白爺の独り言

故郷テニアン島へ帰る旅!
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製糖工場の跡のジャングルを探検(09.01テニアン⑤)

2009-02-14 10:24:13 | テニアン
今日は、楽しみにしていたMichiさんがガイドをしてくれる「テニアン探検」の状況をお知らせしましょう。
(詳しい内容は手馴れたMichiさんのハイク・イン・テニアンでご覧ください。)

一回目の探検は、南洋興発製糖工場跡です。
事務所の一部は写真のように現在も道路の脇に残っていますが、工場本体や砂糖キビ運搬鉄道の線路網はタガンタガンのジャングルに隠れてしまって、入ると方向感覚が無くなる現状です。



探検は、図面の赤線の順(白爺は、だと思ったが、違っていたらMiciiさんコメントください。)に回りました。



浜辺は興発桟橋先のビーチです。
このビーチに平行している出来ている獣道風の道を少し進んだ所に車を止めて、タガンタガンのジャングルに入りました。

               

林に入ると、テニアン唐辛子(ドンニー)の赤い実が目に入ってきました。
白爺は、
①工場の建物跡 ②唐辛子の木 ③蜂の巣の三つに神経を使って歩いたので大変です。
暫らく歩くと、Michiさんが写真のような鉄管を発見しました。 



その近くには、タンク跡のような水の溜まっている場所がありました。
水は澄んでいて、中にはオタマジャクシが泳いでいました。 

余談!
帰宅して、興発に勤めていた方に聞いたら、それは揚水所の跡だろうと教えてくれました。
当時は、海水を揚げて使用もしていたそうです。
余談終了!

                  

錆びてはいるが、当時の鉄鋲が完全に残っています。
日本の建築技術は、「70年以上経過してもこの通り残っている」と、世界に自慢が出来ますねー。



揚水場の周りには、写真のような蜂の巣が沢山ありました。
白爺は、歳をとっても動体視力には自信があります。
刺される前に、いつも発見して逃げていました。 これ自慢!。

                 

Michiさんのお嬢さんが下まで降りて確認したら、小エビも泳いでいると確認できました。



更に歩くと、大きな歯車の残骸が発見されました。
地図から推測して、砂糖キビ圧搾機の歯車ではないかと話して来たのですが、帰宅して興発に勤めていた、現在の南興会会長さんに聞いたら、間違いないだろうと話されていました。

          

昔のアルバムを見ると、上の写真のように活躍していたものらしいです。

                       

近くには、建物の土台かタンクの跡か分かりませんが、大きなコンクリートの建造物がありました。



ここにも歯車の残骸が見つかりました。

                       

                     汽車の車輪のようにも見えますが何でしょう。?


                

大きな建物の鉄骨と思われますが・・??



「古い建物の土台を利用して、テニアンの市長さんがイベントホームを建てた」とMichiさんが話してくれましたが、大きな台風で壊されて今はシャングルの中に放置されていました。

              

さて、これは何でしょう??。
「酒精工場のタンクの跡では?」と話してきたのですが、前述の南興会会長さんは、「糖蜜タンクの土台では?」と言われました。



近くに酒精工場の跡と思われる場所がありました。

              

酒ビンが沢山転がっていましたが、ここでは「ジン酒」も造っていたそうです。



瓶の隣には、栓に使用したと思われる「王冠」が沢山落ちていました。
写真に写した「王冠」は、一塊に固まって分離することが出来ませんでした。
「70年近く団結してよく残ってくれた」と白爺は感無量になりました。
ばらばらに散らばっていたら、今まで残ってはいなかったでしょう。

                  


「王冠」のあった場所から少し歩くと、地面が少し窪んでいて、その先には水路風の溝がありました。
これも会長さんに聞いたら、間違いなく工場の排水路跡だろうと話されていました。



そしてこの排水路は、延々と続き、UCU電力会社先の磯まで続いて入るそうです。   

               

