★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

むかしむかし浦島は

2023-02-27 23:32:38 | 文学


「女親には、堪ふるに従ひて仕うまつり侍りにき。殿に、まだ、え仕うまつらぬ。仲忠が代はりには、いぬを顧みさせ給へ。女子なれど、ただにはあらじと見給ふる者なり。いとよく仕うまつりなむ。この君いたづらになり給はば、やがて淵川にも落ち入りて死に侍りなむ。さらに後れじとす」と、声も惜しまず泣けば、尚侍のおとど、「目もこそ、二つあれ。一所を、親・君と頼み奉るわが子には、などか、かくはのたまふ。わが子の身代はりに、我こそ死なめ」と、臥しまろび給ふ。

妻(女一の宮)が出産でくるしんでいる。もう声も出せないほどである。夫も「もし死んだら私も淵川におちいります、遅れはいたしませぬ」と取り乱し、尚侍も「我が子の代わりに私が」と返す。

この時代、果たして、和歌がコミュニケーションの能力の一端を担っているくらいであるけれども、基本的に、読み手のレトリックを解する能力が著しく低下している時代である可能性もある気もする。紫式部が執拗に敬語表現をきらびやかに行っていることを以て、宮中が空気が支配するような空間であったとは言い切れない。むしろ、空気が読めなくなっているからこそ、敬語に敏感に成り、比喩表現への解釈も自分勝手なものが横行していたのではなかろうか。一見平和だが、権力の衰退がじりじりと進行しているような状態では、――最近もそうかもしれないけれども、ありうると思うのである。三木清や花田*輝がアリストテレスに帰って修辞を重視し始めたのは、修辞の無効性が現実にあったからでもあろう。だから、抵抗の武器として使用可能なのだ。分かってしまったら困る。

同じように、空気が読めない時代では、源氏のように「モテ」る人間も実際はすくなくなっているはずだ。「モテ」というのは空気の一種で、美意識が空気と化している必要がある。本当はそうではないから、光源氏はただモテるだけでなく、異常に惚れやすい男である。そういえば、かく言うわたくしもむかしから惚れるのに忙しくてモテたいとかんがえたことはないような気がする。モテる人というのは好きでもないのに遊んだり出来るんだろうか。その受け身性が素晴らしいな。たぶん勉強が出来るタイプだろう。――それはともかく、わたくしが光源氏とちがうのは、生まれだけではなく、モテないことであった。

光源氏のように惚れやすい人間はわたくしのように多く居る。しかし、たぶん虚構の上だけに「モテるやつ」は存在した。それは一種の空気であり、フィクションなのである。柄谷行人氏の『力と交換様式』は、交換様式Dがほかの様式を否定したかたちで神のようにやってくる様を雑然と描く。宗近真一郎氏も『図書新聞』でそんな風に評していた。――とすると、もうほとんど冗談の域ではあるが、安部公房の「Dの場合」(『箱男』)もその一種であろう。Dは交換を拒みつつ空気のように遍在する。

ピアノの先生の前で裸になって射精してしまうDは、我々の孤独がいかなるものであるか教えている。もはや舞台は目の前にはなく、我々は舞台そのもののなかで生きる他はない。しかし、その場合、やはりそこは舞台ではなければならず、閉鎖されている箱としての舞台でなければ自意識を保てない。しかし、これは歴史的に日本に導入されたものであって、もともとあったわけではない。

鷗外の「玉篋両浦嶼」、20年ぶりくらいに読みなおしたら、乙姫と別れる部分が結構長かった。これも「舞姫」の結末からやり直し人生へ逆行する試みの一つなのであろうか。鷗外は、この作を自分でも「何の価値も無い」作品だと言っている(「玉篋両浦嶼」の初度の興業に就いて」)。むしろ演劇改革そのものためのもので、長白の試み、西洋風の劇場の提唱、などが目的だったらしい。あとファウストの若返りの逆をいくと浦島だと。さんざ言われてることだと思うが、鷗外の作品は内容的にどうなんだということ以上に、どのように書き方を変えるかとか作品形態を変えるかみたいな改革屋の段階的な所産みたいにみないと読めないところがある。その浦島上演に関するエッセイの中で、劇場を西洋のそれのように外光をシャットアウトする構造のものにしなきゃとたしか言ってたいたが、鷗外の小説というのはそういう背景に外光の取り入れがないみたいな感じがある。自然主義者たちや漱石のほうがそうはみえないのである。

依田学海が、鷗外の浦島に反発して、浦島を偽落語家みたいな人物にして、客から金を巻き上げていたのは、暗闇の中で、五七調だかなんなのか分からない気取った長白をはき続ける人間に対する不信であったに違いない。