《試練》――現在史研究のために

日本の新左翼運動をどう総括するのか、今後の方向をどう定めるのか

友への手紙――激動する情勢の核心問題をえぐる(上)

2014-01-17 10:52:28 | 資本主義論・帝国主義論・共産主義論
友への手紙――激動する情勢の核心問題をえぐる

 昨夏の参議院選挙で政府与党が圧勝し、衆参合わせて461議員を基盤にした安倍政権という巨大な政治権力が登場しました。そして秋の臨時国会~年末にかけて、この安倍政権は、12・6国会包囲行動を頂点とする労働者人民の激しい反対をしゃにむに押し切って、暴走しました。
 私たちは今、安倍政権とは何なのか、安倍は何を考え、どこへ行こうとしているのか、それが重大な亀裂と破綻を引き起こさざるをえないこと、これらのことを真剣に考えなければなりません。そのことを通して、帝国主義国日本の現段階―東アジアでの新たな侵略争の危機という現段階を考察していきたいと考えます。取り上げる事例は、必ずしも時系列ではありませんがご容赦下さい。
 福島原発事故と反原発の闘いという最大の問題がありますが、これは別の機会とします。

1 なぜ安倍は國神社参拝を強行したのか

●制止を振り切って強行

 昨年12月26日、安倍は菅官房長官、公明党、側近の制止を振り切って國神社参拝を強行しました。これに対して、中国、韓国、北朝鮮だけでなく、アメリカ、EU、ロシアなどの諸国も、参拝を非難する声明を出しました。さらには、中国の呼びかけでベトナムなどアジアの幾つかの国でも同調の動きがあります。帝国主義国日本にとって、深刻な事態です。國神社参拝非難という形で帝国主義国日本への国際的包囲網が形成されつつあるのですから。
 そして、「世界から孤立する日本」の活字が出回るようになりました。まるで、1931年に関東軍によって仕組まれた柳条湖事件の時と似ています。当時、提訴を受けた国際連盟はリットン調査団を派遣し、その報告書にもとづいて、関東軍=帝国主義国日本の軍事行動を「自衛的行為とは言えない」「満洲国の分離独立は認められない」としました。こうして帝国主義国日本を非難する国際的包囲網ができ上り、これを不服として帝国主義国日本は国際連盟脱退へと突き進みました。

 安倍は、参拝直後に次の談話を発表しました。「戦争によって苦しむことのない時代をつくる決意を込め、不戦の誓いを立てました」「決して中国、韓国の人々を傷つけるつもりはありません」。
 この言葉を聞いたとき、私は昨年4月21日の春季例大祭における2人の閣僚(麻生副総理と古屋拉致問題担当相)の國神社参拝を思い出しました。あの時も安倍は、「中国、韓国を敵視するものではありません」「これはわが国内部の問題であり、外交問題に発展するはずがありません」と言いました。これに関して、このブログへの投稿の中で私はこう書きました。「外交とは国家間の交渉であり、自国の思惑、意向だけで成立するものではない」「相手国=受け取る側の感情、気持ちを考えない外交はありえない」「およそ外交のイロハも知らない低水準なレベル」と酷評しました。
 私は今、この見方を根本的に深めねばならないと考え始めています。問題の所在、問題の核心はそこにあるのかと。具体的に言います。安倍はこのようなことは分かっていたはずです。当該国から批判と反発が生起するであろうことは織り込み済みであったはずです。菅官房長官、公明党もその点を指摘して中止するように進言しました。臨時国会で特定秘密保護法案を強行採決し、支持率が10%も低下した直後なので、今は冷却期間をおき、支持率回復に全力を挙げるべきだと。
 にもかかわらず、安倍は強行しました。同盟国アメリカからは「憂慮」「思い止まるように」との強い意思が事前に伝えられていました。結果的にも「アメリカ政府は失望している」という異例の声明が米大使館を通じて出されるにいたりました。しかし、安倍は強行しました。この強い意志は何なのか? 何に裏打ちされ、何を考えているのか、これを解明しなければならないと考えた次第です。以下、私の見解を述べます。誤っていれば批判してください。

