《試練》――現在史研究のために

日本の新左翼運動をどう総括するのか、今後の方向をどう定めるのか

友への手紙――政治行動を強める天皇・皇后と現代の天皇制~山本太郎議員の「天皇への手紙」について(中)

2013-11-22 19:24:36 | 天皇制・右翼
友への手紙――政治行動を強める天皇・皇后と現代の天皇制~山本太郎議員の「天皇への手紙」について(中

(前からつづく)
(4)問われなければならない山本氏の天皇観

 さて、山本太郎氏の行動にもどりましょう。
 山本太郎氏によると、「原発現場で働いている労働者たちの被曝実態と、福島の子どもたちへの放射線の影響を知ってもらいたかった」ということが動機だそうです。原発一般でなく、そのなかでも最も深刻であり、なおかつマスコミ各社も報道していない闇の部分を知ってもらおうという趣旨は、誰しも理解できるでしょう。
 肝心なことは、この問題を訴える相手が、なにゆえに天皇アキヒトだったのか、ということです。
 この点について、山本氏自身が語っています。「(この問題を)理解してもらえるのは誰だろうと思ったときに、天皇陛下であれば、分かっていただけるのではないか、ということに繋がっていったのです」(『週刊現代』11月23日号)と。
 山本氏は正直なのでしょう。ここには、山本氏の天皇観、国家観、政治家としての行動原理が如実に示されています。つまり、「天皇陛下はすべてを超越した存在であり、日本人の最大の拠り所である」と考えているのでしょう。前述したように、山本氏は手紙の内容を公表しようとしていませんが、それは、山本氏の顔と身体と心が天皇の方に向いており、福島の被曝者・被災者の方には向いていないからなのでしょう。
 この天皇観は、まさしく天皇制イデオロギー=偽りの共同体幻想に他なりません。
 とすると、山本氏が、当初から、天皇制イデオロギーに取り込まれ、天皇に帰依していると見るのは、けっして不当な評価ではないでしょう。

 また、山本氏は、早々とバッシングに屈し、天皇制攻撃の軍門に下ってしまいました。彼は、自らのウェブサイトで、「陛下と皇后陛下の御宸襟を悩ませる事態となった事を何よりも猛省しております。……今回の非礼をお詫びしたいと思っておりましたが、……二重橋でお詫びいたします」と書き記しました(11月8日)。
 これは、38歳の青年の文章とは思えません。誰かのアドバイスがあったものと推測できますが、しかしこれを書いてしまった以上、労働者階級・人民大衆の立場とは、明確に立場が異なったと言わざるをえません。労働者階級・人民大衆の拠って立つ思想やありようと真っ向から対立するものです。なぜなら、皇国史観の信奉者、天皇崇拝主義者以外、このような表現や行動をしないからです。
 もちろん、山本氏が今回の自らの行動を厳しく総括し、学習して、反権力・反天皇制の立場をつかみとり、反原発議員にふさわしい内実を再形成することはできるし、彼を議員におしあげた多くの人がそれを望むところです。

