《試練》――現在史研究のために

日本の新左翼運動をどう総括するのか、今後の方向をどう定めるのか

友への手紙――政治行動を強める天皇・皇后と現代の天皇制~山本太郎議員の「天皇への手紙」について(下)

2013-11-26 23:46:38 | 天皇制・右翼
友への手紙――政治行動を強める天皇・皇后と現代の天皇制~山本太郎議員の「天皇への手紙」について(下)

(前からつづく)
(7)天皇制の軍門に下る革共同・中央派

●「どこまでも山本氏とともに」と表明した『前進』

 もう一つ。中核派の機関紙『前進』2607号(11月4日)の無署名論文「山本太郎氏への与野党とマスコミの攻撃粉砕しよう――『天皇への手紙』問題の核心は何か」ついて見ておきましょう。
 そこでは、「必死に訴える山本氏を、卑劣な手段で葬り去ろうとする策動を労働者人民の怒りと決起で絶対に粉砕しよう」(α)とあります。
 そして、山本氏の行動について、「これはあまりにまっとうな、差し迫った思いと危機感の表明であり、……正当きわまる弾劾である」、「いったい何が『常軌を逸した行動』だ。『常識を欠いている』だ。ふざけるな!」、「われわれはどこまでも山本氏とともに、国鉄決戦と反原発決戦を軸に闘いぬくであろう」(β)という態度を表明しています。
 さらにまた、「天皇の園遊会など、労働者人民は徹底的に拒否し、粉砕し、怒りで蹂躙(じゅうりん)し尽くすべきものである」(γ)と書いています。
 このγは、βとはどうつながるのでしょうか? γであるならどうしてβになるのでしょうか? βであるというならどうしてγとなるのでしょうか? βとγとは、一体どのような整合性がつけられるのでしょうか?
 他方、都政を革新する会(11月1日)が、次のように言っています。「山本議員はこうした場(注 園遊会のこと)をも利用して『闘いの場』に変えてしまった」、「間違いなく象徴天皇制のペテンとウソを暴き出すものとなっている」(δ)と。
 これまた全面的に賛美しているのです。この都革新の一文は、革共同・中央派が指導部の中で議論している内容を反映したものととらえてよいでしょう。事実上の党の声明と言えます。

 正直驚きました。政治的にも思想的にも腐敗し、混迷の淵にあるとは言え、かくもひどいとは!
 αの言は、「必死で訴える山本氏」という表現で、山本氏の天皇への手紙行動そのものを大きく肯定し、それを支持する立場から、山本氏への攻撃に反対するという態度を表明しています。
 β、δの言は、山本氏の行動への全面支持であり、感銘すらしている様子があらわれています。「象徴天皇制のペテンとウソを暴き出した」とまで言うのですから、山本氏は、まるで“反天皇制のたたかいの旗手”であるかのようです。しかも、園遊会を「闘いの場に変えた」というのですから、「徹底的に拒否し、粉砕し、怒りで蹂躙し尽くすべき園遊会」(γ)と書いたのは、実は単なる言葉の綾にすぎず、深い意味はないということになります。
 しかし、革共同・中央派が言う「天皇制に対してとるべき原則的で路線的な立場、回答」(前2607号)とは、ほんとうに、この山本氏の行動のことをいうつもりなのでしょうか? まさか、そうではないと思いますが、天皇制とのたたかいとはどのようなものかについて、そもそも革共同・中央派は、後述するように、何の位置づけもないのです。
 それでいて、「われわれはどこまでも山本氏とともに、国鉄決戦と反原発決戦を軸に闘いぬくであろう」(β)とまで、断定してしまっています。ちょっと驚きですが、この言辞は、革共同・中央派が、自らを山本太郎氏と一体化させるにいたったことを意味します。本当にこんなことを言っていいのか? と問い直したくなります。なぜなら、山本氏は反原発議員として重要な役割を担うべき人物ですが、左翼という範疇に入るのかどうか不明であり、その思想性も定かではありません。その山本氏と一体化するというようなことは、一個の政治党派が公に書くことではないし、それを書いてしまった中央派とは、もはや左翼政治組織とは言えないからです。
 こうなると、山本議員が「二重橋に行ってお詫びする」事態となった今、山本議員へのバッシングを「絶対に粉砕する」(α)という表明は、はなはだ疑わしいということになります。実際、「二重橋でお詫びする」とまで言った山本氏のその後の態度については、革共同・中央派はまだ何もコメントしていません。無責任きわまりないことです。

 加えて、『前進』2607号論文にはもう一つ注目すべき文章があります。

「危機の中で日帝ブルジョアジーと自民党が最後にすがりつこうとしているのが、超階級的な装いをとる天皇制とその反革命イデオロギー、国家主義的な『虚偽の共同性』『国民融合』のイデオロギーであり、それをテコとして労働者人民を動員することだ。……だがすでに天皇制・天皇制イデオロギーは、昭和天皇ヒロヒトの死と現天皇アキヒトへの『代替わり儀式』の大反革命に対し、革共同と労働者人民が実力で闘った90年天皇決戦の爆発によって、根底から粉砕されたものとしてある。この危機の天皇制・天皇制イデオロギーを立て直そうと、日帝と安倍政権は改憲による天皇の『元首化』などで必死になっている。しかし階級的労働運動と労働者国際連帯の力強い発展の前には、天皇制などまったく無力だ。」

