白爺の父は、白爺が6年生になってすぐに、一人でパラオ島に行きました。
戦争が激しくなり、テニアン島で和服の教室を開いていても生徒が集まらず、友人から「パラオ島では仕事がある」という話を聞いて視察に行ったようです。
しかし、戦争が更に激しくなったのでテニアンに帰ることが出来なくなり、そのまま単身でパラオに住み、南洋庁に勤務することになったようです。
写真は、そのときの採用辞令だそうで、終戦後引揚 . . . 本文を読む
父が残していた古いアルバムの写真をスキャンし、DVDで整理していたら、恐ろしい写真が出てきました。
トップに載せた写真がその写真です。
裏には、「関東大震災本所被覆廠で写した写真」と書いてありました。
関東大震災という言葉は、通常何気なく使用していますが、白爺は正式な記録を知らなかったので、早速調べることにしました。
すると、
「関東大震災(かんとうだいしんさい)は、1923年(大正12年) . . . 本文を読む
今日は、蛸の木(アダンの木)のように足を伸ばしてテニアンの花を観察して見ましょう。
フレミングホテルの庭に植えられている名前の知らない花です。
この花も庭で見つけました。
沖縄の月桃の葉に似ているが、花は違っていました。
男パパイヤの花です。
マンゴーの花も咲いていました。
. . . 本文を読む
娘の家の一日は、朝小鳥のさえずりから始ります。
リビングの窓から見ると名前の分からない小鳥が来ています。
三階の庭にあるこの花には、メジロが止まって花の蜜を吸っていました。
四国巡礼から帰宅した娘夫婦は、「両親ががいる間に・・」と言って沢山の花の苗を買ってきて、「帰る前に植えて行ってねー。」と押し付けてくれました。
喜寿を前にした . . . 本文を読む
また、沖縄に戻りましょう。
那覇市内にあって近いのに、何時も素通りをしていた福州園を、今回は観光して来ました。
福州園は中国の福州市と那覇市が友好都市を締結して10周年を記念し作られたのだそうです。
「面積は、8,500㎡で、中には中国福州の千山・烏山・扇山・白塔・烏塔等の名所を配置し、雄大な自然描写の池・築山・滝・彫刻を眺めていると、これが都心 . . . 本文を読む
午後7時に曾孫宅をサヨナラして、白爺と娘夫婦4人は近くのホテルに行きました。
もう辺りは暗くなっていました。
そして八ヶ岳方面には、写真のような明かりが見えました。
四人は何の明かりだろうと話しながら部屋に落ち着きました。
泊ったホテルは、このホテルです。
ホテルの前には、牧場の保管飼料で作られた人形が、雪除け用の箒を持っ . . . 本文を読む
東京にいる娘夫婦が、孫の顔を見に行くというので、白爺とEmiiも車に便乗して曾孫の顔を見に行くことにしました。
夏到来の沖縄から東京に帰り、休む暇も無く冬がまだ残る八ヶ岳山麓の村に旅行です。
(沖縄情報はまだ残っているのですが、とりあえず長野の情報を先に記します。)
東京は朝から快晴になっていたのですが、長野県は昨日「雪が降った」とテレビが放映しているので、雪道を心配し関越道を通らず中央道 . . . 本文を読む