白爺の独り言

故郷テニアン島へ帰る旅!
 古い友達と巡る秘湯の旅!
白爺一人で ブツブツブツ・・
お暇な人 寄っていって~。

サイパン空路コンチネンタルの時代②(1980年頃)

2010-12-22 08:33:57 | テニアン今昔
1980年に行ったときには、珊瑚で造られた素朴な「テニアン飛行場」が見られましたが、それは取り壊されていました。
そして近代的な空港ビルが建設中でした。



サイパンからの飛行機は、前回と同じように「アイスランド航空」の飛行機です。

              

当時の「定期時刻表」が写真に残っていました。
時刻表を見ると一日に4往復しかフライトしていなかったようです。
白爺たちは、最終便で渡っていたのでしょう。



フレミングホテルは2階に部屋を造るといって、増築工事が行われていました。
当時は、1階にグアム銀行が入っていたと白爺は記憶しているのですが、間違いでしょうか?
レストランの片隅にはミュージックボックスとスロットマシーンが置かれていて、白爺は25セントを入れてアメリカ硬貨を稼いで?いました。
その頃通用していた50セント硬貨を白爺はまだ持っています。

               

港に行くと、船尾に瀬戸内海の港名が書いてある「中古フェリー船」が、サイパンとの定期航路として就航していました。



昔の支庁桟橋があった付近には、遭難した船が打ち上げられていて、中には陸ヤドカリが沢山住んでいました。

          


当時の白爺達は滞在期間が短かったので、魚釣りを楽しむ時間がありませんでした。
泳ぎを覚えた浜辺で、Emiiと一日中泳いで子供時代を懐かしんでいたようです。

             

夜になるとチャムロのお母さん達が、桟橋に並んで「アトライ(鯵)」や「マフティ(ハマフエフキ鯛)を釣っていました。



その頃、白爺達が帰国する前夜には、南洋興発の建物跡で島の人とチャムロダンスを楽しむのが恒例にもなっていました。









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6 コメント

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フェリーボート (チャーリードック)
2013-03-14 21:53:30
写真のフェリーは私が持って行ったものです。
当時まだ30代半ばでした。
船名はMARIANAS QUEEN。元は両備運輸のフェリーです。
現地側の相棒は数年前にお亡くなりになりました。
懐かしい写真をありがとうございます
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超オドロキ! (白爺)
2013-03-15 10:23:35
チャーリードックさん
コメント有難うございます。あのフェリーのオーナーとは驚きました。
最近は、あの桟橋は立ち入り禁止になっていて、偶に貨物船が入港する以外は人影は見ることが出来ません。
マリーナ側からサイパンへときどきフェリーが出ていますが人の移動はセスナ機利用しかダメです。
カジノホテルが経営しているスターマリアナのセスナ機がサイパンで墜落したため最近は日本の旅行社はテニアン行きのツアーを計画しないようなのでテニアンで日本語を聞くのが懐かしいですよ。
私も今の市長から観光大使を任命されましたが心を痛めています。
私は年2回1月と6月にテニアンへ行きますが、様子はブログで報告しますからお暇な時に立ち寄ってください。
今後もよろしくお願いします。
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マリアナス・クイン号はこうしてテニアンに・・・ (チャーリードックさん)
2013-03-15 16:27:36
こんにちは!
まず、あのフェリーは私の物ではなく、SALTCOと言う妙な名前の会社の所属です。当時の信託統治領政府の運輸次官と私とで作った会社でした。
SALTCOはSea, Air & Land Transportation Companyの各単語のイニシャルをとりました。日本語なら海空陸運輸会社ってとこですかねぇ!笑える厚かましい名前。夢は大きく、出費は小さく!やることは男らしく。
12月に瀬戸内海を出航し一路サイパンへ・・・
ところが風に流されフィリピン海方面に。(内航船ゆえに航海機器がちゃちなもので涙涙涙)
まったく冒険でした。しかし神様がついていた。
12月の小型台風で押し戻されて本来の航路に無事のれました。 そしてクリスマスイブにサイパンのチャーリードックに入港。夜なのに岸壁は黒山の人だかりでした。
私は日本人なのでヒーローを相棒(パラオ人)に。翌日の現地新聞の第一面を飾った。
そもそもの企画のきっかけはファハダイホテルのバーで二人ビールを飲みながら「テニアンにはよい野菜がある。しかし大量に運ぶすべがない・・・」
「船で運べばドウ?俺船が専門。中古を探そうぜ」
こうして企画が始まった。そこには秘話がいっぱい。
断りなく協力者の実名を出せないので書ききれませんのでご容赦を。 当時の高等弁務官は米人ウインケル氏、運輸長官はフラナガン氏(元米魚雷艇艇長で日本と一戦も二戦も交えたらしい)。
この人は日本人嫌いなのですが私には妙にやさしかった。 このフェリーについてはまさに冒険につぐ冒険だった。 日本からサイパンまでの回航船長はパラオ人、その他チャモロ人、フィリピン人などなど。総勢7名。
七人の侍ならぬ七人の怖いもの知らず状態。

ここでは個人名が出ますので秘話は書けません、双方の個人メールのアドレスがワカレバ良いのですが・・・。 笑っちまうような思い切ったことの数々でした。

ともあれ、サイパンの港で船と自身のオーバーホールをしてテニアンまで試験航海、両島の間の潮は早かった。実によく揺れた。 テニアンの港の干満の差の大きいのには驚きました。テニアンに上陸して最初に行ったところは《ここは原爆搭載B29発進地》との金属プレートのあるところでした。島の方が「あなた、喉が渇いたでしょ?」と椰子の実の上の方を山刀で切って「これ飲みますね」と出してくれました。ココナツジュースも美味しいけれど、島の人の気持ちが美味しかった。

続きはいずれ・・・

観光大使ご苦労様です。テニアンにも観光客が増えればいいですよね。 小野田さん風の《少年サバイバルキャンプ生活》ってのはどうでしょ?
団塊世代から日本の男子の軟弱化が始まった。
これは絶対に食い止めねば・・・と思うのです。

貴写真の船は後に塗り替えたのですねえ。最初は買ったときのままブリッジ下側面に両備の絵が描かれていました。

では!また
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戦後の太平洋諸島の記録 (チャーリードック)
2013-03-22 02:03:08
こんばんは
突然思い出したので邪魔して記しておきます。
マリアナ諸島ほか旧委任統治領が敗戦により
アメリカ太平洋信託統治領となっての時代の各種
写真記録などを収めたネット・ページです。
管理はハワイ大学。  リンク先は下記です
http://digicoll.manoa.hawaii.edu/ttphotos/index.php?s=
お役に立てば何よりです

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Unknown (白爺)
2013-03-22 08:19:03
チャーリードックさん
コメント有難う。
ハワイ大学の先生は私達も知っている方が多いですよ。
サイパン空港に戦中の写真等を掲示しているグアム大学の博士達とテニアンの古いことを聞かれて家内は話していました。
南洋群島協会役員時代の友達のようです。
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テニアン関連動画 (チャーリードック)
2016-01-15 02:01:35
ご無沙汰してます。
今日偶然下記の動画を見つけました。
テニアンに関係ある動画です。
これです↓
http://gyao.yahoo.co.jp/player/00867/v01180/v1000000000000011440/?list_id=2139261
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