●国防軍の建軍への野望

 安倍は、國神社参拝をとおして「死者」を追悼するだけでなく「これから死んでいく者」へメッセージを伝えたかった。これが私の出した結論です。そこには三つの要素があります。
 一つ目の要素は、自衛隊を国防軍として建軍するということです。
 集団的自衛権の拡大解釈、憲法改悪への策動、国家安全保障会議設置法と特定秘密保護法の国会成立、さらには防空識別権をめぐる中・韓・日の対立、中国領である釣魚台(日本呼称「尖閣列島」)海域での艦船の交差、韓国領である独島(日本呼称「竹島」)をめぐる日韓の対立、北朝鮮・金正恩体制の激しい危機と張成沢処刑という大粛清、防衛大綱見直し=海兵隊の創設と敵陣地の先制攻撃構想、日米ガイドライン見直し作業……。いま、東アジアにおいて一触即発の事態が日常的に生起しています。
 このような情勢下で、安倍は、「積極的平和主義」を掲げて、交戦を正当化・合法化できる法体制づくりを急ピッチで進めています。そのなかでクリアできていない問題があります。軍人=自衛隊員の心構え=精神的支柱=死生観(いかに生き、いかに死すべきか)です。これは大きな問題です。侵略戦争を行っていくうえで最大の懸案といってよいでしょう。だから安倍は事あるごとに「国を守ることの重要性」「国に命を捧げた行為の崇高性」を賛美し、褒め称えているのです。参拝後の安倍談話はこう語っています。「愛する妻や子どもたちの幸せを祈り、育ててくれた父や母を思いながら、戦場に倒れたたくさんの方々。その尊い犠牲の上に私たちの平和と繁栄があります」と。
 これは「天皇のために戦争で死んだ」死者の英霊化であると同時に、これから戦地=死地へ赴く者へのメッセージなのです。「君たちの戦死は決して無駄にはならない。平和と繁栄の礎として、永久に日本国民の記憶の中に生き続けるよ」。こう伝えたいのです。それが天皇の国家元首化の狙いに結びつけられていることは、言うまでもありません。
 私がこう考えるのには根拠があります。それは現在の自衛隊がおよそ軍隊の体をなしていないからです。
 『図書新聞』掲載記事によると、自衛隊内部でいじめによる自殺が最近急増しているとのことです。隊内でのいじめと自殺を隠蔽しようとしたのが露見し、さらに問題は大きくなっているとか(3124号、三宅勝久氏インタビュー)。
 今の自衛隊の兵士は、精神的支柱を失っており、このままでは帝国主義軍隊として瓦解・崩壊しかねないといっても過言ではありません。この自衛隊兵士に使命感を持たせ、戦地=死地へ「使命感と誇り」を抱いて、喜んで行かせるには、國神社参拝がどうしても必要だったのです。國神社参拝を通して「国=天皇を守ることの重要性」「国=天皇に命を捧げる行為の崇高性」を注入することが不可欠だったのです。
 安倍が「この前の戦争は侵略戦争ではなかった」「侵略という定義は、国際的にも学界的にも定まってはいない」と強弁するのも同じ理由です。これから生起する戦争は、海外・国外です。その時、「自衛隊は専守防衛であり、決して海外・国外に出て行くことはありません。だから安心して自衛隊に入って下さい」「免許取得もできます。就職口の一つとして考えて下さい」とかき集めた隊員が、どう考えるのか。これはひょっとして「他国を侵す侵略戦争ではないのか」と考えるのではないだろうか、そう考えるがゆえに、誰が考えても明らかな戦争を、「侵略ではない」と否定し続けるのです。
 日本維新の会の橋下共同代表が「安倍さんは侵略だと認めるべきだと忠告した」との記事がありました。安倍にすれば、何を悠長なことを言っているのだ、これを認めたら自衛隊員の士気はどうなるのだ、どうやって戦地=死地へ送り出すのだという思いで、苦々しくこの記事を読んだと思います。
 安倍は戦争を抽象的、一般的に考えるのでなく、極めてリアルなものとして、戦争するには何が必要なのか=何が欠けているのかを具体的に道筋を立てて、考えて、考えて、考え抜いていると思います。実際の戦闘行動から逆算して、彼は発言し、行動していると思われます。ここが、これまでの保守政治家と異なる点です。われわれは安倍論、安倍晋三論を確立すべきです。

