★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

マスク下と事務

2023-02-08 16:34:56 | 文学


源は藁草履と言われる程の醜男子ですから、一通りの焼手ではないのです。編笠越しに秋の光のさし入ったお隅の横顔を見れば、見るほど嫉妬は憐みよりも強くなるばかりでした。
「お隅、お前は何をそんなに考えているんだい」
「何も考えておりゃせんよ」
「定めしお前は己を恨んでいるだろう。己に言わせると、こっちからお前を恨むことがある」
「何を私は貴方に恨まれることが有りやすえ」
 と突込むように言われて、源はもう憤然とする。


――島崎藤村「藁草履」


我々はマスクによって醜男になったのか美男になったのかしらないが、それ以上に藁草履やダンゴムシに見えていることは確かである。

来年度、さまざまな職場で起こる、コロナ直撃世代のトラブルに対して、大学を責められても困るみたいな議論は起こりそうだ。が、確かにそれはそうだと思う一方、さまざまに崩壊した感情教育を我々がどれだけなんとかしようとしたかというと、危機感足りなかった人間も多かったように思う。社会を維持するためには、いい顔してるだけじゃだめなんだよな、こういう局面で。とはいえ、マスクでこっちの表情もかなりわかんねえ、我々は虫同士の顔をのぞき込んで不安になっている。物に対する皮膜はいつもあったが、マスクが遮蔽物となって更に立ちふさがったのである。

岡「近頃の小説は個性がありますか」
小林「絵と同じです。個性を競つて見せるのですね。絵と同じ様に、物がなくなつてゐますね。物がなくなつてゐるのは、全体の傾向ですね」
岡「物を生かすといふ事を忘れて、自分が作り出さうといふ方だけをやりだしたのですね」

――岡潔・小林秀雄『人間の建設』


もう既に問題になっていることだと思うが、コロナの情勢下で症状が悪化してしまったのは、実現していないことをあたかも実現したかのように書いたりする病気で、けっこうまずい。小林秀雄じゃないが、物がなくなって個性だけになる、しかしその個性とは個性でも何でもなくてほんとは嘘というやつなのである。嘘にまみれるといろいろなことがわからなくなってしまう。

少子化対策や教師不足を金の問題に還元する人は多いし、それはかなり当たっている。しかし、金の問題ももちろんあるが、ここまでいろんなやる気がなくなると子どもはめんどくさいな、みたいになるわけでまあ少子化の原因はそこにあるようにみえる。大学が職業訓練の場になるような状況と全く同じ原因なのだ。大きく言って「働く」のが面倒なので、職業訓練してくれといっているわけだから。それを学生のニーズにあわせろみたいな論理でおしすすめているわけだが、そういうニーズの多くがその実、労働への忌避感情と関係しているわけで、その証拠に、ほんとに労働に役に立つ技術を身につくまで反復練習させれば必ず勉強以上の反発がくる。すべていいかげんで本気じゃない主張に付き合うべきではないのだ。だいたい本質的な考察をしようとしている本気の学生に失礼極まりないし、――なによりだめなのは、自分の本当の欲望に嘘をついていることだ。

少子化の原因の本当のもののひとつには、たぶん教育があまりに大変で教育に関する事柄が信用されていないことがありそうだ。なぜかといえば、親たちにとって、大学卒業にいたる道程が、金銭もそうだが心理的にしんどすぎたから。こんな心が死ぬか生きるかみたいな環境に子どもを放り込んだら、自分が参ってしまいそうなのだ。むかし、太田光氏が、自分の子どもが人を殺さないと言い切れないから子どもはいらない、みたいなことを言ってたと思う。これは極端な言い方に見えるけど、それほど子どもが世界を恨む可能性が高いと思ってしまう親は多いと思う。これは教育現場がいい加減だからというより、神経症的?だからと言っていい。つまり、ストレスによる認知のゆがみを善意に置き換えて無理矢理運営されているのが教育現場である。

一つには、小林秀雄が比喩的に述べている以上に、我々が物をつくることをやめ、観念的なものをめぐって考える人間になってしまったことが、問題なんだろう。われわれは、実際に何かを動かす世界に戻らなくてはならない。そのときに、官僚システムはひとつの希望でもある。いろいろあるから単純化はできないが、世のなかには優秀な事務方がいて、最悪の事態を防ぐことがけっこうある。研究者のほうが、しばしば「手続き」をすっとばす。「手続き」は研究だけの手段じゃないのに。世の中を破滅から救う事務仕事は、観念的ではなく、物を動かす仕事だ。かかる事務方が、「自分は組織を半生ささげてなんとか延命させた」としずかに定年で去って行くのはなかなかかっこよい。定年間際に自意識の重みに苦しむことが多い研究者と対照的である。