本日の毎日新聞に、テニアン島で玉砕戦に参加していた磯部さんの記事が掲載されていました。皆さんにも是非読んでいただきたいと思って、「白爺の独り言」に投稿させてもらいました。
以下は、写真を含めて毎日新聞の記事です。
2014年8月13日(水)01:00
太平洋戦争の激戦地で「玉砕の島」と呼ばれた中部太平洋のテニ . . . 本文を読む
白爺のテニアン旅行が、後2日後に迫ってきました。サイパンに到着した白爺は、すぐにフリーダム航空のこのセスナ機に乗り換えて、テニアンに向います。このセスナ機は有視界飛行のため、雨が降るとフライトすることが出来ません。
サイパンの天気予報
9日(日)10日(月)11日(火)12日(水)13日(木)14日(金)15日(土)
天気
晴時々曇
晴時々曇
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随分昔のことですが、白爺は1944年にテニアン島のテニアン小学校を卒業しました。
その時の校長先生は、藤崎武重先生です。空襲の中で頂いた卒業証書には、その名前がはっきりと書かれています。
貴重な卒業記念写真です。真ん中に座っている先生が藤崎校長先生で、その斜め左には薙刀などを教えていた奥様の藤崎先生が写っています。後に立っているのが白爺です。
Emiiも同級生 . . . 本文を読む
アメリカの歴史学者デビット博士から、久しぶりに写真添付のEメールが入りました。
添付されていた写真はこの写真ですが、米軍がテニアン上陸直前に撮影したもののようです。
そして写っている建物などの詳細が知りたいと言われました。
更にEmiiが生まれた場所が「マルポ22番地」であることが判っているので、数字を記入してくれました。
(22番地は最初の写真赤枠が正当ですが)
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「防空壕」という言葉が久しぶりに耳に飛び込んできました。
北朝鮮が、11月23日午後2時半頃突然韓国の延坪島に艦砲射撃、否砲台射撃を仕掛けてきたそうです。
テレビの放映では、砲弾が炸裂する様子や、火災が発生する様子が放映されていましたが、久しぶりにテニアンで経験してきた怖い思い出が甦ってきました。
小さな島に住んでいる人は、「敵が上陸してきたら逃げ場がない」という、本当に心細い気持ちになるのですが . . . 本文を読む
6月は南洋桜(鳳凰木)が満開
最近の新聞紙上には、国会議員が、
「沖縄の米海兵隊の基地をテニアン島に移動させろ」
と提案していると報じています。
日本海軍第1航空艦隊司令部
確かにテニアン島には、昔日本海軍の第1航空艦隊司令部があり、不沈空母として利用するには最適な所と思います。
しかし、テニアン島を我が故郷としていたのに玉砕に遭遇 . . . 本文を読む
あっという間に正月の行事は終わってしまいました。
東京は又何時もの姿に戻り、寒い毎日が続いています。
東京は、寒くても穏やかな晴天が続くので助かりますが、「日本海側は大雪続き」とニュースは伝えています。
大変でしょうねー。
さて、白爺は寒い東京を避けて
いよいよ TINIAN 行きです!
浅草の觔斗雲(きんとうん)も「早く行って来い!」と見送 . . . 本文を読む
今回の写真には、白爺がテニアンで巨大台風に遭遇した状況が残っていました。
出発の成田空港は、梅雨の小雨が降っていたようです。
テニアンに到着すれば、そこは真夏の宙が待っていました。
そして、ホーンさんの車も新車に替わっていました。
今ハワイにいるラビーナが、月賦で買ってプレゼントしてくれたようです。
前回までは、日本の車は「マツダ」が一番と言っていたのに、今回会っ . . . 本文を読む
パラオ島コロールにあった南洋庁の庁舎
今では「南洋庁」という言葉を知っている人は少なくなったことと思います。
南洋庁は、ヴェルサイユ条約(1919年6月28日にフランスのヴェルサイユで調印された、第一次世界大戦の講和条約)によって、日本の委任統治領となった南洋群島に設置された日本の施政機関で、1922年に開設され1945年の敗戦で事実上消滅しました。
所在地 . . . 本文を読む
この年にサイパン島のマスコット人形が出来ました。
犀とパンダをプラスして「サイパン」にしたそうですが、空港で突然現れたので驚きました。
先ずは、半年振りに帰島したので、慰霊碑に参拝して故国の品をお供えしました。
白爺が通学したテニアン小学校です。
相撲をとったり陣取り遊びをした思い出がここへ来ると何時も思い出します。
休憩時間が終わると、この天 . . . 本文を読む
この飛行機に乗って、サイパンに渡りました。
今は懐かしいJAL便ですねー。
この頃の白爺は、クリスマスと正月をテニアンで迎えることにしていました。
そのためカロリナスの慰霊碑には、毎年鏡餅をお供えして新年を迎えていました。
関係する慰霊碑が沢山あるので、鏡餅の数も多く荷物になっていましたが、生き残った者の義務として持つので重いとは考えませんでした。
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前回の続きです。
滞在中に、金比羅宮の宮司さんや巫女さん来島して、テニアンのジャングルや洞窟に未だに眠っている玉砕戦死者の遺骨を収集しました。
引率は、再三遺骨収集に来られている森さんです。
収集してきた遺骨や遺品は綺麗に洗い、フレミングホテルの中庭にシーツを広げて整理をしていました。
さすがに金比羅宮の巫女さんたちです。
収集してきた遺骨を、怖いとも汚いとも . . . 本文を読む
この年の6月には、テニアンでいろいろな行事が行われました。
沖縄県の慰霊祭は勿論のこと、全国南洋会テニアン大会や金環日食の観測地等々世界的にもテニアンの名を高めた年でした。
白爺たち何時ものメンバーも、南洋大会に出席する予定でテニアンに渡りました。
行事が始るまでは、何時もの通り自分達の住んでいた場所を確認するために、力強いこの車で島巡りをしていました。
マルポ出身者が . . . 本文を読む
半年振りのテニアンです。
浜の景色は変わりませんが、気温は6月より涼しいようです。
南洋の雑草はすぐに伸びてきます。
懐かしいこの建物も、すっかり雑草に覆われていました。
日本時代のテニアン町役場の防空壕付近は、きれいに整備されています。
少し高くなっているのが防空壕です。
防空壕の入口は昔の姿を残していたので、ハイ!パチリ と撮ってきました。
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この時は、マルポ会のメンバーが主体となって行きました。
白爺のカメラは、この旅行からデジカメに変わりましたが、慣れないので苦労した思い出があります。
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今までのカメラと違い、写したものがすぐに見られるので、面白がって同じものを何枚も写して喜んでいましたが、慰霊碑の参拝だけは真剣に写してきました。
この当時は、沖縄の慰霊碑はまだ造られていなかったようですねー . . . 本文を読む