関野さんは、日本統治時代にテニアン島で店を開いていた、「馬場さん」のお孫さんだそうです。
マルポの井戸付近には大きな別荘があったそうです。
この写真は、マルポにあった雑貨店だそうです。
テニアン島の写真帖に載っていました。
関野さんと白爺たちは、前回来島のテニアンで偶然知り合いました。
今回は「先祖が住んでいた場所に行ってみたい」と希望して、白爺たちが滞在している時期にテニア . . . 本文を読む
発電所を後にして1航艦の燃料庫に来ました。
さすがに磯部さんは疲れたようで、車の中で待つと言われ、Emiiと待つことにしました。
燃料庫は前回見たときと変わらずに残っていました。
到着して中を覗くと、燃えつくされたドラム缶がゴロゴロ転がっていました。
世が世ならば、ゼロ戦の燃料になっていたのでしょうが、悔しいですねー。
燃料庫を後にして次は弾薬庫に行きま . . . 本文を読む
司令部を後にして少し離れたところに建つ「1航艦の発電所」に立ち寄りました。
建物は頑丈に出来ていて、昔のまま残っています。
壁には砲弾が命中しているようですが、鉄筋が頑丈なので粉々にはなっていません。
発電機のモーターでも置いてあったのでしょうか?
集中攻撃を受けていた時のことを想像してください。
「造っては壊し . . . 本文を読む
潮吹き海岸を左に曲がり、B29の滑走路をエンジン全開で突っ走ると「日本海軍第1航空艦隊司令部(以下1航艦という)の跡に到着です。
最初に現れるのが、航空管制室の建物です。
この管制室は、米軍がテニアン占領後、B29の航空管制にも使用したと説明書がありました。
現在は土蜂に占領されていて、建物の周囲は土蜂の巣に覆われていました。
管制室を離れて、1 . . . 本文を読む
磯部さんが隠遁していた洞窟を後に、一行は後戻りをしながらバンザイ岬に向いました。
メイン道路に戻るとテニアンの町が全貌できる場所になります。
チョッと車を停めて写真を撮りました。
雨が降るとバスを降りて後押しをしなければならなかった悪路も、今では完全な舗装道路に変わりました。
デコボコしないで快適にバンザイ岬に到着しました。
一行は、先ず慰霊碑に参拝です。
手 . . . 本文を読む
テニアンの玉砕戦で洞窟に潜り、1年3ヶ月守備隊として頑張っていた兵隊さん「磯部利男さん」がご家族と一緒にテニアン島に来られました。
米軍上陸時には90人いた磯部さんの部隊は、1ヶ月余りで壊滅したそうです。
磯部さんは鼠のように、夜になると洞窟から出てきて食料探しをしていたそうですが、ある日拾った本から終戦を知って米軍に降伏したのだそうです。
その時の戦友は、4名だけだったそうです。
(鳥取の新聞記 . . . 本文を読む
再び テニアンの報告に戻ります!
ホテルの従業員が、「フレミングのDさんが家を新築」と話してくれました。
白爺たちは、「Dさんが家を新築したのならばお祝いに・・」と早速フレミングさんの広大な屋敷を訪問しました。
到着してニューハウスを見ると、ハウスはハウスでも豚小屋でした。
白爺たちは、「開いた口が塞がらない」状態で驚きました。
英語で話を聞くとよくあることですがねー・・。
. . . 本文を読む
白爺たちは、告別式に参加するため、磐越西線の猪苗代駅まで行くことになりました。
通常ならマイカーで行くのですが、連休で高速道が込み合うとテレビが放映しているので、今回は新幹線を利用することになりました。
指定席を利用しているので、上野駅で乗車すればよいのですが、白爺たちは早い時間から東京駅まで行って始発駅乗車をしました。
告別式の斎場の窓からは、会津磐梯山がは . . . 本文を読む
孫の家の屋敷内には、八ヶ岳から湧き出る綺麗な水源地があります。
写真の左奥に、その池はあります。
池は大きくないのですが、生い茂っている水草の間からは、綺麗な水が湧いているようです。
水源地の回りには、天然山葵が沢山生えていました。
湧き出た水は小さな川になり、その川は同じような小川を集めて、少しずつ大きくなっていくようです。
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長野県には、連日大雨警報が発令されていましたが、野辺山付近では心配されるような大雨は少なくて、農家は毎日高原野菜の収穫に追われていました。
孫の家では、収穫日を考えて三日置きにレタスやキャベツの種を蒔いているそうです。
種まきも全て機械化されています。
あの小さな菜種を2.5cm四方位の苗床に、確実に一粒ずつ機械が蒔いてくれると聞いて驚きました。
丹精こ . . . 本文を読む
孫の家のベランダから眺めると、野菜の苗を育てるビニールハウスが並んで見えます。
反対側の窓からは、母屋を見ることが出来ました。
母屋の庭には、水仙が沢山植えてあるのですが、この時期には見ることが出来ません。
薔薇や名前の知らない花が咲いていました。
母屋と孫たちの家の間には、大きな松が植えてあります。
赤松だが、松茸は出ないでしょう . . . 本文を読む
野辺山に行くと何時も利用するホテルです。
飼料で作った、可愛い牛が出迎えてくれました。
孫の家に行く途中にあるので、チェックインを先に済ませておきました。
このホテルの前には、このような標識が立っています。
普段ならこの標識の後には八ヶ岳が眺められるのですが、今回は霧の中に隠れていて美しい姿を見ることが出来ませんでした。
ドライブインも、停まっている車は . . . 本文を読む
白爺は、10ヶ月ぶりに曾孫の顔を見る旅をしました。
長野県は大雨警報が発令されていて、高原の山道を走るのを心配したのですが、大雨の後あとを追いかけて車を走らせたので、危険にも遭遇しないで野辺山駅を通過し、孫の家に到着しました。
家の前には、レタスやキャベツの苗を作るビニールハウスが、5棟造られていました。
義父さんに話を聞くと、このハウスは1棟200万円位の経費が掛かると話していました。 . . . 本文を読む
娘夫婦が孫の顔を見に行くと言うので、白爺たちはその車に便乗して八ヶ岳山麓の村に来ました。
テレビが「長野地方には大雨洪水警報が発令されている」と言っていたので心配したのですが、八王子を過ぎても大雨には出合いませんでした。
野辺山行きのドライブには、Emiiの作った弁当をサービスエリアの休憩室で食べるのが恒例になっています。
そしてこれが楽しみのひとつです。
途中 . . . 本文を読む
日本時代は、「支庁」と呼んでいた「南洋庁サイパン支庁テニアン出張所」の建物跡です。
今年の正月までは、タガンタガンの林の中に隠れていたのですが、今の市長さんは歴史のある場所は綺麗に整備してくれるので、目の前に現れてきていました。
この役所に勤めているお役人は、白爺の家と同じ宮前区の官舎に住んでいたので、隣組として親しいお付き合いをしていました。
通用門も残 . . . 本文を読む