白爺の独り言

故郷テニアン島へ帰る旅!
 古い友達と巡る秘湯の旅!
白爺一人で ブツブツブツ・・
お暇な人 寄っていって~。

写真は語る!古いテニアン⑱(2003年6月)DB

2009-11-25 07:34:37 | テニアン
この年にサイパン島のマスコット人形が出来ました。
犀とパンダをプラスして「サイパン」にしたそうですが、空港で突然現れたので驚きました。

  

先ずは、半年振りに帰島したので、慰霊碑に参拝して故国の品をお供えしました。

                

白爺が通学したテニアン小学校です。
相撲をとったり陣取り遊びをした思い出がここへ来ると何時も思い出します。



休憩時間が終わると、この天水タンクから柄杓で水を飲み教室へ駆けつけた思い出も懐かしいですねー。
その頃は、タンクの中のボウフラは少しも気にならなかったものです。
水面を叩けば下にいってくれるから・・。
               
            

小鯵かボラ子を投網で狙っているようです。



昔アメリカ海兵隊が上陸してきたチューロビーチは、今では日曜日になるとバーベキューで賑わいます。
島の人は、手際よくバーベキューをするので、白爺はいつも感心して見ています。

                

半年振りに見るMichiさん宅のビンロウジュは、大きくなっていました。



大きなジャックフルーツの前に立つお二人は、右がテニアン島で玉砕された「第1航空艦隊司令長官角田中将」のお嬢さん、左が一緒に来られたジャーナリスト?のご婦人です。

お嬢さんとは東京にいるとき電話でよく話をしているのですが、突然テニアンでお会いできたので驚きました。
白爺たちが行くからと、急に計画されたそうですが恐縮しました。       
      
              

テニアンでお嬢さんとお会いすると、何時も一緒にカロリナスの洞窟を慰霊のために巡ります。
このときも、洞窟には入らないと約束してご一緒しました。



以前は遺骨収集や慰霊団来島でカロリナスの洞窟も入りやすくなっていたのですが、最近は訪れる人も少なくなったので、くもの巣まで邪魔をしています。

             

お嬢さん達は、次の日に島の人にガイドを頼み、洞窟の奥まで下りて、お父さんが自決されたベットの跡まで行って慰霊をしてきたそうです。

後日談!
真っ暗な洞窟を下りる時は楽だったが、登る時には狭くて急な岩肌で苦労したようです。
お嬢さんは難なく帰れたがお連れの方はガイドに助けられて、九死に一生の思いで帰ってきたと話していました。


             

九死に一生といえば、玉砕を乗り越えて無事に帰国が出来た「海軍56警備隊通信兵」の森岡さんが、後日テニアン玉砕の状況を銅版に記し掲示してくれました。



この洞窟にも、海軍の兵隊さんが潜んでいたのでしょう 

         

近くには、炊飯に使用したと思われる大きな釜が残っています。



飯盒や錨のマークが入った食器なども、気銃弾と共に転がっていました。

           

カロリナスへ撤退する前の航空艦隊司令部跡です。
白爺がいる頃には、陸攻機・艦爆機・艦攻機・戦闘機等々沢山駐機していて、ラバウルへ行く中継基地になっていると聞きました。



司令部近くにある防空壕です。
           
         

中に入ると、一列に並んで待機するように腰掛けが造られています。



何回も説明をしたことのあるペペニグルの小川隊砲台です。

            

テニアン滞在の日は、すぐに終わってしまいました。
後ろ髪を引かれながらサイパンに向うセスナ機の下には、日本本土攻撃に使用したB29の滑走路がはっきりと見えました。

沖縄から米軍がグアムに移転すると、この基地も再び使用されるようで、2000戸近くの宿舎が建設されるという噂が、島では最近流れていますが・・?

   
滑走路を眺め終わるとテニアン島最北端の上空に到達します。

         

目を移せば下はもうサイパン島。ゴルフ場が並んでいます。
 
ここまで来ると、白爺はもう次のテニアン行き計画を考え始めますねー。

「サー次は何時来るか!」 


     


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