★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

長恨歌回避作戦

2023-02-16 23:49:12 | 文学


上は、「後は祓へ物にもなし給ふとも、院のおはします世に、かかると聞こし召すなむ、いといとほしき。やうなることどもを思したるにやあらむ、上も宮も、御髪下ろしてむとし給ふなり。 世保ち給ふべきこと近くなりぬるを、平らかに、そしられなくて保ち給へ。人の国にも、最愛の妻持たる王ぞ、そしり取りたるめる。さ言はるる人持給へれば、戒め聞こゆるなり。 わきても、ここに、よき女の限り集へたれど、え褒められずなりぬるや」。宮、「かしこにこそ侍るめれ。ことばも惜しまずののしることは、ほかには、え侍らじ」と聞こえ給ふほどに、明け離れぬ。


藤壺(あて宮)に夢中で政治をやらなくなった春宮である。なぜ長恨歌の過ちをわが君主たちは繰り返すのか。そりゃ、できればそうしたいからに決まっておる。政治をさぼっても、あの世でまた仲良く暮らすことができればよい。世の御仁が間違えているのは、これが若い人々の特徴ではなく、あるていど人間が出来た奴の希望だということである。むしろ未熟ならば、あれこれと目移りしてしまうはずである。長恨歌の悲劇をさけるためには、光源氏や好色一代男になってしまったほうがよいのである。