白爺の独り言

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原爆投下に出撃!(テニアン今昔物語13)

2014-08-05 07:54:10 | テニアン原爆搭載記録

 8月6日(広島)8月9日(長崎)は日本に原子爆弾が投下された日です。
今年も再びこの日が来ます。
従って、テニアン島の原爆記録を再投稿します。


(再投稿)

1945年8月6日0時37分、まず気象観測機のB29が3機離陸した。ストレートフラッシュ号は広島へ、ジャビット3世号は小倉へ、フルハウス号は長崎である。0時51分には予備機のトップ・シークレット号が硫黄島へ向かった。

続いて1時27分、核爆弾リトルボーイを搭載したエノラ・ゲイがタキシングを開始し、1時45分にA滑走路の端から離陸した。

その離陸2分後の1時47分、原爆の威力の記録を行う科学観測機が、更に2分後の1時49分には写真撮影機のB29飛び立った。

即ちこの日、6機のB29が原爆投下作戦に参加し、内4機が広島上空へ向かっていたことになる。

テニアン島から目標の広島市までは約7時間の飛行で到達できる。


と、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』の広島市への原爆投下・テニアンの項に書かれています。



バーブイビーチの近くに、テニアンでの原子爆弾組立工場?があったようです。
戦時中とはいえ、あまり危険とは感じていない無防備の建物ですねー。

           
この原子爆弾が、広島に投下された「リトルボーイ」です。



組立工場から運ばれた原爆は、B29に搭載するため四角く掘られた搭載所に運ばれました。
そして、下から押し上げる台の上に固定されたようです。

           
広島へ攻撃に行くB29「エノラゲー」がバックして、原爆の上に跨ろうとしています。



跨った「エノラゲー」は機体の下部を広げました。
すると、下から台に載せられた原爆が持ち上がってきて、B29の機内に納められたようです。

              

広島へ出撃する前の、出撃記念撮影のようです。
広島市民は、この写真を写している頃は何も知らないで「出せ一億の底力!」と言いながら頑張っていたのでしょうねー。



1945年8月6日午前8時15分です。
テニアンから運ばれた原子爆弾が広島市に投下されました。
立ち上がった「きのこ雲」を、B29が写真に撮っていました。

              

「きのこ雲」の上を飛んでいるB29です。
世界の情勢は、この日から大きく変わるのですが・・。

今の話・・



原爆を組み立てたと言われる建物の土台は確りと残っていますが、たまに立ち寄るとメリケン松(もくまおう)の落ち葉に隠れていることがあります。

              

原爆を積み込むために造られた堀穴ですが、最近は掘り起こされて風雨を凌ぐ屋根が作られています。
      

70年前に原子爆弾を乗せた台をジックリと見てください。


参考です。

             
長崎に投下された原爆(ファットマン)です。



ここから長崎の原爆は積み込まれました。
広島と長崎の積み込み場所は、約300m?位離れています。
また、長崎に原爆が投下された経緯も、フリー百科事典から載せておきます。


8月6日の広島原爆投下作戦において観測のB29を操縦したチャールズ・スウィーニー少佐は、テニアン島へ帰還した夜、再び原爆投下作戦が行われるためにその指揮を執ること、目標は第一目標が小倉市(現:北九州市)、第二目標が長崎市であることを告げられた。

長崎への爆弾投下機はボックスカーである。
ボックスカーには、乗務員10名の他、レーダーモニター要員、原爆投下担当、他1名が搭乗した。

先行していたエノラ・ゲイからは小倉市は朝靄がかかっているがすぐに快晴が期待できる、もう1機のB29からは長崎市は朝靄がかかっており曇っているが、雲は10分の2であるとの報告があった。

午前9時40分、大分県姫島方面から小倉市の投下目標上空へ爆撃航程を開始し、9時44分投下目標である小倉陸軍造兵廠上空へ到達。しかし爆撃手が目視による投下目標確認に失敗する。
その後、別ルートで爆撃航程を少し短縮して繰り返すものの再び失敗、再度3度目となる爆撃航程を行うがこれも失敗。この間およそ45分間が経過した。

この小倉上空での3回もの爆撃航程失敗のため残燃料に余裕が無くなった。
その上日本軍高射砲からの対空攻撃が激しくなり、また、陸軍芦屋基地から飛行第59戦隊の五式戦闘機、海軍築城基地から第203航空隊の零戦10機が緊急発進してきた事も確認されたので、目標を小倉市から第二目標である長崎県長崎市に変更し、午前10時30分頃、小倉市上空を離脱した。

ボックスカーは小倉を離れて約20分後、長崎県上空へ侵入した。

指揮を執っていたスウィーニー少佐は、工業地帯を臨機目標として、高度9,000mから核爆弾ファットマンを手動投下した。
ファットマンは放物線を描きながら落下、約1分後の午前11時2分、長崎市街中心部から約3kmもそれた別荘のテニスコート上空で炸裂した。(長崎市松山町171番地)

と書いてあります。

テニアンで原爆攻撃を準備した部隊の記録は、下のアドレスで検索してください。
テニアンのMICHIさんが記した写真が見られます。

http://michi007.blog70.fc2.com/blog-entry-77.html







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