沖縄の娘の所から「タンカン」が届きました。白爺が、前に行った沖縄海洋博記念公園に近い今帰仁村の「あいあいファーム」で作ったものですが、「今年は台風が多く大荒れしたのに、大きな実が沢山収穫できそうだ」と娘婿さんからは電話がありました。
タンカン畑は乙羽岳の山頂に近い南向きの斜面に造られていて、水はけ・日当たり・寒暖差という理想の環境のなかで、甘い実をつけたようです。「乙羽タンカン」と名前をつけ . . . 本文を読む
リノさんがお別れの夕食を一緒に食べようと誘ってくれたので、Michiさんとお嬢さんを同道してマルポハイツのリノさん宅に行きました。お別れの涙を隠して飲むビールの美味いこと!天下一品での味でした。
想い出話に花が咲いているときに、リノさんはウクレレ?(ギターのようでもあるが小さい)を持ち出してきて、日本の歌を唄い始めました。
真白き富士のけだかさを こころの強い楯として . . . 本文を読む
日本に帰る前に、もう一度タガビーチを見ておこうと思い、リノさんに送ってもらいました。
風は無いのですが、海は相変わらず荒れていました。
近くで出来た台風は、台湾に向けて遠ざかっているというのに、うねりは静まることを知らないようです。
リノさんも、記念の為写真に入ってもらいました。
写真を撮り終わったら大きな波が打ち寄せてきまし . . . 本文を読む
白爺たちは、明日日本へ帰国します。
昔兵隊さんがよく白爺の家に来て歌っていた、 明日はお立ちか お名残惜しいの歌を思い出しながら、タガ族の遺跡横にある慰霊碑にお別れに行きました。
白爺は慰霊碑の後ろに隠れてお線香に火をつけていたのですが、なかなか火が点きませんでした。眠っている人たちが、別れを惜しんでいたのかも知れませんねー。
先日「松本連隊の前にあ . . . 本文を読む
白爺たちのテニアン滞在も後2日になりました。フレミングホテルでは、従業員一同がお別れの夕食会を開いてくれました。裏庭では、バーベキューの準備をしてくれています。
焼いた魚はヤシの葉に包んで、飾っています。Emiiも手伝っていました。
従業員の方が集まってきました。ファミリーも連れてきています。
用意が出来たので、開会の挨拶が始まりました。
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フレミングホテルの筋向いにあるホーンさん宅に、車が沢山停まっているので、白爺は何事が起きたのか?と見に行きました。
家の軒下には、ホーンさんの子供達が全員集合して肉を切っていました。訳を聞いてみると「朝牛1頭を殺したので、一家総出で解体しているのだ」ということが判りました。
内臓を綺麗にして食材にする人、大きな肉をブロック状に切り捌く人、見ていると本 . . . 本文を読む
白爺たちがパーティをしている傍で、子供たちは泳ぎを始めました。
男の子も女の子も騒ぎながら落とし合いをしています。
70年前の白爺は、この海で同じことをして遊んでいました。
小さな子供には、桟橋に上が . . . 本文を読む
フレミングホテルの隣室に、サイパンからきて宿泊された方は、偶然にもリノさんの親戚の方でした。奥さんの誕生祝をテニアンでするため来島されたようで、白爺たちもマリーナーでするそのお祝いパーティに招待されました。
お祝いのパーティは12時からと聞いたので、白爺達はその前にちょっと釣りに出かけてきました。
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潮の引いたブレック・ワーラー(製糖工場の裏海岸)に来ました。
砂浜には沢山の錆びた鉄材が顔を出していました。
白爺がこの浜に来るときは殆ど上げ潮の時ですから、この鉄材は海中に沈んでいます。この日は大潮の引き潮だったから、近寄ってしみじみと見ることが出来ました。
鉄材の形は製糖工場を思いだすような形をしたものが多いようでした。
砂糖キビ . . . 本文を読む
昔南洋興発製糖工場があった裏の海岸に来ました。島の人は、この浜をブレック・ワーターと言っていますが、英語ではブロック・ウオーター“沖の防波堤で波を止めている浜”という意味ではないかと、白爺は一人解釈しています。
フィリピンの人たちが沢山投網をしていました。皆顔見知りの人ばかりなので、Emiiは身振り手振りで話をして笑いあっていました。
リノさ . . . 本文を読む
茨城県牛久市に大きな大仏さんがあるというので、孫娘の案内で参詣に行きました。近くになると林の中に大きな阿弥陀如来が見えてきます。
この大仏様は東本願寺が建立したようです。付近には、牛久浄苑という大きな墓地が出来ています。
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展示館の中庭には大きな地球儀があります。地球儀の横には、日本全土を表示した地球儀の一部が造られていました。
地球儀で見る日本列島は小さいのですが、海上を含んだ日本領土は中国に負けない位広いと感じながら白爺は眺めてきました。
この展示物は、白爺が以前に来た時も見ました。
その時から「尖閣諸島」は我が領土として表示されていました . . . 本文を読む
昔測量に使用した望遠鏡が展示されていました。
この測量機は現在使用されているものだそうですが、地図を作る最初はこの測量機で一つの地点を測り三角点を決めることから始まるようです。
三角点標石は、我が家の境界標識とは大分違うようですねー。
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展示室には東日本大震災の概要も表示されていました。
検潮所で観測された津波よりも、実際に襲ってきた津波は高かったことも記されています。
日本列島は東南東へ5メートル以上移動し、1メートル以上沈下してしまったとも記されていますが、地球儀に . . . 本文を読む