昨夜は12時ころまで荷物の片づけをしていたのに、白爺は5時を過ぎたら目が覚めてしまいました。部屋から抜け出してホテルの前で日の出を迎えます。5;20Am頃になるとマルポ方面の空が明るくなり、朝日が昇りはじめました。教会の屋根が邪魔をするので、日の出の太陽は見ることが出来ませんでした。
午前5時というと東京は4時ですが、ホテルの上に青空が見えるようになりました。フレミングホテルは外 . . . 本文を読む
サイパン到着が早くなったので、3:20Pmにはテニアン行のローカル航空カウンターに来てしまいました。 予約してある時間は4時フライト便だったのですが、3時半このセスナ機に乗ることが出来ました。
副操縦席のドアを開けて外の風を機内に入れながら、サイパン空港の滑走路に向かっています。
滑走路を離れると、セスナ機はすぐにテニアン島の上空に到着します。下には東京空襲に . . . 本文を読む
テニアンへ向けて出発の日が来ました。朝5時にモーニングコールを依頼したので、暗いうちに目を覚ませました。
昨日ローソンで買っておいた「梅干しオニギリ」の朝食を済ませて、6:20Amホテル発のバスで空港出発ロビーに向かいました。
「成田エアポートレストハウス」ホテルは . . . 本文を読む
白爺たちは1年ぶりにテニアンへの旅行を計画しました。池袋駅始発の成田空港行きJRエキスプレスでいざ出発です。
池袋駅出発は12:33Pmですが、ホームに待っていると湘南方面行の電車が引っ切り無しにホームに入ってきていました。宇都宮発平塚行などの電車も見られましたが、昔の国労の人たちなら絶対に走らせなかっただろうなーと思いながら眺めてきました。
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ロングビーチを後にした白爺たちは、チューロビーチに来ました。何時も静かな浜辺には台風の余波による大波が打ち寄せていました。
丁度お昼の時間になったので、リノさんが持ってきた弁当を食べることにしました。
テーブルはリノさん手作りのものです。ワシントンで見た折り畳み式テーブルを真似して自分で作ったのだそうです。偉いですねー。
弁当は奥さんが作ってくれた「おに . . . 本文を読む
ロングビーチに別れを告げに来ました。 遠くに見えるサイパン島を含めて、この景色は確りと想い出に残しました。
喉が渇いたのでヤシの実の水筒からジュースを飲みました。一つの椰子にコップ2杯以上のジュースが入っていました。
ジュースを飲んだ後は実を二つに割ってコプラを食べました。リノさんの言う「テニアン弁当」の味に満足しました。
今回の旅行ではこれでロングビーチの . . . 本文を読む
リノさんの車に乗り、台風が通過した海の状況を視察に行くことになりました。行く先はロングビーチとチューロビーチです。遠足には水筒が必要です。リノさんは途中にある椰子の木を眺めながら車を運転していましたが、この木の椰子が美味しいと言って車を停めました。
リノさんは、一見しただけで椰子の実の美味しい・不味いが見分けられるそうです。
道端のジャングルに入りタガンタガ . . . 本文を読む
午前4時にホテルを出てチューロビーチに朝釣りに行きました。リノさんはじめ誰にも魚信はありません。今朝はオデコ(収穫なし)かなと思っていたら、突然Emiiのリールがキーキーと鳴りだしました。大きな魚なので白爺が手助けをして釣り上げた魚はこの魚です。
上手に唇に針を掛けたので釣り糸を切られることがありませんでした。餌が口の下に見えています。
釣った時は暴れる . . . 本文を読む
南洋興発のテニアン製糖工場跡に来ました。
テニアン市長がこの記念碑周りを整備してくれるので、雑草は伸びておりません。栗林南洋群島協会会長が中心になって建立した記念碑の文字は綺麗になっていました。
白爺が戦後初めてテニアンに来た時は . . . 本文を読む
テニアン島唯一の郵便局です。白爺はこの郵便局からハガキを出しました。日本までのハガキ代は、1通1ドル15セントでした。
局内には記念切手のポスターが沢山貼ってありました。
日本の郵便 . . . 本文を読む
テニアンの交通標識を見てください。このマークは人が歩くということらしいのですが、横断歩道の印が無い所に立っていました。「ここを歩いて渡るな」という表示でしょうか?
同じマークですが矢印があって横断歩道の表示があります。「ここを渡れ」という意味と思ってみてきました。
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リノさんの車で朝5時にホテルを出発して、ロングビーチに行き釣りをしました。
釣竿を入れて暫くすると空が白んできました。サイパン空港の灯りも消えて、タッポーチョーの山が遠くに見えてきました。
東の空が輝いてきました。日の出の時間になったのでしょう。
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タガ族の遺跡を見学した後、海岸通りを歩いてカマビーチに向かいました。
現在カマビーチと呼ばれている浜辺は、日本時代は「支庁桟橋の浜」と言っていました。右端に見える茂みは、日本時代にテニアンとサイパンを結ぶ定期船が入出港していた桟橋があった場所です。
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「タガハウス」を見学しました。現在はタガハウスと呼んでいますが、白爺がテニアン滞在中は「タガ族の遺跡」と呼ばれていました。
古代チャムロ人が住んでいた家の土台だそうですから、「タガハウス」と呼ぶのが本当かも知れませんねー。
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「タガ族の遺跡(タガハウス)」の隣に造られた日本人の慰霊碑に参拝しました。
何時も紹介する善光寺の慰霊碑です。中央に大きく造られている慰霊碑は、綺麗に清掃されていました。
左側には松本連隊の慰霊碑が建っています。
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