★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

感情主体は死せず

2023-02-22 23:28:55 | 文学


「日ごろは、いかが。 うちはへ、ここには悩ましくなむあれば。まだ、え対面せずやと思ふに。そこには、けしうはものし給はじを、下局にやは。 後ろめたくはこそ。人、もろともによいでや、
 君を待つわがごと我を思ひせば今までここに来ざらましやは
思ふこそ、ねたく。 まかでられし時も、謀るやうにて。かく数にも思はれざめれば、しばしはものせじと思へど、あやしく、心よりほかにて」
となむあるを、御方、「あなあやしや。ただにてやは例の、憎げ言し給ふめり。あないとほし」


藤壺は、出産のあとなかなか参内しない。そして春宮から手紙をもらったりして、立太子の動静をうかがっているようである。われわれは制度のそのものよりも感情を主に浴びて生きる動物である。そのなかでは抑圧があろうとも、感情主体としては決して死なない。

物語をつくる能力を初等教育に利用してメタ認知能力を高めようみたいな考えがあるけれども、やや人間のつくり話の能力を侮っている。というか、物語の能力というのは感情そのもののことなのであって、そこではいろいろなことが起こる。誰がしおらしく反省ばかりしていよう。

いろいろな出来事に、これはまるでインパール作戦だとかいう言い方は学者からもよく聞くけど、その人が面白い学者であったことは少ない。おそらくインパール作戦についても何も知らないし、喩えているものそのものについても考察が不十分だからである。そして何よりも、人間が感情の動物であることを見くびっている。インパール作戦そのものはどうだったか知らないけれども、われわれが持つインパール作戦に対する感情は、忌避感情の外に出て居るであろうか。つまりインパール作戦という比喩は事態に対する忌避を示しているに過ぎないのではなかろうか。

われわれが学問をするのは、その感情の世界から遁れるためでもある。それは我々を我々のあずかり知らぬ地点に投げ入れることである。――演習とか卒業論文の意味は、自分が一生懸命書いたものでも、何を書いたのかは自分で決めることでも、読み手が決めることでもなく、未来の自分や他人、優れた読み手が分かることであるという世の中の真実を知ることにある。最悪、それがわからなくても自分が予想外にバカであると分かる。そこでようやく我々は自らの自らの感情から遁れられる。しかし、これは、反省、換言すれば克己の感情などがある場合である。思うに、勉強に耐え得ない肉体は、上のようなプロセスを生きることはない。

そういう肉体に対しては、法律や権威が命令を下すことになっている。近代社会というのはそういうもんで、それを外して多様性を主張するのは実際には難しいことだ。そのことは、作品の作り手や学問の担い手にとっても、もう自明の前提であって、だから彼らは信用されないのである。しかし仕方ない部分もあるわけである。

例えば、昔から「お涙ちょうだい」という分野?があるような気がするが、これが案外文化的に高度なものだったのは最近痛感されるところだ。みうらじゅんが以前いってたが、最近は「涙のカツアゲ」になっている。つまり表現が命令の形をとるようになったわけだ。

ドラマのキャスティングなんかも視聴者に対する命令じみている。例えば、今日のニュースで知ったが、朝ドラ2025の主演が伊藤沙莉氏ってもう大御所だろが。この枠は、完全素人の田舎娘(ただし顔は田舎者とは思えん:差別発言でしたすみません)みたいなのが演技が巧くなっていくと見せかけて最後まで下手で自分の孫を(顔以外)思わせるという枠ではないのか。あるいは安部公房の恋人にいつのまにかなっ

それはともかく、人々のめざす本丸は、権威と化し命令主体と化した活き活きしたかつての反抗主体である。例えば、「お一人さま」の英雄であったが実は結婚してましたというニュースで燃えあがっている上野千鶴子氏なんかがそうである。彼女の最高傑作は『発情装置』と『セクシィ・ギャルの大研究』だと思う。特に後者はカッパサイエンスであって、帯文の山口昌男と上野氏自身が「処女喪失作」だとか言ってて、当時のわたくしはヒいた。当方、中学生で「トニオ・クレーゲル」とかを崇拝していたので、あっち側の話だなと思って印象に残っているのである。木曽の雪の中で白樺派的なものに耽溺していたのに、あちら側の世といえば、「パンツをはいたサル」とか「セクシィ・ギャルの大研究」とかふざけてんのか挑発してるのかわからないかんじにみえた。予備校のあった名古屋で本をあさっているうちに、そんな恐ろしいことになっていないのは知れたが。かかる、80年頃のアカデミシャンの妙なノリはある意味、批評家のポジションを奪う流れ(上野氏自身もどこかで花田★輝みたいな文体から影響を受けていると言っていた。つまり、学校化した小林秀雄的な批評に対する闘争がそこにはある。その意味で、浅田彰も同じであった――)で、これが90年頃にまじめな感じ?に転向を開始した。それは柄谷や東といった批評家たちの逆襲に対する反応でもあり、同時にアカデミズムの研究室への撤退であった。ここらあたりの混乱で、どのようなことを一貫させようとしたかは人によって違う。

問題は簡単ではないと思うが、学生運動がどんな作家を生んだかという問題とともにどんな学者を生んだかは興味深い問題である。なにしろ、学生運動というのは、キャンパスの外にも出るのだが、主には学内でのもので、ある意味運動がアカデミックなものの一部になっていた。本人たちが思うよりそうだと思うのである。薄汚れた貧しい誠実な学者というイメージに対して、割と金儲けもできるぜいい家に住んでるぜ下手すると2号3号がいるぜみたいなのは、アカデミックな環境の中でのよくある我の張り方で、上野氏にそういうものを感じるということそのものが、我々の社会が悪い意味でアカデミックなかんじになっているからかも知れないとは思う。いまの社会の学校化は、まずは学生運動から起こっていたのではないかとわたくしは思う。

学者達も感情主体である。そうはいっても、感情の上での復讐はうけるものである。一方的に感情主体であることはできない。