 それにしても、なぜ、山本氏は反撃しなかったのか?
 最初から分かっていたはずです。反動の側が、議会をあげて、またマスコミを総動員して集中砲火を浴びせるであろうということは…。「天皇へ手紙を手渡しする」ことが、どのような政治的結果を引き起こすかは予め想定していたはずです。であるならば、反論を準備しておかなければならなかったのです。
 「正式に招待された私が、一言、二言の短い時間で言い表せない想いを、手紙に託してどこが悪いのか?」、「ここが各界の代表者との交流の場だとするなら、私は、原発を危惧し、反対する『各界』の代表です」ぐらいのことは言ってもよかったでしょう。
 そして「園遊会とは何か?」、「天皇との交流とは何か」、「天皇と国民の関係とは何か」を争点にし、天皇と天皇制に関する論戦を展開してもよかったのです。必要とあれば訴訟を起こし、全国の反原発運動諸団体に呼びかけることも可能だったはずです。証人として天皇を法廷に喚問することも考えてよいのです。もし、天皇を証人喚問できないと裁判所が判断すれば、なぜできないのかと、新たな質問を繰り出していけばいいのです。
 要は、「攻める」ことです。受身にならず、天皇と天皇制の本質が非条理な暴力であり、階級支配と差別・抑圧の現実を覆い隠す独特の権威主義であることを踏まえ、次から次へと質問を繰り出し、天皇と天皇制の仮像、そのエセ共同体的幻想性の本質を暴き出すこと――これがこの行動の唯一のあり方=たたかいの道だったのではないでしょうか。
 「天皇への手紙」を手渡した時から、戦端は開かれていました。だとすれば、躊躇したり、後ずさりするのでなく、前へ進むことだったのです。
 残念ながら、はっきりしたことは、山本氏にはその覚悟も、準備もなかったのです。実は、この〈覚悟〉というものは、容易なものではないのです。私は、戦前においてはもちろん、天皇ヒロヒトが存命中の戦後においても、また代替わり以降、21世紀現在においても、天皇制と天皇制イデオロギーに対する闘いには革命的テロリズムの覚悟が常に必須なのだと思っています。
 この点を少し述べますが、その前に、大谷昭宏氏の「批判」について、触れておきたいと思います。

(5)天皇制問題をタブーにしてはならない

 ジャーナリストの大谷昭宏氏が『週刊現代』11月23日号のなかで、以下のコメントを寄せています。曰く。「山本氏の行動は、天皇への無礼と同時に、戦前のような天皇崇拝や、不敬罪を持ち出されるきっかけになる」。
 これを読んだ時、「天皇への無礼」なる言葉を用いた大谷氏の天皇観ないし天皇制論はどのようなものなのか、知りたいと思いました。もし、「手紙を渡すようなことはすべきではなかった」と言いたかったのであれば、「不適切であった」とか「好ましくなかった」との表現を用いればよいのです。「無礼」という言葉を用いなくても、十分意思表示できるはずです。「天皇に対して無礼である」という表現は、「天皇の権威」を認め、「おかみ」に対する「臣下」のへりくだった言い方であり、絶対的な上下関係を前提としているように思えるのですが、いかがでしょうか? 穿った見方ではないと思います。

 今ひとつ。大谷氏は、一見正しいこと(「天皇崇拝反対」、「不敬罪反対」)を言っているように見えますが、これは違う、これはおかしいと思いました。その理由を書きます。
 彼は「きっかけを与えた」、「口実を与えた」と批判しています。だが、果たしてそうでしょうか? われわれがおとなしくしていれば、天皇崇拝化や不敬罪攻撃は生起しないのでしょうか? 天皇と天皇制イデオロギー信奉者、賛美者を刺激しなければ、彼らの側からは何も攻撃を仕かけてこないのでしょうか?
 違います。それは、天皇および天皇制とどのような形にせよ対決しないための口実でしかありません。「われわれはおとなしくしています。だからあなた方もおとなしくしていて下さい」という思惑が、今日のような日本帝国主義の危機のもとでの激しい階級間攻防で通用するはずもないのです。

 大谷氏の態度は一つの例にすぎません。日本のジャーナリスト、表現者、学者、研究者と言われる人々の中で、今回の山本議員への排撃攻撃に対して毅然とした態度を示す人たちも少なくありません。しかし、大勢は、やはり天皇制問題のタブー視なのです。過去および現在の天皇制問題をけっしてタブーにしないことは、さまざまな表現者の人々に求められていることだと考えるのですが、どうでしょうか?

