昔の話・・
66年前のテニアンです。
前回のカロリナス写真にあった米軍のスピーカーに誘われたのか、日本の兵隊さんに勧められたのか分かりませんが、民間人が投降して洞窟から出てきた写真のようです。
投降してきた人達は、50人ずつに区切られてトラックでキャンプ(収容所)へ連れて行かれたそうです。
Emiiの話では、家族が分割されると必死で妨害していたそうです。
アメリカ兵に捕まれば、「日本の婦女子は強姦する・男は穴に埋めて戦車で引き殺す」
と聞いていてそれを信じていたので、家族が離れ離れにならないように防いでいたとのことです。
白爺も信じていました。
これもEmiiの話ですが、連れてこられた収容所はハゴイにあったそうです。
着いてもそこは炎天下の広場で、二日間この炎天下に晒されていたそうです。
その頃の写真かもしれませんねー。
便所も穴が掘られた上に板が渡されただけのもので、男性も女性も区別されていなかったそうです。
本当の非常時になると、恥ずかしいことは無くなるそうです。
チューロキャンプに移る頃には、かまぼこ型の収容所が建てられたそうです。
学校も開校されたし、洗濯場・炊事場・畑仕事等などの仕事も与えられて、ドルで賃金が支払われたとEmiiは言っています。
今の話・・
戦前からある「カーヒー駐在所の玄関跡」です。
ここがチューロキャンプ(収容所)の中心になっていたようです。
近くに立つ「南洋桜」の木は、収容所のことを知っているのでしょうか?
キャンプの中には、味噌を作る場所もあったそうです。
タガンタガンのジャングルになっているので、なかなか入ることが困難なのですが、白爺たちは数年前にホーンさんの案内で入りました。
すると当時味噌を作ったと思われる、大きな竃を発見しました。
大きなコンクリートの残骸もありましたが、Emiiはキャンプの水タンクではないかと言っています。でも結局結論が出ませんでした。
この付近は、タガンタガンのジャングルで、
一人で入ると方向が分からなくなりますから、探検するときは案内ができる人と一緒に入ってください。
念のため!
駐在所の付近には、大きなマンゴーの木があります。
滅多にこの辺には人が来ないので、6月に行った時には完熟マンゴーが沢山落ちていました。
参考です。
66年前のテニアンです。
前回のカロリナス写真にあった米軍のスピーカーに誘われたのか、日本の兵隊さんに勧められたのか分かりませんが、民間人が投降して洞窟から出てきた写真のようです。
投降してきた人達は、50人ずつに区切られてトラックでキャンプ(収容所)へ連れて行かれたそうです。
Emiiの話では、家族が分割されると必死で妨害していたそうです。
アメリカ兵に捕まれば、「日本の婦女子は強姦する・男は穴に埋めて戦車で引き殺す」
と聞いていてそれを信じていたので、家族が離れ離れにならないように防いでいたとのことです。
白爺も信じていました。
これもEmiiの話ですが、連れてこられた収容所はハゴイにあったそうです。
着いてもそこは炎天下の広場で、二日間この炎天下に晒されていたそうです。
その頃の写真かもしれませんねー。
便所も穴が掘られた上に板が渡されただけのもので、男性も女性も区別されていなかったそうです。
本当の非常時になると、恥ずかしいことは無くなるそうです。
チューロキャンプに移る頃には、かまぼこ型の収容所が建てられたそうです。
学校も開校されたし、洗濯場・炊事場・畑仕事等などの仕事も与えられて、ドルで賃金が支払われたとEmiiは言っています。
今の話・・
戦前からある「カーヒー駐在所の玄関跡」です。
ここがチューロキャンプ(収容所)の中心になっていたようです。
近くに立つ「南洋桜」の木は、収容所のことを知っているのでしょうか?
キャンプの中には、味噌を作る場所もあったそうです。
タガンタガンのジャングルになっているので、なかなか入ることが困難なのですが、白爺たちは数年前にホーンさんの案内で入りました。
すると当時味噌を作ったと思われる、大きな竃を発見しました。
大きなコンクリートの残骸もありましたが、Emiiはキャンプの水タンクではないかと言っています。でも結局結論が出ませんでした。
この付近は、タガンタガンのジャングルで、
一人で入ると方向が分からなくなりますから、探検するときは案内ができる人と一緒に入ってください。
念のため!
駐在所の付近には、大きなマンゴーの木があります。
滅多にこの辺には人が来ないので、6月に行った時には完熟マンゴーが沢山落ちていました。
参考です。
当時は、名鉄のスタッフですらその存在を知らないでいました。
その後、皆でこの場所でXmasカード用の写真を撮りました。
1993年の10月のことです。
昔から綺麗な道が通っていたと思っていましたが、あそこが蔦に隠れているとは驚きました。
テニアンも変わりましたねー。
フレミングのスタッフと、紅白を聞きながら年越しそばを食べた頃が懐かしく思い出されます。
もう歳かいなー。