Naked Heart

その時々の関心事をざっくばらんに語ります

公式確認50年 前編

2006年05月02日 05時53分03秒 | 時事・社会
鎮魂と再生の誓い新たに 水俣病公式確認から50年
中国新聞ニュース '06/5/1

 「公害の原点」といわれる水俣病の公式確認から1日で50年を
迎えた。熊本県水俣市の八代海(不知火海)に臨む埋め立て地
で慰霊式が開かれ、患者や遺族ら約1300人が犠牲者の冥福を
祈り、悲劇を繰り返さないことを誓った。
 これまでに熊本、鹿児島両県だけで延べ約21000人が水俣病
患者として認定申請したが、認められたのは2265人。現在も約
3800人が認定を求めており、補償を受けられない被害者の苦悩
が続く。
 「水俣病患者の会」会長の浜元二徳さん(70)は祈りの言葉の
中で「まだ解決していない問題があるのはとても残念なこと」と
指摘した上で「悲惨な公害を二度と繰り返さないよう、経験を
多くの人に伝えるのが生きている私たちの務めです。どうぞ
安らかにお眠りください」と述べた。
 続いて、母親の胎内で水銀の影響を受けて生まれた胎児性
患者5人が「たくさんの困難の中でも、今日まで生きてこられて
よかった」「この悲劇が希望と未来につながる日まで私たちは
生き抜きます」などと交代でメッセージを読み上げた。
 式には小池百合子環境相も参列し「政府を代表して水俣病
の拡大を防げなかったことをあらためて心よりおわび申し上げ
ます」とあいさつ。続いて原因企業チッソの後藤舜吉会長も
「水俣病を発生させ、多くの方が犠牲となりましたことは痛恨
の極み」と頭を下げた。
 式の冒頭では、患者や遺族ら五人が慰霊碑の前に水を
掛け、地元の小、中学生が鳴らす鎮魂の鐘に合わせて参列
者が黙とうをささげた。
 水俣病は1956年5月1日に新日本窒素肥料(現チッソ)水俣
工場付属病院が「原因不明の脳症状を呈する患者が多発し
ている」と保健所に届けたことで公式確認とされる。



慰霊式 犠牲者の霊に祈りささげる 水俣湾埋め立て地で
                熊本日日新聞2006年5月1日夕刊

 水俣病の公式確認から50年を迎えた1日、水俣市汐見町の
水俣湾埋め立て地「慰霊の碑」前では午後1時半から水俣病
犠牲者慰霊式が始まった。患者や患者の家族をはじめ、国、
熊本県、原因企業チッソの関係者ら約千人が出席し、半世紀
の犠牲者の御霊(みたま)に祈りをささげた。
 慰霊式は、国、県や水俣市でつくる公式確認五十年事業
実行委などの主催。
 政府代表として小池百合子環境相が出席。潮谷義子熊本
県知事、チッソの後藤舜吉会長らに加え、今年初めて鹿児島
県の伊藤祐一郎知事、新潟水俣病が発生した新潟県の泉田
裕彦知事も参列した。
 水俣市のほか、同市の呼び掛けに応じた県内の各自治体
が午後1時40分ごろサイレンを鳴らし黙とうした。
 式典に先立ち、小池環境相と潮谷知事は、会場近くの水俣
病情報センターで水俣病の「語り部」たちと面会した。
 一方、同市袋の乙女塚では、慰霊式の時間に合わせて
一次訴訟を闘った患者や家族らでつくる水俣病互助会(諌山
茂会長)が独自の慰霊祭を開いた。同会メンバーや支援者
らは午前中、チッソ水俣本部や初期患者が入院した同付属
病院跡地、水俣湾埋め立て地など関係の深い現場を回り、
50年を振り返った。
 政党では民主党の国会議員団が午前中、水俣入りし被害
者団体と懇談。共産党の市田忠義書記局長も水俣市役所
に宮本勝彬市長を訪ねた。(星原克也)


正月に帰省した時に、西日本新聞で、今年は「水俣病公式
確認50年」と「土呂久鉱害告発35年」の年だと知りました。
8月には高千穂で、両患者団体らによる合同歴史展が開催
予定だと聞き、ぜひ行ってみたくて、情報収集に努めている
ところです。

日本窒素肥料(現チッソ)の創業は1908年。アセトアルデヒド・
合成酢酸設備稼働と排水の海への放出は'32年に始まって
おり、国内生産の50%を担っていました。
公式には第一号患者は'54年発病とされますが、もっと以前
から「奇病」「ネコ踊り病」の噂は流れていました。
'56年4月、5歳の少女が脳症状を訴えて新日窒水俣工場
付属病院に受診し、5月1日の「公式確認」へとつながります。
この年8月には熊本大学研究班が「魚介類を介した重金属
中毒の可能性が高い」と指摘。翌年4月には保健所がネコを
使った最初の再現実験に成功しています。
しかし新日窒は、'59年10月に付属病院でもネコ実験によって
因果関係を知っていながら、有機水銀原因説を否定し続け、
操業・排水放出が続けられました。
'73年、第一次訴訟で原告勝訴の判決が出て以降、ようやく
行政も本格的な対策に乗り出し、チッソ('65年社名変更)も
補償に応じています。

しかし患者認定には、複数症状の組み合わせが必要とする
厳しい基準を行政が設定しており、未認定患者問題が深刻
化しています。'70年代後半から未認定患者らがチッソと国、
熊本県の責任を問う訴訟を各地で起こされました。
95年、訴訟取り下げを条件に一時金や医療費を負担する、
政府解決策で決着が図られ、関西訴訟以外の国賠訴訟は
取り下げられましたが、'04年10月の関西訴訟最高裁判決
は国と熊本県の責任を認め、一つの症状でも損害賠償の
対象になるとの判断を示しました。
これを機に新規認定申請者が約3800人に上り、うち1000人
以上が新たな裁判で救済を訴えています。政府は認定基準
の見直しを拒否したままで、解決のめどは立っていません。