白爺の独り言

故郷テニアン島へ帰る旅!
 古い友達と巡る秘湯の旅!
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お暇な人 寄っていって~。

サイパン空路コンチネンタルの時代③(1981年頃)

2010-12-25 09:22:35 | テニアン今昔
1981年の大晦日、フレミングホテルのスタッフと一緒に、年越し蕎麦を食べながら
NHKの短波放送から流れる「紅白歌合戦」を聞いているところです。



この頃になると日本からの慰霊団や観光客が多く見られるようになりました。
ホテルの部屋が満室になると、白爺たちはスタッフに無理を頼まれて、古い別館の部屋に一時移されることがありました。
この写真がその別館です。
ホテルのスタッフは、白爺たちを「仲間内」と思ってくれているので、無理が言いやすかったのでしょう。
このようなお付き合いは現在も続いています。

         

一年前には工事中だった「テニアン飛行場」も、立派な「新空港」に変わっていました。



港近くには製氷工場も出来て、大きな船が入港するようになっていました。

              

マグロやカツオを獲る、日本の漁船も港に入っていました。
ここで見る日本語の船名は、何故か懐かしい感じがするものですが、何故左から読む書き方をしているのでしょうねー。



漁獲した魚を降ろしていることがありましたが、製氷工場で冷凍保存して日本まで運んでいたのでしょうか?
この年から何年か過ぎると日本の漁船は殆ど入港しなくなり、変わって韓国の漁船が入っていました。
しかし、最近では漁船の姿を見ることが殆どなくなりました。
魚がいなくなったのでしょうかねー?

            

この頃になると白爺は遅れ馳せながら「魚釣り」を楽しみ始めました。
珊瑚の磯を歩くのは子供の頃から慣れているので、若い人にも遅れないで釣り場まで行くことができました。



当時は今のテニアンと違って、「餌を落とせば魚が掛かる」釣果が楽しめました。
網を使って大量に捕獲しなければ、今でもこのように釣れるかもねー





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