(6)天皇アキヒトら皇室は政治的な動きを強めている

 
 現状を直視して下さい。すでに、階級闘争は、天皇制と天皇制イデオロギーをめぐる攻防の新しい段階に入っています。
 昨年発表された自民党憲法改正案第一条で「象徴天皇」を「元首天皇」に「改正」する案が発表されました。それに続いて、今夏参議院選で自民党が圧勝した時から、「天皇元首化」は政治日程に上り、新たな激しい階級攻防が始まっているのです。
 他方で、原発廃炉に逆行する原発再稼働や原発輸出が推し進められています。それは、原子力規制委員会設置法および原子力基本法に「我が国の安全保障に資することを目的とする」という目的条項が加わり(12年6月20日)、核戦争体制としての原発の位置づけが強化されたことの現われなのです。
 また、特定秘密保護法案および国家安全保障会議設置法案がどんどん推し進められています。在外日本人の陸上輸送(陸上自衛隊派兵)を可能とする自衛隊法改正がもくろまれています(註 11月15日に成立)。それらは、集団的自衛権の行使、武器輸出三原則の緩和、自衛隊の国防軍化、日本版海兵隊の創設などと結びついた、実際の戦争遂行体制への新たな踏み込みです。
 天皇制・天皇制イデオロギー強化の動きは、こうした戦争遂行体制への踏み込みに心棒を入れるものとしてあることをしっかりと認識しなければならないと思います。
 具体的には、皇室の動きとして現実化しています。この間の皇室の動きは、目覚しいものがあります。とりわけ、意表を突いたのは、79歳を迎えた皇后ミチコの動きです。10月20日の誕生日に、宮内庁記者会の質問に寄せた回答文書で、明治憲法の施行に先立って東京・奥多摩地方で起草された「日本帝国憲法(陸陽仙台 千葉卓三郎草)」、いわゆる「五日市憲法草案」について、以下のように語っています。

「……今年は憲法をめぐり,例年に増して盛んな論議が取り交わされていたように感じます。……かつて、あきる野市の五日市を訪れた時、郷土館で見せて頂いた「五日市憲法草案」のことをしきりに思い出しておりました。明治憲法の公布(明治22年)に先立ち,地域の小学校の教員、地主や農民が、寄り合い、討議を重ねて書き上げた民間の憲法草案で、基本的人権の尊重や教育の自由の保障及び教育を受ける義務、法の下の平等、更に言論の自由、信教の自由など、204条が書かれており、地方自治権等についても記されています。……近代日本の黎明期に生きた人々の、政治参加への強い意欲や、自国の未来にかけた熱い願いに触れ、深い感銘を覚えたことでした。長い鎖国を経た19世紀末の日本で、市井の人々の間に既に育っていた民権意識を記録するものとして、世界でも珍しい文化遺産ではないかと思います。」(宮内庁ウェブサイトから)

 これは、非常に政治的な発言であり、はっきりした政治行動と言うべきものです。皇后談話になっていますが、天皇の意志でもあることは明白です。少なくとも相談はしているはずで、皇后単独の判断ではないと思います。天皇の決済を経ているものでしょう。これは、明らかに憲法が禁じる皇室の政治的行為です。それを知りながら、あえて一線を踏み越えた点を重大視しなければなりません。

 いま一つ。4月28日の「主権回復の日」の天皇と皇后の態度です。
 この日の式次第にはなかった、したがって事前に知らされていなかった「天皇陛下万歳!」に対して、天皇は不快感を示し、皇后はきっとにらんだと報じられています。
 また、オリンピックの誘致における三笠宮妃の登場です。いくら英語が堪能であり、「スポーツの宮様」のつれあいとは言っても、従来の皇室からは、明らかに一線を画した行為です。
 
 私はこう考えます。
 天皇の国家元首化を一つの軸とする憲法改正の攻撃が進む中で、天皇制の前面化に対する労働者人民の警戒感や天皇の標的化が強まるかもしれないことを、天皇・皇后は非常に懸念し、そのため責任逃れを企図して、「国民(くにたみ)のことに常に心を砕いており、開明的で、民主的で、人権を尊重する天皇像」を必死になって、実に狡猾に演じている、と。
 とくに、皇后ミチコが五日市憲法草案について、基本的人権とか法の下の平等とか民権意識を語るなど、笑止千万ではないでしょうか。天下りの世襲制度に身を置き、国家の最高の権威主義を体現する人物が、そのような言葉をもてあそぶことは、とんでもない欺瞞であり、政治的詐欺ではないでしょうか。
 しかも、五日市憲法草案は、その4分の3近くを基本的人権の規定にあてているのですが、いかんせん、最悪の神権君主制憲法なのです。「国帝(つまり天皇)」を神話上の神武天皇の正統な系譜に位置づけ、「神聖にして侵すべからず」という存在として絶対化し、「立法・行政・司法を統轄」し、かつ「陸軍・海軍を総監」するものと規定しているのです。ですから、その法律的構造の下に、いかに民権を盛り込もうと、「神権君主」の支配をむしろ補完するだけのものなのです。
 こんなことは、多くの人々が知っているところです。
 