 率直なところ、がっかりしました。この文章は、素直に読むと、“天皇制・天皇制イデオロギーは90年天皇決戦で根底から粉砕されてしまった、ゆえに天皇の「元首化」など立て直しをはかってきても、中核派の階級的労働運動を進めていけば天皇制などまったく無力だ、ゆえに反天皇制闘争をやる必要もない”~~という文意となるのではないでしょうか?
 そこには、90年天皇決戦の爆発によって打撃を受けた日本帝国主義が教育現場での「日の丸・君が代」強制、靖国神社への小泉首相や閣僚の参拝を強行してきたこと、それとの熾烈なたたかいが連綿と展開されてきていることなど、天皇制をめぐる歴史的攻防の過程がまったく位置づけられていません。
 そして、今、新たに強められている天皇制攻撃への怒りもなければ、危機感もありません。とくに重大な点は、安倍自民党が憲法草案の骨子として第1条「天皇の元首化」をもってきていることについて、革共同中央派は機関紙『前進』紙上でまったくと言っていいほど取り上げず、その重大性に一度として警鐘乱打してこなかったということです。そのこと自体、反天皇制闘争からの戦線逃亡と言わなければならないと思うのです。
 ですから、彼らの言う「まったく無力だ」という言葉は、天皇制打倒のたたかいから逃亡するための理由づけとしか、読めません。
 こうしてみると、革共同・中央派の「天皇制打倒」論の中身はすっかり空洞化してしまったということが、よくわかります。
このように天皇制問題への左翼的・階級的なこだわりがなくなっているからこそ、山本太郎氏の天皇への手紙行動をほとんど無条件で肯定し、率先して支持表明することとなったのでしょう。

●天田書記長が「山本議員は階級のリーダー」と賛美

 ところで、革共同・中央派の書記長である天田三紀夫氏は、つい最近、こんなことを言っていました。

「山本太郎氏を支持しともに闘った参議院議員選挙闘争では、……見事に当選をかちとり大勝利した。……革命的共産主義運動は、100万労働者党建設への貴重な第一歩を踏み出した。」
「山本太郎氏は、……鮮やかに当選をかちとった。……闘う階級の指導部がついに登場する新しい時代が訪れた。」
「100万票を獲得する選挙闘争として闘った。……それは100万労働者を組織する階級のリーダーをつくり出す闘いであった。」
(革共同政治集会基調報告・天田三紀夫論文、『前進』夏季特別号に掲載)。

 天田氏ら革共同は、山本氏がまるで「革共同の議員」「階級のリーダー」であるかのように宣伝しているのです。山本氏の参院選での得票数が66万6684票であったことをもって、一足飛びに「100万労働者党建設への貴重な第一歩」とまで言うのです。つまり、“山本氏に投票した66万6684人は革共同の労働者党建設の担い手として投票所に赴いた”ということを言っているわけです。いやはや! 二の句がつげません。
 この天田論文では、「100万労働者党」「『前進』1万人読者網」「世界単一の労働者党」という軽薄きわまりない掛け声のシンボルに、何と山本太郎議員を押し上げているのです。何という政治的利用主義であることか! 何とまあ、軽薄きわまりないことか!
 ちなみに、1万人の『前進』読者で、どうして100万労働者党になるというのでしょうか? 100万の労働者党の党員のうち99万人は『前進』など読まなくてもよいということなのでしょうか? この支離滅裂ぶりは、とても説明がつかないでしょう。 
 そこには、山本人気にぶら下がり、山本氏にすり寄ることでしか、自らの党派を維持できなくなった天田氏ら中央派政治局のすかすかに空洞化した姿が浮き彫りになっているではありませんか。

 しかし、ちょっと待ってください。
 いかに書記長が執筆した論文であるとは言え、ここまで恥知らずな文章を中央執行委員会の誰もチェックしなかったのでしょうか? 編集局は、こんなでたらめな文章を誰も校正しなかったのでしょうか? 「これはおかしいですよ」と言ったのに、天田氏から逆に恫喝されて、首を引っ込めたのでしょうか? それとも「こんなことを書いていいのか」と思いつつ黙ってパスさせたのでしょうか?
 中野洋氏が死去し、天田体制となった革共同・中央派は、まともな組織論議もせず、党内での意見交換もできない集団になってしまったようです。
 書記長の天田氏が重要な政治集会でこのような基調報告をやり、それを夏季特別号論文として押し戴いているのですから、革共同が山本氏の天皇への手紙行動をストレートに支持・賛美するのも当然です。
 
 それにしても、革共同・中央派がここまで山本氏を持ち上げた以上、二重橋でお詫びしている山本氏に対して、自らの態度表明がなければなりません。二重橋のお詫びを支持するのか、それとも反天皇制・反権力の立場を選択するよう山本氏を説得するのかどうなのか、ということです。
 革共同・中央派には明確な返答が問われているのです。

【追伸】
 これを書いている最中に、「陛下、山本太郎議員 案じる」の時事通信社のコメントがネットで配信されました。

「宮内庁の風岡典之長官は14日の定例記者会見で、秋の園遊会で天皇陛下に直接手紙を渡した山本太郎参院議員について、刃物が入った封筒が同議員宛てに届いたとの新聞記事を見た陛下が心配されていることを明らかにした。」(時事通信11月14日(木)19時20分配信)

 短い文章ですが、これも天皇アキヒトの目的意識的な政治行動の一つです。
まことに、天皇制の胃の腑は何でも溶かしてしまう、底なしの恐ろしさがあるのです。象徴天皇制だということで、ゆめゆめ軽視してはならないのです。同時に、「非国民でよし」、「国賊でどこが悪いか」と、渾身の一針を刺せば、恐るべき胃の腑と言えども、たちまち内側から突き破ってしまうことができるのです。
 「行動し主張する天皇」は、これからますます激しくなるでしょう。しっかりと分析し、対決していくことが求められています。

2013年11月14日
竜 奇兵(りゅう・きへい)
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