お好み焼き店で折り鶴 待ち時間活用 気軽に平和運動
(中国新聞 2006年5月30日朝刊)
お好み焼きが焼き上がるまでの間に、折り紙で鶴を折ろうという
取り組みが、広島市や周辺のお好み焼き店でじわりと広がって
いる。気負わず誰でも参加できる平和運動、広島名瀬ではの風景
になればと、仕掛け人らは協力店を募っている。
グループは「待っとる間に鶴折る会ヒロシマ」。発案者の団体職員
豊久芳光さん(41)=安佐南区緑井=と職場仲間ら4人でつくる。
7月から8月頭までに協力店に折り紙と箱を置いてもらい、8月6日
までに回収して中区の平和記念公園にささげる。
始まりは9年前。「広島といえばお好み焼き。そして原爆。2つを
結びつけて何かできないかな」と豊久さんは考えた。なじみの店
「さいとう」(廿日市市友田)にアイデアを打ち明けると「ええよ」の
返事。すぐに「折り鶴セット」を置かせてもらった。
「おなかをすかせた若い子が一生懸命折ってくれるんよ。それ
見て、これから先も日本は大丈夫じゃねと思います」と同店の斉藤
逸子さん(58)。6年間は「さいとう」だけの活動だった。ここ数年で
仲間が増え、6店に広がった。安佐北区口田南の「かくれ家」では、
一年中「折り鶴セット」を置いている。
豊久さんは伯父を原爆で失った。その最期の様子を、亡き祖母は
繰り返し語った。大やけどし水をくれという息子。飲ませたら死んで
しまった-。祖母の深い悲しみに触れてきた。
「中心部の店でも取り組んでもらえたら、修学旅行生や観光客も
参加できる。少しずつ広がっていけば」と豊久さん。回収の人手が
ないため、各店で平和記念公園にささげてもらいたいと願う。
ホームページも開いた。 http://www.abz.jp/~tone/m.html
私がこの話を知ったのは先月、仕事へ上関に行った日にラジオで
紹介されているのを聞いてでした。紹介していたのは、永六輔。
あの方の見識の高さ・広さにはほとほと感心してますが、同時に、
地元民で平和運動にも関心を持ちながら、この取り組みを知らな
かった自分の不明を恥じました。
子どもの頃は何度か、平和祈念の鶴を折りました。小学校の修学
旅行で長崎に行った時には、友人にも協力してもらって折った鶴を
平和祈念像にささげました。でもその後は、そういう機会はなくなり
ました。
大学生の時に沖縄に行った時、反基地闘争をしている牧師から、
「鶴を折るだけでは平和にならない」と言われ、以来鶴を折ることを
避けるように(多少軽蔑するようにも)なりました。
広島の平和記念公園の折り鶴の永久保存計画を秋葉市長が打ち
出した時も、折り鶴が焼かれる事件が起きた時も、どうでもよくは
ないけど、本質的な問題ではないような気がしていました。
でも昨年、被爆60年の様々な企画を見聞きし、8月6日を家族で
平和記念公園で過ごしてみて、平和に取り組む入り口・きっかけと
その先の問題は別だという当たり前のことに気づかされました。
ヒロシマを知り、心を込めて鶴を折ることも大切。その上で、さらに
次の段階へと導くことも大切。心の無い運動は失敗します。心だけ
では世の中動かせないかも知れないけれど、だからといって心を
否定してはいけないのですね。
(中国新聞 2006年5月30日朝刊)
お好み焼きが焼き上がるまでの間に、折り紙で鶴を折ろうという
取り組みが、広島市や周辺のお好み焼き店でじわりと広がって
いる。気負わず誰でも参加できる平和運動、広島名瀬ではの風景
になればと、仕掛け人らは協力店を募っている。
グループは「待っとる間に鶴折る会ヒロシマ」。発案者の団体職員
豊久芳光さん(41)=安佐南区緑井=と職場仲間ら4人でつくる。
7月から8月頭までに協力店に折り紙と箱を置いてもらい、8月6日
までに回収して中区の平和記念公園にささげる。
始まりは9年前。「広島といえばお好み焼き。そして原爆。2つを
結びつけて何かできないかな」と豊久さんは考えた。なじみの店
「さいとう」(廿日市市友田)にアイデアを打ち明けると「ええよ」の
返事。すぐに「折り鶴セット」を置かせてもらった。
「おなかをすかせた若い子が一生懸命折ってくれるんよ。それ
見て、これから先も日本は大丈夫じゃねと思います」と同店の斉藤
逸子さん(58)。6年間は「さいとう」だけの活動だった。ここ数年で
仲間が増え、6店に広がった。安佐北区口田南の「かくれ家」では、
一年中「折り鶴セット」を置いている。
豊久さんは伯父を原爆で失った。その最期の様子を、亡き祖母は
繰り返し語った。大やけどし水をくれという息子。飲ませたら死んで
しまった-。祖母の深い悲しみに触れてきた。
「中心部の店でも取り組んでもらえたら、修学旅行生や観光客も
参加できる。少しずつ広がっていけば」と豊久さん。回収の人手が
ないため、各店で平和記念公園にささげてもらいたいと願う。
ホームページも開いた。 http://www.abz.jp/~tone/m.html
私がこの話を知ったのは先月、仕事へ上関に行った日にラジオで
紹介されているのを聞いてでした。紹介していたのは、永六輔。
あの方の見識の高さ・広さにはほとほと感心してますが、同時に、
地元民で平和運動にも関心を持ちながら、この取り組みを知らな
かった自分の不明を恥じました。
子どもの頃は何度か、平和祈念の鶴を折りました。小学校の修学
旅行で長崎に行った時には、友人にも協力してもらって折った鶴を
平和祈念像にささげました。でもその後は、そういう機会はなくなり
ました。
大学生の時に沖縄に行った時、反基地闘争をしている牧師から、
「鶴を折るだけでは平和にならない」と言われ、以来鶴を折ることを
避けるように(多少軽蔑するようにも)なりました。
広島の平和記念公園の折り鶴の永久保存計画を秋葉市長が打ち
出した時も、折り鶴が焼かれる事件が起きた時も、どうでもよくは
ないけど、本質的な問題ではないような気がしていました。
でも昨年、被爆60年の様々な企画を見聞きし、8月6日を家族で
平和記念公園で過ごしてみて、平和に取り組む入り口・きっかけと
その先の問題は別だという当たり前のことに気づかされました。
ヒロシマを知り、心を込めて鶴を折ることも大切。その上で、さらに
次の段階へと導くことも大切。心の無い運動は失敗します。心だけ
では世の中動かせないかも知れないけれど、だからといって心を
否定してはいけないのですね。