禁漁区になるまでは、よくこの排水口の磯で釣りをしたのですがねー・・。
ラプラプ(ガンモ{カンモンハタ})やカスミ鯵がよく釣れました。



興発跡の探検を終えて海岸まで戻ったら、日本軍のトウチカ跡がありました。
中は、浜から打ち上げられたのか、珊瑚礁の破片が詰まっていましたが、外観を見ると今でも使用できるような形で残っていました。

                 
さて、探検を終了して道路の脇まで戻りました。
そこには、今歩いてきた工場の事務所跡が、「よく見てきてくれましたか」と声を掛けてくるような姿で待っていてくれました。



建物付近には、写真のような耐熱煉瓦がありました。
よく見ると「品川煉瓦」の文字が見えました。
島の人の話を聞くと、この工場跡から拾う煉瓦は、家の台所やバーベキューの竃には最高級品として活用されているのだそうです。
「南洋興発も、とんだ所でチャムロの方に貢献しているなー!」と白爺は感心しました。



今日Michiさんの案内で探検をした「南洋興発テニアン製糖工場」の、嘗ての全景です。
尤も、この写真は1932年製作の会社アルバムから借用しましたから、白爺が生まれる1年前の姿です。

白爺の帰国は1944年ですから、これより15年程経過しています。
その頃のテニアン製糖工場は、こんなに静かでなく砂糖キビ運搬列車も場内に沢山見られました。
電線も沢山張られていたようです。
多分この頃のソンソン町は、夜の灯りに石油ランプを使用していたと思います。
白爺がテニアンに渡った5才の頃は、我が家は石油ランプを使用していました。
幼稚園時代、ランプのホヤの煤を拭くのは、白爺の担当でした。



最後にアルバムの写真を眺めながらお別れしましょう。
左下が「効用灌」右上が「エンジン・クライホイル及び歯車と書かれています。



左上「清浄室 サブサイダ沈殿器」 右下「結晶室」



左上「タリスト タンク」 右上「分蜜室及びミキサータンク(其の一)」
左下「「分蜜室及びミキサータンク(其の二)」 右下「乾燥室」



左上「配電盤」  右上「糖蜜運搬」   下中央「発電室」




それでは、今日はここまで。

次回は、テニアンの「美しい磯と魚釣り」の様子をお知らせする予定です。  









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4 コメント

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地図 (michi)
2009-02-14 14:48:31
ハイクしたコースは白爺さんが描かれたので正解です。

今回は排水路も発見できて益々工場付近の様子が掴めてきましたが、戦後60年以上経っているのに工場のさまざまな形跡が残っているのを見られるのが貴重な体験ですね。

当時の工場の写真を拝見するととても立派な機械が揃えてあり南興の発展と繁栄ぶりが伺えます。
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お蔭で大収穫でした (白爺)
2009-02-14 17:37:42
南興会の会長さんも、是非行きたいといっています。
Michiさんは、テニアンの戦跡ガイドを旗揚げしたら・・。
尤も旗揚げしなくても、皆に頼られているから同じですね。
群島協会の会長さんも、Michiさんの案内に大変感謝しています。
そのうちカタカナのお礼が行くでしょう。
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Unknown (ちづ)
2009-02-16 01:25:59
初めてテニアンに行った時は、まさかこんな歴史があったなんてまったく知りませんでした。
テニアンに旅行を重ねる回を追うごとに、少しずつパズルのように白爺様のお話やお写真がつながっていく感じです。
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世界遺産になるくらい! (白爺)
2009-02-16 07:03:37
古代チャムロ⇒スペイン⇒ドイツ⇒日本⇒北マリアナ⇒アメリカと変転を重ねるテニアン島です。
歴史学的にも重要な場所だと思いますよ。
滞在中にグアム大学から歴史学の方が来島してEmiiは2時間くらいインタビューを受けていました。
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