いよいよ白爺たちを乗せて日本へ飛び立つ、デルタ航空の飛行機がサイパン空港に着陸しました。
日本を10時過ぎにフライトしてきた飛行機でしょう。
ブリッジが渡されていますから、間も無く日本からのお客様が降りてくることでしょう。
白爺たちが乗るまでには、まだ時間があります。
ブリッジ近くで仕事をしていたBさんが、「日本時代の資料が飾ってあるから見てきたら」と言いに来 . . . 本文を読む
白爺たちは、サイパンに行く時は必ず「ダイヤモンドホテル」に泊まっていました。
そのホテルが、経営交代で名前が変わってからは、白爺たちは一度も行ったことがありません。
Bさん宅で昼食をご馳走になっても、フライトまで時間があったので、遊園地が出来たというこのホテルに行ってみることにしました。
裏庭にあったプールも遊園地の一部に変わっているようでした。
ロビーを通ってホ . . . 本文を読む
テニアンを飛び立って、10分少しでサイパン空港に到着です。
空港では、ネパールのBさんが出迎えてくれました。
予定ではBさん宅で昼食をご馳走になるのですが、早く来いというので白爺たちは早くサイパンに着いたので観光に連れて行ってくれました。
植物園がよいと思って行ったら休館日なので、名前だけは小さいときから聞いていた、「ラウラウ湾」を見に連れて行って貰うことになりました。
その場所は「ラウラウゴルフ . . . 本文を読む
「光陰矢の如く」
29日間の日時はあっと言う間に過ぎて、いよいよ帰国の日が来てしまいました。
フレミングでは、手の空いている人が全員で見送ってくれました。
プレゼントとして、ブーゲンビリアの花で作ったレイを二人の首に掛けてくれましたが、サイパンまで良い香りが漂っていました。
テニアン空港も明るくなっていました。
カジキの標本は、看板として相変わらず飾られています。
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白爺は、ダイナシティ・通称カジノホテルで昼食を食べることになりました。
ホテルの玄関には、雪だるま?のイルミネーションが飾ってありました。
玄関を入ると、広いロビーがあります。
音響効果が施されているので、ソフアーに座って話すとエコーが聞こえます。
ここでカラオケ歌ったら上手に聞こえるのでは?・・と白爺は思いました。
左方向にカジノがあります。
入口にはスロットマ . . . 本文を読む
フレミングのDさんが、「うちの豚牧場を見に行こう」と誘ってくれました。
即座に「連れて行って」と言って車に乗りました。
フレミングさんのお宅は、広大な敷地になっています。
邸宅から眺めると、中央に椰子の木が茂って知るところが豚牧場の位置です。
その場所へ行ってみると、パンの木が沢山生い茂っていて、木の上にはまだ成熟していませんが「パンの実」が沢山生っていました。 . . . 本文を読む
フレミングでは、昨年のクリスマスパーティを都合で開かなかったようです。
白爺たちが来たので、歓迎の意を含めて従業員のパーティを開いてくれました。
パーティの始る前にはお祈りがあり、それが済んだら皆で一致団結してフレミングを発展させようとの誓いが手を繋いで行われました。
従業員と家族が一緒なので、人数は結構大勢です。
いろいろとチャムロの料理が並べられていま . . . 本文を読む
今日は中国ストアーに行った時のことをお知らせしましょう。
昔はストアーと言えばフレミングでしたが、最近では中国系ストアーが品物豊富だと言って島の人たちに便利がられているようでした。
白爺は、まず酒の売り場に目を向けました。
高価なものは無いようでしたが、種類は豊富なので驚きました。
フレミングストアーに焼酎がなくなっていたので、探していたら「大五郎」が目に入 . . . 本文を読む
ワシントンに帰ったリノさんから、テニアンで写した写真が送られてきました。
説明文によるとこの写真は、白爺たちが住んでいたときは通称”支庁”と呼んでいた「南洋庁サイパン支庁テニアン出張所」(後にサイパンは北部支庁に変わった)場所だそうです。
白爺は、終戦後数十回テニアンに行っていますが、支庁の建物全体跡を眺めるのはこれが初めてです。
写真の右側に少し見えるのは通称”カルボス”と呼んでいた「留置 . . . 本文を読む
今回訪れたタチョンガビーチは、風が強くて気温も低く、とても海に入りたくなるような気候ではありませんでした。
もともと白爺は「年寄りの冷や水」だと言って、海に浸かる気持ちは無かったのですが、表向きには「気温が低いので泳がなかった」ということにしています。
昔ホーンさんと、投網でティアオ?(小さいオジイサン)を沢山獲った浜です
この浜の先は、ワシントンにいるLさんのE . . . 本文を読む
カロリナスにある住吉神社に参拝しました。
久しぶりの参拝ですが、思ったより綺麗になっていました。
鳥居も昔のままの姿で建っていました。
神社名の碑には、「天仁央神社」の文字が書かれていましたが、多分テニアン神社と書いた心算でしょう。
でもテニアン神社と書くなら「天仁安神社」と書くのが正しいのですが。
(南洋庁時代なら・・)
いずれにしても、この神社は住吉 . . . 本文を読む
昔日本の兵隊さんが、空襲に来るグラマンを目掛けて、弾を撃ち続けていた機関砲です。
Lさんが、家(今びけちゃんが住んでいる)でタンジュリン(甘いみかん)を取っている所ですが、ソバに置いてあった鉄屑を見て、ボソッと白爺に話しました。
「この鉄屑は、バナナの木の下にあったのだが、邪魔になるのでここに動かした。
動かすと、この鉄屑の下から鉄砲の弾が沢山出てきたよ」 . . . 本文を読む
戦争が激しくなった時に、日本軍の野戦病院が設営されたと聞いたことがある洞窟の近くに韓国の慰霊碑が建っています。
ホテルからそこまで歩いて行ったのですが、新市長特命の清掃隊が途中の草むらの草刈をしていました。
草刈が終わって、綺麗になった景色を見てください。
そして慰霊碑の隣には、マリアナ大学(今は生徒が少なくて廃校になっていると聞きましたが?)がありました . . . 本文を読む
テニアンは通常なら乾燥季で雨が少ないのですが、今回は雨季を思わせるような、雲が多く又風も強く吹く天気が続いていました。
それでも折角南洋に来たのですから、碧い海を眺めたいと思い一周してきました。
ホテルから北に向かい、先ずロングビーチから見ていきましょう。
遠くにサイパン島が見えますが、波が荒いので靄がかかり、薄くしか見えませんでした。
この波では泳ぐ気にもなりませんでした。
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毎年3月の第二火曜日に鬼怒川温泉「花の宿松や」で開かれる、東京中央電報局OBの懇親会に出席してきました。
今年は異常気候のためか、3月半ばというのに家を出る時は4℃を少し回る気温。
日光付近では雪が降るかもしれないとテレビでは放映していました。
浅草には予定の時間より早く着いてしまったので、白爺は観音様を参詣してから駅に行きました。
駅のホームでは特急電車が待っていましたが、白爺たちはその . . . 本文を読む