●日米同盟関係の主導権をとる意図

 二つ目の要素は、安倍は、日米同盟関係を日本の側が主導権をとって強化するものへと変えようとしているということです。
 アジア・太平洋をめぐるパワーポリティクスは、それぞれが複雑に絡み合っているので、単純化できませんが、日米同盟は新たな段階に入りつつあります。
 アメリカ帝国主義は、2011年にオバマ・クリントンラインで「アジア回帰」路線を打ち出し、続いてアジア重視の「新国防戦略」を明らかにしました。オバマは「21世紀のアジア・太平洋にアメリカはすべてを注ぎ込む」とまで公言しました。しかし、クリントンが閣外に去った後は、イラン、シリア、パレスチナをめぐる対応に比べて東アジアの軍事外交において特徴的な展開をほとんどしていません。いや、できていないのです。
 アメリカにとっては、対中国、対北朝鮮の軍事外交を展開するためには、従来以上に日米安保同盟の位置が重要になっています。そのため、日本が「戦争する国」として今一つグレードアップするように求めてきました。
 安倍政権はそれに対応して、国家安全保障会議を設置し、特定秘密保護法を成立させ、さらに集団的自衛権行使に踏み込みつつあります。何よりも、仲井真沖縄県知事と会談して、辺野古埋め立て承認を取り付け、沖縄における米軍基地新設を推進していることをアピールしました。
 つまり、安倍政権は、一連の強引きわまる安保・防衛・沖縄政策を進めることで、アジア・太平洋政策の展開において手詰まりのアメリカにたいして、東アジアにおける日本の政治的・軍事的プレゼンスの重要性、不可欠性を誇示してみせたと言えるのです。
 問題は、その上に立って、帝国主義日本の独自の存在感をアメリカにつきつけるものとして、國神社参拝を強行したと見るべきなのだと思います。そこには対米対抗性があるのです。なぜなら、日本の首相による國神社公式参拝それ自体は、「大東亜戦争=聖戦」史観にもとづくものであり、それは第二次世界大戦の戦勝国であるアメリカによる戦後世界秩序にたいするあからさまな挑戦=否定としてあるからなのです。
 実際、安倍を中心とする政権中軸では、「官邸の中ではアメリカにたいして強く物申すのだという空気が強まっている」(昨年12月28日、NHK解説スタジアム)そうです。安倍にとって、アメリカの政権中枢が不快感を表明することは、ある程度想定内のことだったのです。対米ポジションを対抗的に強め、そのことで日米安保同盟を日本の側から強化し、もって対中国、対北朝鮮の軍事外交および対韓政策を展開するという路線を、安倍はとっていると言うべきでしょう。
 その意味で、14年の年間を通して進められる日米安保ガイドライン見直し協議は重大な展開をとげる危険に満ちています。

●中国と南北朝鮮への排外主義の前面化

 三つめの要素は、安倍は、「中国脅威」論キャンペーンと、侵略と戦争にかかわる歴史認識の歪曲を軸とする帝国主義的排外主義を自らの政権基盤とする方向をますます強めているということです。
 安倍は参拝後に出したコメントで、「中国、韓国の人々の気持ちを傷つけるつもりは、まったくない。中国、韓国にたいして敬意をもって友好関係を築いていきたい。可能なら、両国首脳に直接そのことを説明したい」と述べたのです。何という傲慢な態度でしょうか。中国、韓国、北朝鮮、在日朝鮮人・中国人の人々の気持ちを逆なでし、傷つけておいて、「傷つけるつもりはない」とか「説明したい」と平然と語るのは、まさしく侵略者の傲慢な論理、植民地主義者の屁理屈そのものではないでしょうか。実際、安倍は「強い日本をとりもどす」というキャッチフレーズを前面に押し出しているのです。
 安倍政権登場にいたる過程を想起すれば明らかですが、安倍は、釣魚台や独島をめぐる領土にかかわるナショナリズムをあおり、それをテコとして浮上してきました。安倍はきわめて意図的に対中国、対韓国、対北朝鮮の帝国主義的な排外主義を基盤にしています。そして、昨年12月17日に、戦後初めて向こう10年にわたる「国家安全保障戦略」を閣議決定しました。同時に「防衛計画の大綱」「中期防衛力整備計画」も閣議決定しました。詳しくは述べませんが、そこでは「中国脅威」論をすべての前面に露骨に押し出しているのです。
 また、安倍は、1993年8月の河野官房長官談話や1995年8月の村山首相談話を見直し、それに代わって「安倍首相談話」を出そうとしています。とんでもない、歴史の大逆流を起こそうというのです。その安倍に呼応して、極右の田母神俊雄や在特会が勢いづき、レイシズムの渦が下から起こされていることも重大な情勢です。
 このように、安倍政権が、「強い日本をとりもどす」とか、「積極的平和主義」の名をもって帝国主義的排外主義をその国策の展開軸に押し上げたとみなければならないのです。

 以上のように、安倍は、その「積極的平和主義」なるものを実行する一歩として、國神社参拝を強行したのでした。それは、東アジア情勢に挑発的な戦争の火種を投じるという、じつに危険な策謀なのです。したがって、「強い日本をとりもどす」「誇りある日本をとりもどす」という安倍のキャッチフレーズを決して軽視してはならないと思うのです。
 同時に、そこには重大な矛盾が孕まれていることも確認しておきましょう(後述)。
(つづく)

2014年1月12日          
竜 奇兵(りゅう・きへい)

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