上は、「後は祓へ物にもなし給ふとも、院のおはします世に、かかると聞こし召すなむ、いといとほしき。やうなることどもを思したるにやあらむ、上も宮も、御髪下ろしてむとし給ふなり。 世保ち給ふべきこと近くなりぬるを、平らかに、そしられなくて保ち給へ。人の国にも、最愛の妻持たる王ぞ、そしり取りたるめる。さ言はるる人持給へれば、戒め聞こゆるなり。 わきても、ここに、よき女の限り集へたれど、え褒められずなりぬるや」。宮、「かしこにこそ侍るめれ。ことばも惜しまずののしることは、ほかには、え侍らじ」と聞こえ給ふほどに、明け離れぬ。
藤壺(あて宮)に夢中で政治をやらなくなった春宮である。なぜ長恨歌の過ちをわが君主たちは繰り返すのか。そりゃ、できればそうしたいからに決まっておる。政治をさぼっても、あの世でまた仲良く暮らすことができればよい。世の御仁が間違えているのは、これが若い人々の特徴ではなく、あるていど人間が出来た奴の希望だということである。むしろ未熟ならば、あれこれと目移りしてしまうはずである。長恨歌の悲劇をさけるためには、光源氏や好色一代男になってしまったほうがよいのである。