《試練》――現在史研究のために

日本の新左翼運動をどう総括するのか、今後の方向をどう定めるのか

友への手紙――「憲法改正に異議あり!」~天皇をなぜ99条から消去するのか

2013-07-17 08:04:34 | 天皇制・右翼
友への手紙――「憲法改正に異議あり!」~天皇をなぜ99条から消去するのか

●象徴天皇をなぜ変えるのか、という問いかけがない

 先日、テレビが時事問題を放映していました。筋の通った硬質な論陣をはる点で、私が評価している左翼知識人が、その中に出演していました。テーマは憲法改正問題。しかも第1条「元首天皇」について。
 どんな発言が飛び出すのだろうと固唾をのんで注目していると、「別に象徴天皇で不都合を感じませんが……」とぼそぼそと言いました。その後で、「なぜ変えるのですかねえ」と疑問を提示すればまだしも、発言はそこで終わってしまいました。私は、軽い失望を感じました。
 さらに、7月1日(月)の朝日新聞(夕刊)を見ますと、「96条の会」代表の樋口陽一東大名誉教授の発言が掲載されていました。そのなかで樋口氏は、「象徴としての天皇は被災者を励まし、ねぎらい、存在の確かさを示した」と述べていました。「象徴天皇の存在の確かさ」を評価しているわけです。

 今、第1条にかんする発言はほとんどありません。時たまあったにしても、「変える必要ない」論、「象徴天皇でいいじゃないか」論です。これはこれで間違っていないのですが、問題は、「変える必要のない」象徴天皇をなぜ変えようとするのかです。今一歩踏み込んで、ここまで掘り起こさねばなりません。「なぜ変えるのか、なぜ変えねばならないのか」が核心なのですから。これを分析することが大事なのです。それが「知識人」と評される人格のなす役割であるはずです。その分析がまったく無い。皆無です。そういう意味で、真に「知識人」と呼べる人格は見当たりません。
 まだ言論統制が敷かれているわけでもなく、天皇に触れることが「不敬罪」になるわけでもないのに、この現状です。この現状をどう考えればよいのでしょうか?

●天皇には憲法尊重の義務を課さないのか

 前回は、「天皇と戦争をめぐって」と題して投稿しました。今回は、「天皇をなぜ99条から消去するのか」と題して書いてみたいと考えます。私が今回の自民党改憲案のなかで、最も重要視するのは、第1条と第99条です。

 第1条にかんしては、前回書いたとおりです。国家の統治形態=基本的在り方を示す第1条で、自民党改正案では、「日本国は天皇を元首とする」と明記されており、これは現憲法の精神=国民主権と真っ向から対立すること。さらに元首天皇と象徴天皇を併記している矛盾。そうせざるをえない日本帝国主義の支配者階級の苦悩と逡巡。またその狙い。そういったことを書きました。
 今回は、それ以外の条項を見ていくなかで、天皇と政治権力の関係をみていきたいと思います。今回取り上げるのは第99条です。

【現憲法】
第99条 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し、擁護する義務を負ふ。

【自民党改正案】 
第102条 全て国民は、この憲法を尊重しなければならない。
2 国会議員、国務大臣、裁判官その他の公務員は、この憲法を擁護する義務を負ふ。

 上記の現憲法と自民党改正案を見比べると、二つの変化が目につきます。

第1.憲法尊重の義務を国民に課していること。
 これは多くの方々が指摘している点なので、多くを語る必要はありません。
本来、憲法は、権力者(為政者)を拘束すらために定められた法(最高法規)であり、権力者が法を無視・逸脱・違反しないかどうかを監視するのが国民の役割として制定されました。憲法を守るべきは権力者(為政者)であり、監視するのが国民だったはずです。その守るべき者と監視するものの関係が逆転しています。

第2.「天皇・摂政」が、憲法尊重・擁護の義務から適用除外されていること。
 憲法は、司法・立法・行政に携わる権力者(為政者)への「戒めの法」であることは上記したとおりです。そして、現憲法において大事なことは、その筆頭に天皇と摂政を列挙し、以下「国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し、擁護する義務を負ふ。」と定めています。この序列が大事なのです。憲法遵守義務の筆頭責任者として天皇がまず明記されている点を見過ごしてはなりません。たとえ象徴天皇といえども、この義務から逃れられませんよ、と言っているのです。
 しかるにです。しかるに、自民党改正案では、天皇と摂政がものの見事に消去されているではありませんか。
 筆頭責任者がいなくなっている。跡形もなく消し去られている……。
すでに確認したように、自民党改正案の第1章第1条は「天皇は日本国の元首である」となっています。また、同前文では「日本国は天皇を戴く国家である」と定義されています。前文と第1条で、天皇に国家元首=国家の最高権力者としての地位と権限を与えているわけです。であるのに、その最高権力者は憲法に拘束されない、憲法を超越した存在となるわけです。天皇は憲法の上に立ち、「絶対」にして「唯一無二」の統治者として君臨することを意味します。現実にそうなるかどうかは別にして、少なくとも憲法上は可能なのです。
 ヨーロッパを始めとしていくつかの国々で王室が残っていますが、すべて法の対象となり、罰則が科せられています。王室(天皇)に対して法的責任を問わないというのは、世界広しといえども日本だけです。

●天皇を超法規的存在にする意図はなにか

 第99条を問題にするとき、批判の多くが「全て国民は、この憲法を尊重しなければならない」の新設条項に向けられていますが、これと同じく、ある意味ではそれ以上に重要なのが、憲法遵守義務の筆頭から天皇を消去してしまったことです。こっそりと。ひそかに。
 筆頭責任者である「天皇と摂政」をなぜ超法規的存在にしようとしているのか。「天皇と摂政」をなぜ憲法の届かない絶対権力者にしようとしているのか。そこに込められた日本帝国主義・支配者階級の意図を考えるべきではないでしょうか?
 また、「天皇の戦争責任」を弾劾した闘争の歴史をもち、天皇制と天皇制イデオロギーにかんして最も鋭敏な感性を有し、いち早く警鐘乱打するべき新左翼各党派が、天皇元首化の策謀にたいして沈黙を守り、「われ関せず」と屈服している。この主体的危機をどう考え、どう乗り越えていくべきなのか……。

 再度言います。支配者階級は、「恐る恐る」、「周囲を見渡して」、「自信なさげに」天皇制を今担ぎ出そうとしているのです。当然、批判と弾劾の集中砲火を覚悟した上でのことだと思います。しかし、現実はどうでしょうか? 批判らしい批判、否一片の疑問さえも出されていません。この現状を見て、彼ら支配者階級はどう思っているのでしょうか? 「我がこと成れり」とほくそ笑んでいるように思えてなりません。

2013年7月16日
竜 奇兵(りゅう・きへい)

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