来月12日に鬼怒川で行なう「東京中央電報局OB会」の幹事会を開きました。
久し振りに降り立った神田駅ですが、シートを張って工事が行なわれていました。補修工事をしているのでしょうか。ガードの下は、関係の無い顔をして店が営業を続けていました。
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ドンニー(テニアンの激辛唐辛子)は一年中実を付けていますが、特に今が最盛期の感じで沢山の実を生らせていました。今月中には、テニアンで北マリアナのドンニー食い競争があるそうです。激辛に自信のある方は参加してください。(もう終わりました)
島の人は、この激辛唐辛子を料理と一緒に口に入れて食べています。白爺は、箸先で摘まんだだけで天井を向いてしまいますが。
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リノさんが、「アメリカ軍のキャンプ跡に行き、土を取って来よう」と言うので同道しました。キャンプ跡は、ノースフィールドのB29基地近くにあり、米軍が かまぼこ型屋根の兵舎を造っていた場所だそうです。
その場所はタガンタガンの林の中にあります。林の中にはコンクリートの広い広場がありましたが、多分キャンプの床に使用していたのでしょう。その上にタガンタガンなどの枯葉が積もり、天然の腐葉土 . . . 本文を読む
羅宗神社から戻る道の傍にある千本木です。
この千本木に行くまでに、神社の境内を出たすぐの所に、米軍のビーコン広場があります。
B29が日本空襲から帰るときには、ここから出す無線を頼りにテニアンへ戻ったのでしょう。この土 . . . 本文を読む
久しぶりに見る羅宗神社です。神社の碑が、少し苔むしているような気がしました。
広い境内は綺麗に清掃されていました。神殿の石段まで草1本生えていません。歴史保護担当の方々に感謝しましょう。
後ろを振り向くと、遠くに灯篭の土台が見えます。あそこから参道が続いていたのでしょう。羅宗神社の境内は相当広かったようです。白爺は、テニアンに住んでいても羅宗神社に来たこ . . . 本文を読む
興発桟橋の橋桁が残っています。
アメリカの偵察機が、テニアン上陸直前に上空から撮った写真です。左に伸びている場所が、南洋興発製糖工場の「興発桟橋」です。右端にあるのが「支庁桟橋」ですが、海が浅いのでカツオ船は沖合に停泊させている状況が判りました。
「工場桟橋」の先端付近から製糖工場があった方向を眺めている写真です。白爺達が「ホーンさん現場」と通称呼んでいるフ . . . 本文を読む
日本守備隊のトーチカがあるチューロビーチに来ました。
この日は風が強くて大きな波も打ち寄せていました。
今から60年以上前、このトーチカ内にいた日本の兵隊さんは飛び上がって驚いたことと思います。
サンゴ環礁の沖にはアメリカの軍艦が水平線を埋め尽くしているのが目に入ったからです。そして珊瑚礁を乗り越えて戦車が攻めてきます。
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テニアンの闘鶏場です。
闘鶏場は、タガ族の遺跡近くの椰子林の中に建てられています。
日本時代にも軍鶏の喧嘩と言って、闘鶏は行われていましたが、小屋まで建てては行われていませんでした。
あまり使用されていないようで、小屋の中は散らばっていました。
見物席も出来ていましたが、大分朽ち果てています。
ここで馬券 否 鶏 . . . 本文を読む
タガの井戸です。白爺がテニアンに住んでいる頃、乾燥季で雨水の水槽が空になった時には、この井戸から水を汲んで運んだ記憶があります。
白爺の記憶では、水は少し塩分を含んでいたと思うのですが、井戸の近くに建つ説明では、「テニアンで一番美味しい水と言われていた」と記されています。
真水は海水より比重が軽いので上に浮いてくるから飲めるのだとも図解されていました。
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遠くにアギーガン島が見える、波静かなカマビーチです。
この浜辺は日本時代は「支庁桟橋の海岸」と呼ばれていて、サイパン・テニアン間の定期船が、2隻で1往復ずつしていた桟橋がありました。
日本人がいなくなったら「ジョーンズ・ビーチ」と呼んでいましたが、いつの間にか「カマビーチ」に変わっていて、現在はカマビーチという名前になっているようです。
内地では大雪が降ると . . . 本文を読む
暑い南の島から帰ってきたら、寒い日本の病院で癌の検査が待っていました。
何時入っても嫌な検査室ですが、出てきて主治医の待つ診察室に入り説明を聞いたら「異常なし」でした。「一応治癒して7年経過しているから、もう転移する心配はありませんが、定期的にチェックしましょう」と言われて安心しています。
6月のテニアン行き予定も聞かれたのですが「6月は行かない」と答えたら、「楽しい旅行は計画的に行くほう . . . 本文を読む
椰子の林の中に「日本人の墓」と書かれた石碑が建っています。玉砕後チューロのキャンプに収容された日本人が、玉砕戦で死んだ日本人を埋葬しこの石碑を立て慰霊をしていたそうです。その後日本人が帰国したので、石碑はこの地に移されたようです。
その隣には、日本の観光客が多い頃建てられた慰霊碑が沢山並んでいます。
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タガ族の遺跡と呼んでいた「タガハウス」です。以前は日本人観光客が必ず見学に来ていたのですが、白爺が立ち寄った時は韓国の観光客がバス2台で来ていました。
Don Farrellさんの資料によると、古代の人は網を作り魚を獲って暮らしていたそうです。
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南洋興発二代目社長のファミリー「栗林さん」に頼まれているので、白爺たちはテニアンへ来るたびに建物跡を点検し、写真で現状報告をしています。今回も立ち寄りましたが、詩歌の記念碑にはカマチリの枯れ枝が覆いかぶさっていました。
建物の周りは、テニアン市長の指示で綺麗に草取りがされていました。
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昨日は、気温30度のテニアン島で、エアコンの冷房を入れていました。
一夜明けたら、石油温風器・エアコン・電気カーペットのトリプルで暖房をしています。テニアンはいいですねー。残っている写真は、随時投稿しますから立ち寄ってください。
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