★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

凍雲

2023-02-10 23:55:48 | 文学


風が、うっすらと雪をかむった坊主の守山を一気におりて、松林を鳴らし去った。山の上空を険しく雲が覆うていた。
 仙太は、ザザ……と藪へわけ入った。
「黒! 黒!」
 犬は笹の間から黒い尖った顔を向けて待っている。
「何してる。そら、そこだ!」
 笹藪がはげしく音をたてて、ひとしきり、うねった。犬は、また、黒い瞳を向けた。途方にくれているようにみえた。
「何してる!」
 仙太は怒鳴った。そして、腰から笹に掩われて、凝っと立ち停っていた。
 松林が、ごう、と鳴った。雲が威嚇するように頭の上にひろがってきた。鴉が麓のほうへ急ぎ飛んだ。


――矢田津世子「凍雲」