 それなのに、そんな皇后ミチコに対して、日本共産党は副委員長の小池晃氏が「深い知性と愛情に満ちた文章に感銘を受けました」などとインターネット上に書き記したのです。
 他方、「わたしはことばにならない思いを感じた」、「(何年も前には)なぜか美しいと思い、体が震えた。……私の中でなにかが強く揺り動かされるのを感じた」とミチコを絶賛してやまないのは、若いころ一時期、新左翼の学生運動に加わったことのある作家の高橋源一郎氏なのです(朝日新聞「論壇時評」10月30日)。
 天皇アキヒトや皇后ミチコの政治的に考え抜いた卑劣な言動に、今やころころと参ってしまう党派や識者が続出する状況であると言わなければなりません。一方で安倍政権による改憲攻撃が重大な展開を示していることに対して、いわゆる護憲派がつぎつぎと天皇・皇后にエールを送り、天皇・皇后の言動に激励されるという政治的・心理的状態にはまりこんでしまっているのです。天皇・皇后が、まるで安倍政権の前に立ちふさがる護憲派の守護神ででもあるかのように!

 だがしかし、です。
 天皇および天皇制・天皇制イデオロギーと共産主義が絶対的に非和解であるだけではないのです。天皇制と民主主義とは両立しません。天皇制と基本的人権とは相いれません。天皇制と平等とは絶対矛盾です。天皇制と戦争反対とは180度逆です。これらは相互に倒し・倒される関係、殺し・殺される関係であるのです。21世紀現代においても、そうなのです。
 この場合、天皇と天皇制は、国家の権力構造がどのような力学で動くか、労働者人民やその共産主義運動との階級的力関係がどうなるかに応じて、融通無碍に自らを変化させることをやってのけるのです。神権国家説にも、天皇機関説にも、軍部独裁の軍事ボナパルティズムにも、象徴天皇制にも、あるいは場合によっては五日市憲法草案にも、身をゆだねたりするのです。そうすることで、日本帝国主義の戦争と差別と暗黒の元凶として、一切の責任追及から逃れて生き延びてきたのです。
 だから、私は、わが身を寸鉄と化し、天皇制と天皇制イデオロギーをうち倒す殺意をもった革命的テロリズムの思想こそが、改めて求められていると思うのです。日本帝国主義およびその不可欠の柱である天皇制・天皇制イデオロギーとのたたかいには、生か死かをかけた革命的暴力の思想、それに貫かれた行動がなければ、たちまちのうちに崩されてしまうのです。
 そんな日本階級闘争の恥ずべき、無残な敗北の歴史の数々を、われわれは痛恨の思いで教訓化しなければならないはずです。
 
 護憲論の危うさ、護憲派のもろさが、ここにきて、どっとあふれ出てきつつあります。
 実に危険な、恐ろしい政治的、イデオロギー的、文化的・精神的な情勢、すなわち天皇制の足元への総転向情勢の流れがつくり出されかねないのです。

 私の記憶では、天皇アキヒトがまだ皇太子として海外留学生だった頃、革命でどこかの国王が処刑された時、「君、これが王室の運命なのだよ」と震えながら語ったというエピソードがあります。天皇制に向かって階級闘争が激化するかもしれない恐怖の予感こそが、もっとも基底的なところで、天皇・皇后を突き動かしているとみるべきでしょう。
 このように、皇室と天皇は自己主張し、政治的に動き始めている――このことをはっきりさせねばなりません。
(つづく)

2013年11月14日
竜 奇兵(りゅう・きへい)
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