ねがわくば コロリ観音 虫の声
「縁は異なもの味なもの」白爺とEmii、テニアン時代は無関心の二人が、親達がお付き合いしていたこともあったのでしょう、気がついたら家庭を持っておりました。
本来なら、正式な結婚式を挙げるべきでしょうが、引揚者で安サラリーマンの白爺は、金沢講習所の親友とその彼女立会いのもと、若狭高浜の氏神様境内で拍手をうって結婚式に代えました。
このことは、白爺 . . . 本文を読む
今年も「敬老の日」を迎えました。
昨年までは、敬老の日には全く関心が無く、今日は「旗日だな!」と思うくらいでしたが、今年は少し違います。
というのは、白爺とEmii二人が、市役所から「喜寿のお祝い」を頂戴したからです。
少ない予算の中からお祝いを頂いたので、恐縮するとともに「77年間もの長い間生きてきたんだなー」と、あらためて今日まで歩いてきた人生を思い起こしてしまいました。
今までにも、お知 . . . 本文を読む
隠岐の島西郷港を8:57Amに出港した高速船「レインボー2」は、大山(だいせん)の付近には真っ黒な雨雲が立ち込めている鳥取境港港に、10:24Am無事に入港しました。
羽田行きの飛行機は、15:50Pmなので市内を散策することにしました。
JR境港駅には、面白い電車が走ると婿殿が言うので白爺は見に行くことにしました。
すると、写真のような、鬼太郎の漫画を描いた車両が入ってきま . . . 本文を読む
隠岐には古いものが残っていましたねー。
赤丸が観光して来た所です。
古いといえば、運転手さんが面白いことを言っていました。
「隠岐の方言では、「トイレに行く」を「筥(はこ)に行く」といいます。
筥とは宮内庁言葉で厠のこと、隠岐には高貴なお方が沢山流刑になっていたので、この言葉が自然と方言になり、現在も使われているのでしょう。」
白爺は驚きと感心を一緒にしてきました。
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この島には歴史のある神社が二つあります。
隠岐は、二人の神様が開いたのだそうです。
一人の神様は、玉若酢命と呼ばれる神様で、宿泊した西郷のホテルから近いところにある「玉若酢命神社」に祀られています。
この神社は隠岐の国の総社なっており隠岐造りの本殿はこの地方最古のものだそうです。
玉若酢命神社
屋根の造りは . . . 本文を読む
三日目の朝を迎えました。
白爺たちは7時に朝食を食べて、ホテルがチャーターしたタクシーで西ノ島の別府港に着きました。
「高速客船レインボー2」は8時にこの港を出港します。
白爺たちは早々に乗船して、最後の訪問島「隠岐の島」に向いました。
船内は全て座席になっていて、航行中は流木などに激突した時に怪我をしないように、シートベ . . . 本文を読む
「由良比女神社」を後にした白爺たちは、何十万年もの間、日本海の逆巻く風波に削り取られた大きな断崖や岩礁・洞窟が続く「国賀海岸」に車を向けました。
この海岸は、遊覧船で眺めるのがよいのだそうですが、白爺たちはタクシーを頼んでいるので、岬の放牧場内を「魔天崖」の上まで歩いて見学しました。
魔天崖は大きなナイフで切り取ったような絶壁で、高さは257mにも及ぶと案内され驚き . . . 本文を読む
白爺たち一行は、知夫里島と中ノ島の観光を急遽キャンセルして、西ノ島に直行しました。
この島は、1332年(正中の変)後醍醐天皇が鎌倉幕府の倒幕にあたったが、幕府軍に敗れたため、流刑・否 配流された島だそうです。
また、この地は知名度の高い名士や高官が多く流刑されて住んだため、中央の文化・生活・風俗が大きく影響して、離島とは思えない発展をした地域だと言われているそうです。
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米子で一泊した白爺は、いよいよ隠岐の観光に出発するため、境港市の七類港に行き、「フェリー・くにが」に乗船しました。
七類港の桟橋
9:30Amに七類港を出港した「フェリー・くにが」は一路日本海を西に進み、約2時間で現在約750人が住んでいるといわれる、知夫里島の来居港に接岸しようとしていました。
知夫里の地名 . . . 本文を読む