この年に、初めて弟を連れてテニアンへ行きました。
弟は三歳年が違いましたが、早生まれなので学校は2学年しか違っていませんでした。
グラマンの空襲にも、二人してマンゴウの木に登りながら「ドイツの応援機だ」と騒いだものです。
彼は、白爺に輪をかけた釣り好きで、この時初めて二人でトローリングに挑戦しました。
今度は、見るだけでなく釣り道具を貸してもらえることを、事 . . . 本文を読む
二年後に行った時のテニアンです。
空港前には、カロリナスの大砲やテニアン校の機関砲などが集められて展示されていました。
住吉神社には、しめ縄が飾られていました。
金比羅宮の神主さんたちが、参詣されたのではないかと思って眺めてきました。
日本海軍第一航空艦隊司令部跡です。
この頃の案内板には「コマンド・オペレーション」の文字が書かれていたのですが、最近の案内板(相当傷 . . . 本文を読む
Emiiは毎年群島協会の慰霊団として、南の島に渡っていましたが、白爺は職場があるので毎年の渡島は無理でした。
この年は、マルポ会の方たちと一緒に、白爺は二年ぶりにテニアンへ訪問することになりました。
恒例により、渡島した白爺は先ずカロリナスのバンザイ岬に行き、慰霊碑に平和な日本の現状報告と戦死された方々のご冥福を祈ってきます。
ここは、何時行っても太平洋の強風 . . . 本文を読む
白爺は、5年半ぶりにテニアン島へ渡りました。
余談です!
写真は「広島への原爆搭載地」と案内されていますが、後年穴を掘り起こしてみたら、この場所は「長崎への原爆を搭載した場所だ」ということが分かりました。
掘り起こされた穴はこの通りで、今ではB29に積み込むために原爆を置いた台も見ることが出来ます。
この回のテニアン訪問には、白爺が勤務していた職場の「バンドサーク . . . 本文を読む
Emiiは、沖縄の留守番旅を終えて、東京に帰ってきました。
帰ってきての第一声は、「娘達の家の屋上ガーデンは草が生い茂っていて、草取りをするのに滞在した日を全部使い尽くした」でした。
白爺は、Emiiの持ち帰った写真を見ながら、「屋上にパパイヤがあるのを知らないから、相当長い間沖縄へは行っていないのだなー」と、感じながらその話を聞いていました。
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テニアンの空港は新しく生まれ変わっていました。
珊瑚の石積みは何処へ言ったのでしょう?
このときは、ホーンさんがガイドをしてくれました。
後にはパンの木があるようですが、何処でしょう?
自宅の裏口かな?
テニアンに行けば、観光する場所は決まっています。
このときもカロリナスの慰霊碑にお参りした後は、タガ族の遺跡を訪ねていました。
後の景色が殺風景ですねー。
ま . . . 本文を読む
前回から4年を経て、白爺たちはテニアン島に再上陸をしました。
フレミングホテルは、2階の増築工事が行われていました。
2階は工事中ですが、ホテルの隣にあるランドリーはまだ建っていません。
学校まで見渡せる殺風景な景色ですが、ここにはジャンKINさんがヤシガニやヤドカリを剥製にして、土産に売る店を開いていました。
テニアン有数の財産家も、当時は苦労されてい . . . 本文を読む
本棚に並んでいるアルバムを眺めていたら、古いテニアンが写っていました。
今までに紹介させてもらった写真もあるのですが、懐かしいので改めて写真に写し紹介したいと思います。
「バカチョンカメラ」で写した写真なので見難いと思いますが、勘弁してください。
1975年に白爺たちはテニアン小学校の同窓会をテニアン島で行いました。
戦争に追われて1944年に分かれてから、31年ぶりの再会と母校の土を踏んだ感激 . . . 本文を読む