運の貨車の荷役でしたが 時折 引っ越しの助手の指示があるとバンザイでした 大概お昼を挟みます そうすると荷主より弁当が出たり ご祝儀を頂く場合が多かったですから 貨車の荷役は辛い仕事でした それもあってか仕事を終え 職場の風呂に入り 一杯やるか「ちょぼいち」(さいころ博打)やるかという恒例?の時間を過ごす作業員も少なくありませんでした

負けると夕食代わりの沢庵かじってた丸さんは 儲けると「マツ(私)飯行くぞ」と大盤振る舞いで当時珍しかった洋食屋に そんな口も荒いが気も荒い しかし優しくて繊細な無法松みたいな人も多かった記憶です 丸さんの郷里も無法松と一緒の福岡 その洋食屋に次女と行ったのは20数年も後のこと 音大に通うために次女も利用した駅 人生の不思議を感じる思い出の駅です 或る日のこと 娘の演奏を聴くために溝の口駅で降り 演奏会場まで歩いていると そのころが走馬灯のように蘇り 不覚にも目が曇ってしまいまし

今はモダンな駅周辺ですが 当時はこんな感じでした

では今日も明日もお元気で。

コメント
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