白爺の独り言

故郷テニアン島へ帰る旅!
 古い友達と巡る秘湯の旅!
白爺一人で ブツブツブツ・・
お暇な人 寄っていって~。

サイパン空路コンチネンタルの時代④(1990年頃)

2010-12-28 09:37:20 | テニアン今昔
1990年頃になると、白爺たちはテニアン旅行のベテランになっていました。
テニアンからの引揚者を大勢引率して、慰霊に出かけていました。



旅行の計画も旅行社に依頼せず、自分で参加者の搭乗券からホテルの宿泊まで企画・手配をしていました。
サイパンからテニアンへの飛行機も、「フリーダム航空」のカウンターで英語も話せないのに購入できるようになっていました。

             

テニアンでは、先ず慰霊碑の参拝から始りますが、この頃になるといろいろな方が慰霊碑を建立するので、タガ族の遺跡周辺は賑やかになっていました。



引率していった方たちは4~5日で帰国します。
しかし、白爺たちはその方たちより少し長く滞在して、好きなことをするようになっていました。
ボートでの魚釣りもこの頃から始めました。
写真は、今の市長さんのお父さんと、カロリナス東方にある「タツミ・リーフ」へ釣りに行ったとき写したものです。

            

チャムロの悪友に教えられて「フィリピン・バー」へ飲むに行くことも覚えました。
Emiiには内緒ですが、楽しかったですねー!
(今の白爺は紳士です?)



これも秘密です。
場所は言えませんがウミガメの卵を発見しました。
誰も行かない浜なので、半分位は頂戴してきました。

            

この頃の規制は今ほど厳しくなかったので、友人が家で茹でてくれました。
亀の卵は茹でてもブヨブヨで、鶏の卵のように固まらないのがその時に分かりました。
「一個食べると100年生き延びる」とその友人が言うので、生と茹でたのをそれぞれ食べてみたのですが、あまり美味しい感じはしませんでした。
一緒に食べた友人は既に天国に旅立っていますから、「100年生き延びる」は眉唾です。



浜辺で会えば、市長が差し出すビールを飲んで楽しんでいました。
故郷に帰る気持ちになっていたようですね。









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