さて、沖縄は終わって、又テニアンに戻りましょう。
ぺぺニグル海岸の手前に通称テニアンビーチというところがあります。
米軍が占領後休暇などに水泳をしたらしく、水面まで降りる階段が作られているし、
階段の下はプールのような静かな岩陰になっています。
白爺がここの階段から見ていると、大きなリリルー(キツネフエフキ鯛)が泳いでいました。
階段の上から右を見ると、ぺぺニグルの . . . 本文を読む
白爺は、沖縄本島東部の知念にある、斎場御嶽を訪ねました。
知念に行くのには、南部の道を通るので、
途中にある糸満漁港に立ち寄ってみました。
糸満漁港の道をはさんだ向かいに、あんまー魚市場がありました。
新鮮な魚が安く買えると人気の市場だそうです。
あんま-(お母さん)達の活気あるやりとりは、見ているだけでも楽しいですよ。
開設時間が、9時から売り切れ終了までとあるのも面白いです . . . 本文を読む
今日(24日)東京に帰りました。
東京は雪が降ると驚かされましたが、まだ雨です。
沖縄の近況、もう少しお知らせしましょう。
市場(18日)の日というので平和通りにある、牧志公設市場を見に出かけました。
家から平和通りに行くには、与儀公園を突っ切って行くのが近道です。
公園を通ったら鉄道のない沖縄に、何故かD51が飾ってありました。
いつもは気に止めなかったのですが、今日は写真に記録。はいパチリ . . . 本文を読む
沖縄に来ると、庭木の手入れに追われます。
今回は12月に剪定をしておいたから、あまり伸びてはいないのですが、
2階の屋根には写真のようにブーゲンビリヤが花をつけていました。
屋上にも花壇が作られているので、手入れをするのですが、
沖縄の冬は北風が強くて、ネットを張って防いでいます。
太陽が出ると暖かいのですが、曇ると日本と一緒(いや沖縄は日本でした)寒いですよ。
花壇に . . . 本文を読む
白爺は、14日沖縄に来ました。
「老いては子に従え」と言われるが、「留守番に来い」と言う娘の言葉に従って、
Emiiと二人での足労です。
暑い南洋から寒い東京に帰り、また暖かい沖縄なので、体調の切り替えが大変です。
家の近くにある公園には、もう桜が咲いています。
そろそろ葉桜になってしまいそうです。
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ソンソン町の散策を続ずけましょう。
先ず、テニアン神社の正確な位置から説明します。
荘さんがいう、沖縄公文書館にある米軍偵察機の写真を見ましょう。
字は下手ですが1は白爺の家です。
2はテニアン神社の鳥居です。
3は今残っているテニアン小学校の第2校舎です。
白爺の記憶では、神社の神殿は今の教会の建物後方にあったと思います。
神殿右の社務所前を進むと、すぐにマルポ街道に出られました。
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支庁桟橋の海岸は、現在カマビーチとかジョーンズビーチとか呼ばれています。
白爺たちは、小学校の体操の時間になると、必ずここまで駆け足してきて、
水泳をさせられました。
泳げないのに、桟橋から投げ入れられたのもこの浜です。
今日は、ホテルに近い元ソンソン町を散策することにしました
最初に立ち寄ったのは、ホテルと目と鼻の先にあるわが母校 テニアン小学校です。
写真は、第2校舎で第1校舎は取り壊 . . . 本文を読む
雪の消えた東海道を、熱海温泉に行ってきました。
沖縄に行くので忙しいが、東京にいる娘が招待券をくれたので、一寸温泉です。
いつもは、車で飛ばすのですが、 雪が降るといやなので
今回は新幹線で行くことにしました。
熱海に着くと風は強かったが、天気はとてもよく、行楽日和になっていました。
時間があったので、ホテルに入る前に梅園に行ってきました。
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カロリナスの山麓にある、住吉神社に来ました。
鳥居の周りには、パンの木や 椰子の実モドキ?の大木
(海岸の浜近くによく見られる四角垂の実がなる木)が生茂り、
その下には、野生の南洋唐辛子(ドンニー)が沢山自生していました。
バンザイ岬に建てられた神社
住吉神社の神殿は、戦争で壊されていたのですが、カロリナスのバンザイ岬に神社を造られた神官の仲間の方々が、協力し合って新しく神殿を . . . 本文を読む
白爺は、テニアンに行けばフレミングホテルの101号室が定宿です。
101号室には、白爺の一番好きな絵が飾ってあります。
皆さん見てください。この絵の中には
昔の南洋島民生活が,全て集約して描かれています。
ホテルを改装する噂がありますが、
この絵だけは101号室に残してくださいね。
今日は、ぺぺニグルに行きましょう。
ゴミ捨て場の近くから左に折れて、しばらくデコボコ道を行くと小川隊の砲台があ . . . 本文を読む
テニアン空港に降り立ちましたが、フレミングの出迎えバスはありませんでした。
しかし、心配は無用!
顔見知りの空港ポリスに出迎えを依頼したら、すぐにバスは来てくれました。
名鉄系から独立して、日本のスタッフがいないホテルに泊まるのは初めてになりますが、
何十年も101号室をテニアン島の別荘 として使用している白爺には、
違和感が少しも沸きませんでした。
それでも、お正月に鯉幟がはためいてい . . . 本文を読む
白爺は、テニアン島に里帰りしたら、沢山の方が玉砕した バンザイ岬にある慰霊碑に、お参りしないとどこにも行けません。
今回も、先ず一番に亡くなった方々の慰霊と日本の平和を祈念してきました。
この慰霊碑は、テニアン島から引き揚げた人たちが浄財を集めて建立しましたが、何時の間にか発起人の中の進歩的な人たちが、自分達が建てたように言っているようです。
白爺は、慰霊には革新も保守も無いと思っています . . . 本文を読む